よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

Do-It-Your-Self事始 Retaining Wall

2014年02月26日 | アメリカ通信
今冬はいつになく寒いのだが、2月も半ばを過ぎて時たま15度Cを超えの暖かい日がある。そろそろDo-It-Your-Self(日曜大工)事始を何にしようかと、家の周りのネタ探しを始めたら早速出てきた。斜面に作られている土砂崩れ防止壁(木製)が見事の腐って崩れていた。

日曜大工をするには便利な時代だ。インターネットのユーチューブでプロが事細かくやり方を教えてくれるから、大概は自分で出来てしまう。

早速ホームデポで材料を物色したのだが、一番大きい15センチ角材はカット出来ないと言う。急遽計画変更で、石ブロックの積み上げ方式にすることにした。測定から大中小のブロック石50個でいけそうと判断。関連部材も含め、約100ドル、一万円のプロジェクトだ。外に頼めば少なく見積もっても300ドル、三万円はするだろう。

天気が二日続く日を選んで、正味二日で写真の如く完成した。まずは上々の出来となった。

カルロス・ベラ と ラファ・マルケス

2014年02月14日 | サッカー
先週は残念なニュースを、そして今週はちょっと和むニュースを聞いた。メキシコサッカーの話だ。

2010年のWカップ南ア大会を目指してメキシコ代表チームでは粋のよい若者達が躍動していた。チチャリート・エルナンデスが、ジオ・ドス・サントスが、そしてカルロス・ベラ。

プレミアリーグの強豪アーセナルに射止められたベラだが、中々出番が無かったり、そのうち英国での労働ビザの関係でローンで外に出されたりで決して順調ではなかった。そして2010年のWカップ。始まって直ぐに怪我に見舞われた。更に不幸が襲う。メキシコで行われたコロンビア戦の後で、所謂羽目を外したパーティに参加したかどで他の同僚共々厳しい処分を食らってしまった。その後のメディアのバッシングや協会及びその役員連中との確執が尾を引いて、彼は以後の代表招集を断り続けた。

一方、プロフェショナルとしてのキャリアは2012年スペインリーグのレアル・ソシエダードへ完全移籍してから花が開いた。一挙に弾けたようにゴールを連発し始めたのだ。そしてWカップを目前にした今、当時の確執には無関係な新監督は再び彼を戦列に加えようと説得したのだが、”自分は今回のWカップ出場権をかけた試合には一度も参戦していない。その自分が晴れの舞台のWカップだけに出るというのは筋が通らない。汗水流して努力した選手の一人を追い出すわけにはいかない”と辞退したのだ。サッカー選手にとってのWカップは国を背負って立つ最高の舞台だ。勝つことが至上命令とすれば新監督もこの逸材を放っておけない。本人ベラも本音は出たかったはずである。しかし、協会の対応が恐らくベラの不信感を払拭出来なかったのだろう。この夏、彼の雄姿を見る事が出来ないのは誠に、誠に残念である。現在彼はスペインのパスポートも所持しているとのことだから、恐らくメキシコと決別するのかもしれない。

かつてバルサのディフェンスとしてならしたマルケス。2010年にNYレッド・ブルズに移り、2012年に故郷メキシコのチームへ戻って以来、国際舞台から消えていた。そのマルケスが突然姿を現したのが、昨年、Wカップ北中米地区での戦いの最中、出場切符が今にも手からこぼれ落ちそうな、正に瀬戸際の時であった。34歳のベテランが先発に起用されたのだ。キャプテンマーカーを付けたマルケスのチームが勝利し、カンフル剤としての役割を果たし、以後の試合にも出場、切符をものにした。自信喪失で浮き足立ったチーム全体をまとめ、ピンチには落ち着かせる技量が活きたのだと思う。彼がWカップのロースターに選ばれるか今のところは分からないが、是非選ばれて欲しい選手だ。

