よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

映画三昧 - Captain Phillips

2013年12月21日 | 映画
トム・ハンクスの久しぶりの熱演を観た。この俳優はつくづく上手い役者だなと思う。

実際に起こった、ソマリア海賊に襲われたアメリカの商船の救出劇を、拉致された船長、Phillipsの回想本を元に映画化された作品だが、スリリングな映画のテンポとトム・ハンクスの演技が観るものを引き込み、二時間超の映画を飽きさせない。

「Cast Away」で、極限状態に置かれた人間の生への渇望を一人芝居で演じた時と同じように、今回も拉致での極限状態での戦いを見事に演じていた。とりわけ、無事救出されてからの最後のシーン、医務室で簡単なメディカルチェックを受けるシーンの演技などは出色物であろう。

もう直ぐノミネート作品が公表されようが、本作品と彼の演技は恐らくアカデミー賞ものではなかろうか。一見の価値がある作品だ。



ワインの話

2013年12月15日 | いろいろ
ワインの話と言っても、よし坊はワイン通でもなんでもない。だからワインにうんちくを傾けるような話はさらさら出来ない。ワインをどんな時に飲むかというと、一番多いのが焼肉をした時だ。安い赤ワインを買ってくる。アメリカのワインは値段もピンキリで、よし坊はいつもピンの方を買ってくる。それで十分なのである。

つい先日も日本でニュースになっていたけれど、毎年繰り返される「ボージョレーヌーボー」とやらのあの騒ぎは一体なんなんだろう。ワインの歴史が浅い国民だから、ワインの講釈をたれても仕方が無い、それならいっそ絞りたてのワインならば飛びつくに違いない、とばかり、どこぞの商売上手が仕掛けたものに相違あるまい。新し好きの日本人にはもってこいの仕掛けであろう。日本の輸入量は他の国の追随を許さないほど度の外れた量で、しかもアノ程度のワインに高値を出すとくれば、生産元はとんでもない乗客を掴んだものだとあきれ顔のウラでニンマリ笑っているわけだ。よし坊は後にも先にも一回しか飲んだ事がない。数年前、知人にもらったので飲んだが、どうということはない。5ドル6ドルの、水代わりである。これに2000円3000円だすのだから、祭りの好きな、文字通り”お目出度い”国民であるのは間違いない。

よし坊はアルコールが好きだから、ワインも嫌いではない。が、どこそこのワインが美味しい、などと、産地や銘柄や年代にうんちくを傾けるレベルでは全く無い。世の中にはワインが好きで、味の分かる御仁がゴマンといるのだろうが、よく、俺はワインにはうるさい、とワイン通ぶる輩も結構いる。

昔、テレビの番組で、食通、ワイン通の芸能人を集めて、決して不味くはない1000円ワインと、レストランに供す有名なワインを目隠しで当てさせる試みをやったことがあった。日頃、ワインはお任せ、と豪語していたワイン通の連中が軒並み赤っ恥を掻いていた。通ぶる人間ほどいい加減なものはない格好のサンプルだろう。

食べて美味けりゃそれでよし。飲んで気にいりゃそれでよし。”うんちく”なぞ要らないのだ。

安いのにはワケがある

2013年12月04日 | ビジネス横丁こぼれ話
日頃、思いがけない安い商品に出くわすと、当然興味が沸き、買ってみようかと考える。そんな時には筆者夫婦は呪文を唱えることにしている。“安いのには理由(わけ)がある”。そう唱えて買った後で、商品の表示や内容に詐称が判明しても、それ程腹は立たない。呪文のお陰である。

日本のお隣韓国や中国はコピー商品では名だたる国である。韓国のイテウォンはつとに有名だし、中国に至っては国全体があたかもコピーマシーンであるかのようだ。我々もハナからそう思っているから、コピー商品で騙されても、頭に来ることは滅多にない。されば日本はどうなのか。大方の日本人は、日本ではそんな事はあるまいと思っているだろうが、どっこいそうは行かない。関西方面では時折、偽ルイ・ビトンの製造者が捕まった、と言うような事件記事、或いは類似の記事が新聞の片隅に載る。大体同じ人間がリピーターとして捕まっているらしい。その筋によると、この商売、相当荒稼ぎが出来るらしく、捕まって数年塀の中で過ごしても十分に元が取れるから止められないのだとか。

