よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

オザワに期待するもの

2010年08月28日 | いろいろ
政治家はキレイ事では出来ない職業だろう。程度の差は有れど、清濁併せ飲む事が平然と出来なければ、その先には進めまい。その中にあって、今やオザワ程数々の清濁を併せ飲んできた政治家は居るまい。味方も多いが敵も多い。怪しげな政策もある。それでもなお、オザワ期待論が多いのは何故か。よし坊も、オザワの嫌な部分や政策はいくつかあるが、それでも、このご時世に於いて、期待するものがある。

日本の社会は、何でもかんでもボトムアップの合議制。一見、フェアで全体の理解が得られやすいと評判(?)の「時間を掛けた日本式意思決定プロセス」である。ここには、取り纏め役が育っても、本当の意味でのリーダーシップを発揮出来る人は育たない。世界の情勢変化は早く、そのスピートに付いて行くには、迅速なトップダウン手法は不可欠な時代であるにも係わらず、日本は未だ気が付かない。最近の海外に於ける日本企業の競争敗退の原因の一つは、ここにある。韓国や中国を見ればよく分かる。意思決定の早さに日本は後塵を拝しているのだ。

こういう環境で育った人間が、政治の世界に入って、違った事が出来るはずも無い。政治の世界は、一般社会より一層トップダウンによりリーダーシップが求められる世界のはずだが、トップダウンで物事を動かせる人間が殆ど居ない。

コイズミが退場した今、唯一その希望に適うのはオザワだろう。オザワしか居ないというのも、寂しい話だが、事実だからしょうがない。そこにオザワ待望論が根強くある。一度やらせて見たらいい。

意味深 ニシオカ発言

2010年08月23日 | いろいろ
参院議長が”民主党代表選挙に出る者は、負けたら離党せよ、それぐらいの覚悟が必要だ”とぶち上げた。もちろん、代表戦での出馬を取り沙汰されているオザワに向けたものであるのは明らかだ。相当意味深な狼煙の上げ方だ。よし坊の勝手な解釈はこうだ。「オザワよ、代表戦に出ろ、万一負けたら、党を割って新党を立ち上げろ」。

国の新しいデザインを描く、と鳴り物入りでスタートした国家戦略局の後退、やってる事が何やら、昔の社会党的ニオイをプンプンさせ(特に始末の悪いのが官房長官だろう)、このままではニッポン丸が何処に着くのか、まるで分からなくなって来た。分からないならまだしも、ひょっとしたらとんでもない所に着いてしまうのではないかという危惧が湧き出している。渡部昇一と作曲家のすぎやまこういちの対談で、日本は法治国家ではなく、中国や北朝鮮と同じ人治国家に向かっているとコメントしているが、どうやら当たっているように思えてならない。

前にも書いたが、日本は今の政治システム体制下では、長期政権は有り得ない。有るのは、たまたまソーリになった人物のコレをやる、と言う信念とその時のパワーバランスが合致した時のみで、信念は持っていても周囲のパワーバランスが”味方”しなければ実現は不可能だろう。自民党も、最早骨っぽいのはイシバ・シゲルくらいしか居ないので、頼りにならないと言えばそれまでだが、所詮、コロコロ変わるのが特徴なのだから、もう一度ガラガラポンで、新勢力を作るのも一興だろう。


RAIZO - 股旅物と「ひとり狼}

2010年08月20日 | RAIZO
股旅物と言えば、長谷川伸。関の弥太っぺ、中山七里、雪の渡り鳥等が知れている。雪の渡り鳥と言えば、長谷川一夫と山本富士子の映画があり、この映画を思い出すと、三波春夫の「合羽からげて、三度笠、どこをねぐらの。。。」と出だしのフレーズが口をついて出る。

雷蔵の股旅物も、中山七里、鯉名の銀平(雪の渡り鳥)あたりは、プロットも似ていて、どちらかと言うと、中山七里のほうがいい。しかし、長谷川伸の作品の中では、新珠三千代が共演した「沓掛時次郎」が断然良かったし、好きな一つだ。最後のシーンが泣かせる。坊やが木の上から、去っていく時次郎に、最初はおじちゃーんと叫ぶが、最後に”おとっちゃーん”と叫ぶ、あのシーンだ。実の親でもないのに、そう叫ぶとウルルンとなる。

雷蔵の股旅物のイチオシは、原作は村上元三だが、長門勇の語りで始まる「ひとり狼」だと思う。所詮ヤクザはアウトロー。明日は自分の卒塔婆を立てるかもしれぬ一匹狼の孤独と非情を出している。亡くなる前年の作品だ。だから、亡くなった後にもう一度観ると、あの表情は役作りだけではなかったのではないかとさえ思う程冴えている。

ビール解禁

2010年08月15日 | アメリカ通信
4年振りのビールは”極上”だ。美味いの何の。ビールの味はこんな味だったのかと、思わせる美味しさだ。

4年振りに解禁した。4年前の痛風発症以来、御まじないの様に封印してきたビール。しかし、いくらプリン体が多いと言ったって、殆どの食べ物には含まれれている訳で、これだけ絶った所で知れてはいる。それに、今年は事のほか暑い。ま、これらは、ビール解禁の為の屁理屈に過ぎないのだが、思い切って解禁とした。

ビール事始のブランドは、以前よく飲んでいたオーストラリアのFosterだ。750mlのラージ缶で2ドル。喉越しは日本のビールとアメリカのビールの中間、ややアメリカ寄りだろうか。解禁ついでに、常用ビールは、最安値のOld Milwaukee(写真)に決めた。去年までは、350ml24缶で11ドル以上はしていたが、今年は何と、驚きの9ドルだ。一缶40円とは、安い。