世界のあっちこっちで35歳前後の、所謂ベテラン選手達がいまだに活躍している。日本も弱体のディフェンスラインあたりは、たまにはベテランを投入するくらいの肝っ玉が欲しいところだ。日本はこういうところは非常に排他的だ。もっと言えば、最後の15分にFWにカズを投入したら相当面白い。


冬はヒレ酒

2014年02月12日 | アメリカ通信
今年の冬は格別寒い。アトランタも今年二回目の雪である。先月の末わずか数センチの雪で大混乱をきたしたアトランタ。数センチで何故こんな混乱するのか、と全米の顰蹙を買ってしまった大醜態に懲りて、今回は早々と緊急事態宣言が発令された。そのとたん、アトランタのアチコチのスーパーで棚のパンやらなにやらの食料品が空になるという、これぞThis is America。

寒い時は昼時は汁物、即ちソバ、ウドン、そしてラーメンの類が交互に続く。スープと主食が一緒になった、この日本のスグレモノには改めて感心するのみである。夜となれば自然と鍋になり、そのお供が熱燗と相場は決まる。

その熱燗だが、よし坊の楽しみのひとつはヒレ酒だ。ヒレ酒は少々飲みすぎても然程酔いが回らない。このヒレ酒を冬場のうち、2~3回味わう。これが格別である。

18年前の1995年、アメリカ赴任が決まり、取引先商社の某課長に浅草橋の近くで寿司割烹のご馳走になった。帰りがけにコレをと餞別にいただいたのが、思いがけもなくヒレの一袋であった。事前に店に用意させたらしく、立派なヒレがかなりの数入っていた。このヒレを18年間チビチビと焼いて未だに楽しんでいるのだ。18年前のヒレは腐るわけでもなくカビが生えるでもなく今もよし坊のひと冬を満足させてくれる。

今のペースでいけば、あと10年くらいは楽しめそうなのだが、頃合も丁度良い、と言うところだろうか。

給食費不払いにみる日米の違い

2014年02月07日 | アメリカ通信
日本もアメリカも公立小学校の生徒は給食を食べる。日本が一食200円程度に対しアメリカのそれは250円相当。月額にすると3600円と5000円(相当)となり、若干アメリカの方が高い。

最近の日本の小学校では給食費不払いの親がいて先生も苦労していると聞く。給食費が払えないほど困窮しているのかというと、どうもそうではないらしい。困窮どころか、至極普通の生活をしていて、自分勝手に理屈をつけて払わない。子供がどう感じ、どのような逆境(イジメなど)に遭っているかなど無頓着で、一種の育児放棄みたいなものである。モンスターペアレントの変形と言ってもいいかもしれない。

条件を満たした困窮家庭には国や自治体からのサポートがあるから、その制度を利用すればよいのだろうが、中には、困窮家庭でもプライドばかり高く、恥ずかしさを隠す為に敢えてモンスター化する親もいるかもしれない。

日本の社会は温情主義だから、不払いの生徒の分は払っている人達の費用から捻出して、全員同じ給食の原則を変えない。不払いを決め込む親は、この温情主義に付け込んでいるとも言える。温情主義というオブラートで包まれた現場は一見平和そうだが、中はブツブツとメタンガスを出しているヘドロ地帯にも似ている。一向に問題は改善されず、それが営々と続く。

アメリカも困窮家庭には国や自治体のサポートがあるが、日本の温情主義の”みんな一緒”とは訳が違う。

3人家族で年収360万以下であれば援助を受けられ、一食40円、月額約800円を払い込めば給食が支給される。が、給食の内容が違ってくるのだ。親も子供も厳しい現実を突きつけられる。日本人なら他と同じでないと恥ずかしさが先に立つ。恥に耐えられない社会だから温情主義で全体を包む。アメリカ人は若干の恥ずかしさを感じながらも、むしろ社会には”差”があることを思い知らされるインパクトの方が大きいのではないか。そこから歯を食いしばって上を目指すか、それともドロップアウトして社会の片隅へ転がっていくか、本人次第だ。