関西では一流と言われているH電鉄系ホテルで発覚した食材偽装。高級レストランとして
それなりに高い価格で提供していただけに、客の怒りは収まらない。“安いのにはワケがある”のとは訳が違う。見苦しいのは、それを「誤表示」という姑息な言い訳で逃げ切ろうとしたこと。見え透いた嘘が油に火を注いだ格好だ。これら一連のドタバタは、不祥事におけるリスクマネジメントの程度の低さを露呈した格好だが、その後日本全国続々と不祥事が明らかになり、最早お粗末を通り越して開いた口が塞がらない。過去の偽装問題は生産者と消費者を結ぶ中間段階で多かったのだが、賞味期限貼り替え問題や大阪の有名老舗料理屋の残飯付回し事件の頃から、モラルは加速的に下り続けてきたような気がする。

熾烈なコスト競争の結果、最早、最後は禁断の手を使うことにあまり躊躇いが無さそうだ。何やら、よくある万引き犯の心理にも似ている。万引きは最初に捕まると改心率が圧倒的に高いらしいが、一回成功してしまうとリピーターとして奈落の底に落ちていくと言う。偽装が日常化すれば次第に罪の意識が麻痺してきて、あたかも世間がそれを受け入れてくれているかの様な錯覚にも似た状態に落ち込んでしまう。そこでは、日本人特有の“あそこもやっているからウチもやろう”と言う、同業他社横並びの思想が顔を出す。“みんなで渡れば怖くない”。

食のブランド志向には危うさがある。呪文がひとつ増えた。“高いのにもウラがある”。

伏兵、デザート

2013年12月02日 | アメリカ通信
亡国?の危機感を抱いたかつてのクリントン政権は肥満との戦いに一大キャンペーンを張った。そして今、ミシェル・オバマも若年層の肥満退治に注力、学校からベンディングマシーンを撤去する等精力的に動いている。しかし事はそれ程簡単ではない。

人間、肥満は恥ずかしいと感じるものらしい。アメリカ人も最初はそう思うらしいが、何せ周りを見渡せば圧倒的多数で自分と同類の肥満人だらけだから疎外感を感じることは無く、むしろ安心感さえ出てきて、その時点でダイエット等と言う考えは霧散する。

最近の業界調査で、肥満大国(トップの座をメキシコに奪われはしたが)を更に強固にしかねない現象が報告された。思わぬ伏兵と言ってもいいのだが、デザートを摂る傾向が増加しているというのだ。増加の原動力はいずれも消費者心理からくるものが殆どの様だ。

(1)デザートは「食後」が基本だったのだが、現代人はそれまで待てないようで、いわゆる10時のおやつ、3時のおやつ、がドンドン増えていると言う。物が豊富で手軽に買えるようになった事が増加の要因のひとつらしい。

(2)調査対象者の78%がself-rewardとしてデザートを摂ると言う。仕事や何かで成功したり、首尾よく行った時に、自分に対する褒美としてデザートを摂る。かつてマラソンの有森がメダルを獲った時のインタビューで“自分を褒めてあげたい”と言った、あの心境だ。いかにも今時のトレンドだ。又、似たようなところだが、人間は幸福感がある時にデザートに手を出すようだ。60%の人がそう答えている。

(3)レストランでデザートを摂る人の44%は一緒に行った人とシェアすると言う。デザートを食べるつもりの無い人でも、シェアするならポーションも小さいから、とつい食べてしまう。これもよくある。

(4)36%の人は、デザートが小さいと、つい手が延びてしまうらしい。よくレストランのメニューにフル・デザート以外に、Healthy optionとか“ダイエットしている人に”等と書いてある欄を見ると少ない量のデザートが並んでいる。結局のところ、ダイエットをしている人は食べてはいけないのだが、つい手が出る。

人間、3欲のうち食欲は最後まで無くならない。肥満退治は途轍もなくやっかいだ。