援助を受けても内容に差がある。では、不払いの生徒はどうなるのか。対応は自治体によって様々だ。もっとも厳しいのは不支給、即ち給食無しである。

義務教育の現場といえども、一定の対価を払わなかったり、払う努力をしない者には厳しい現実を突きつけるアメリカ。明快だが実に厳しい。


香川移籍せずー移籍市場の興味深い考察

2014年02月03日 | サッカー
世界で活躍するサッカー選手にとって年二回(1月と8月)の移籍時期は重要だ。とりわけ今回の移籍ウィンドウはWカップ前の最後のチャンス。注目の香川の移籍は無かった。しなかったのか、出来なかったのか。昨年8月の移籍ウィンドウから今回までの動きには興味深いものがある。特に日本人と欧米のプレーヤーの違いは面白い。日本人の中でもサムライ・ブルーを代表する本田と香川の動きは対照的に映る。

今シーズンのプレミア・リーグがスタートした昨年の早い時期、香川がマンUで置かれた事情は明白だった。新コーチの下、彼の出番は減り、18歳の新進気鋭の若者ヤヌザイが取って代わった。彼がこの時点でどう思っていたのかは分からないが、移籍準備をするとしたらこのタイミングである。

ひとつのデータがある。同僚のメキシコ代表チチャリートと、アジア人として初めてプレーした韓国のパク・チスン、それと香川の初年度、二年目の出場回数である。シーズンで38試合あるうち、パク・チスンの出場回数は初年度34回、二年目14回である。チチャリートは27回と28回。これに比べ香川は初年度こそ20回とまあまあであったが、今シーズンは半分過ぎた段階で9回に止まり、今回のマタの獲得でこれからの出番は殆ど期待出来ない。

さらに重要なファクターは今年がWカップの年であることだ。その直前の半年間にプレーの場数を踏んでなければForm fittingが難しい。Wカップという、いわば国を背負って立つ選手は昨年から自分の状況を分析し、そのタイミングで自己をベストにもっていくべく動く。それだけWカップとは大きい存在だ。そこで活躍すれば世界のビッグクラブの注目も浴びる。

Wカップを前にしてのアメリカの選手の動きは大変興味深い。トットナム・ホットスパーで活躍していた米国代表のクリント・デンプシーは出番が減ったと見るや昨年電撃的にMLSへ復帰した。そして、今回1月の移籍ウィンドウではセリエAのローマで活躍していたマイケル・ブラッドレーもカナダのトロントへ移籍を果たした。ブラッドレーは怪我で戦列を離れ、復帰したものの、既に代わりが活躍していて出番はない。米国チームの要であるブラッドレーが試合を遠ざかるのは代表チームにとっても極めてまずいのである。

Wカップは4年に一度しかないから、年齢を考慮すると、うまくいって2回しか出られない。それを見据えながらロングランで自分の選手としての戦い方、戦略と戦術を描かねばならない。目標を決め、ハンターの如く、自分のポジションを獲りに行く。「ハンターの如く」は欧米人特有のキャラクターでもある。

さて、本田と香川。日本人にあって、本田は異質である。欧米人のマインドに近い「ハンター」である。その点では中田英寿もそうであった。だからヨーロッパで転戦出来た。欧米人にとって、中田や本田に同じ「ニオイ」を感じるのだろう。反面、丸ごと日本そのものの日本代表チームの中で反発を食らう。中田がそうであった。

本田の軌跡も面白い。オランダの下部チーム、フェンローでチャンスを待つも、時期来たらずと見るやロシアの強豪チェスカ・モスクワへ転進し、時節を待った。そしてACミラン。長かったが彼の戦略戦術である。

本田と比べると、香川はやはり「日本人」なのだと思う。マンUは滅多に手に出来ないトップブランドである。折角手に入れたトップブランドだから簡単に放り出したくないと思ったのかも知れない。もし、そうだとしても理解はできる。日本人としては理解出来るのだが、舞台は世界のツワモノ共が目まぐるしく動く、名うての市場だ。ハンター的精神力が無いと世界ではやっていけない。

最近、スポーツライターでサッカー、とりわけスペインサッカーに精通している小澤一郎氏が「何故スペインサッカーで日本人が活躍出来ないか」を書いていた。巧さとテクニックを誇る日本人だが、スペインでは通用しないという。試合の中での戦術が無いのがその理由だと言っている。戦争や試合で言えば、戦略戦術、ビジネスの世界で言えばマーケティングと言えるだろうか。日本人は世界を前にした時、これが欠けているから、あらゆる局面でもがいている。商品の品質の高さは、サッカーの巧さとテクニックに言い換えられるのだが、それだけでは最早、市場で勝てないことを我々日本人は過去20年で嫌というほど思い知らされてきたはずなのだが。

Wカップを控えた香川の戦略戦術は、やはり「1月移籍」であるべきだったと思う。




日本のガラパゴス化、孤立していくニッポン

2014年02月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
嘗て日本企業が飛ぶ鳥を落とす勢いで世界を席巻した頃、日本的経営が注目の的であった。Ezra Vogelの「Japan As No.1」が飛ぶように売れ、自信を深めた日本企業は80年代、挙って海外進出を加速させた。日本企業を表現する特徴は何かというと、品質を重視し、じっくり物を考える(即ち中期的計画を重視し、短期でじたばたしない)事にあった。しかし、その後の世界経済のグローバル化に伴う韓中台の積極攻勢の前に日本企業の多くが敗れ去り、その傾向は市場のグローバル化が拡大すればするほど顕著になったと思われる。

昔は品質差縮少に時間が掛かったが、技術(特にITとその関連)の進歩で、その時間は驚くほど短縮された。その結果、日本企業の退潮が目立ち始めた。象徴的な例は携帯電話機器だろう。米国市場で当初圧倒的な強さを誇っていた日本ブランドはいつの間にか韓国ブランドに取って代わられた。日本の品質偏重とも言える「品質重視の重厚長大」手法が、目先の変化に即応出来る「スピード重視の軽薄短小」手法に負けたと言えなくもない。
かくして日本の携帯電話はガラケー(ガラパゴス携帯)として日本国内で独自の進化を遂げていく。内向きにこじんまりとやる事に満足出来る産業ならそれでもいいだろうが、グローバルな土俵で勝負をしようとするならば、何かを変えねばならないだろう。

不幸なことに、日本人はグローバルな土俵に上がるのに適した民族ではないかもしれない。だから「重厚長大」手法が身についたとも言えるのだが。徳川300年の栄華は、島国の優位性を最大限に利用し、周りの世界との接触を絶ち、独自の文化を築いた。まさにガラパゴス化の典型で、その精神は今も脈々と日本人の中に流れているのではないだろうか。

しかし、世界経済の中にあって、貿易立国が国是とも言える日本がガラパゴス化で内に篭り続けるわけにもいかない。“引きこもり”では国の発展はない。日本が発展する為には、外の血を入れ続けるしかないだろう。その意味では、裾野の広い、トヨタ、ホンダ等の自動車産業がアメリカで勝負し続ける事には極めて大きな意味がある。ひとつの例は、短期計画への注目度と感度が高まったことだろう。昔は年間計画の中で見直しは半期毎。当時は、四半期ごとに、赤字だ、黒字だ、やれ社長交代だ、と目まぐるしく動くアメリカ企業を冷ややかな目で見ていた日本だったが、目まぐるしい変化への対応には四半期毎の決算が不可欠となった。

品質による差別化戦略は必要だが、それを重視するあまりガラパゴス化に繋がってしまうのでは元も子もなくなる。今の日本はそれが気がかりである。