さて、ビールの味は色々ある。日本人がこだわるのは、喉越し、と言うのか、あの苦味からくるインパクトと言うのか、正確には表現出来にくいのだが、アメリカのビールはそれに比べておとなしい。日本のビールを飲みつけると、最初は物足りなく感じるのだ。人によっては、水みたいに薄い、等と表現する。しかし、アルコール度は変わりが無いから、同じように酔う。

先年、娘のボーイフレンドが家に来た時、このインパクトの差をどう表現したらいいか、聞いた所、即座に「Japanese beer has a kick」と言いおった。蹴るKickか。成る程、口に含んだ日本のビールは、喉チンを蹴飛ばして(Kick)一気に食道から胃に向かって流れ落ちていく訳だ。貴重な英語の勉強になったと奴に感謝しておる。

そしてもう一つ。今日は終戦記念日。そんな記念日が、我が連れ合いの誕生日でもある。

政治討論会ー茶番劇の日本

2010年08月12日 | アメリカ通信
官房機密費が世論誘導の為のばら撒きに使用されていた暴露記事で、一挙に今までの政治討論会なるものが茶番に見えてくるではないか。今やバラエティ並の、その種の討論会に出ている高名なセンセイ方をその目で見ると、思わず笑ってしまう。しかし、厚顔無恥でないと、その世界の金儲けが出来ないのだろう。

高名な評論家センセイのみならず、新聞を含めたメディアの連中にも金が行っていたと言うから、汚染度の裾野は相当広い。そんな中で、昨日報道された某放送局の政治解説委員の自殺のニュースは、ひょっとして?と思わせてしまう(そうではない事を望むが)。

閉鎖的な記者クラブに風穴を開けた上杉隆(写真)の官房機密費追及が無ければ、野中広務の爆弾発言も無かったのではと思うと、よく戦っていると感心する。

アメリカでは様相が異なる。政治的論争が巻き起こったとしよう。テレビや新聞に夫々の陣営を代表するコメンテーターが登場し、自己の支持する政党の正当性について論戦を交わす。最初から陣営がはっきりしている。夫々の陣営に雇われているのだ。その上で観ている者が自己判断する。

日本でも、「オレは筋金入りの自民党支持だ、その代弁者だから、報酬を貰って当然だ」と言えばいいし、そういうシステムにすればいいだけの話なのだが、全て裏方処理の日本スタイルだから、闇。その闇を見つつ、いかにも中立ぶっているから問題発覚で痛い目に遭う。
人間、人から闇で金品を貰えば、その瞬間から擁護に回る悲しい動物だ。中立性など保たれる訳が無い。

民主党は、最初の勢い何とやら、官房機密費の透明性を上げると言ったにも関わらず沈黙である。ひょっとして、自民党時代同様のメディア向けばら撒きを続けているとしたら、上杉の追及があるだけに、沈黙せざるを得ないかも知れぬ。


実現不可能ー社内英語化

2010年08月08日 | ビジネス横丁こぼれ話
日本の会社が社内英語化を試みようと話題になっている。これ自体は挑戦的でいいのだが、早晩頓挫すること、100%請け負う。恐らく3ヶ月も経てば、何事も無かったかのように元に戻っているはずだ。

よし坊も昔こんな経験をした。アメリカ駐在になって暫くしたら、本社から通達が来た。「海外関連会社と本社の営業月報は全て英文にする」。事の発端は、ヨーロッパの関連会社の外国人幹部が、グローバルマーケットの情報共有が必須な時代だから、他地域の情報も共有したいと申し出て、本社も「そりゃそうだ」と納得したのだ。よし坊としては大歓迎だ。なにせ、それまでは現地会社用の英文月報と本社向けの日本語月報の二種類を書いていたのが、一つで済むわけだ。この取り組みが始まって最初の月報は目出度く英文月報が各所から届いた。ところが、二回目から来なくなった。こちらから出す月報はせっせと英文を送るも、他所からの月報が来ていないことに気が付いてはいたが、忙しさにかまけ、打っちゃっておいた。しかし、どうも様子が変だ。漸く本社に問い合わせたら、まず本社が音を上げ、早々と二回目から止めているという。それに合わせてアジア各所、ヨーロッパも止めていた。やっていたのはアメリカのみと言う。月一回の報告書だけでもこの有様なのである。

今の日本では50年、いや、100年経っても無理だろう。何かを根本的に変えないと。

アメリカ人に、日本では中学高校と6年間も英語を勉強する、と言うと、目を丸くしてこう言う。「そりゃ凄い。さすがは世界の経済大国だ」。ところが、彼らが日系企業に入ってびっくりするのである。アメリカに進出している日系企業の半分以上の社長が英語を話せない。

アメリカ人が日本へ行くと苦労する。ホッとしているのはホテルの中だけだ。さすがに彼らが泊まるようなホテルは英語が通じる。しかし、一歩外へでれば、赤子同然だ。標識は殆ど日本語(たまに小さく書いてあるが)。街行く人に尋ねようにも、日本人はガイジンと見ると、直ぐ逃げ出すのだ。街で尋ねても通じる英語、これをよし坊は「街角英語」別名、和製英語的ではあるが「Street English」と呼んでいるが、このレベルが上がらないと、とてもじゃないが、社内英語化などは出来ぬ相談だ。

学校の6年間の英語教育が有っても、通じない。あれだけ英会話学校が氾濫していても「Street English」のレベルは一向に上がらない。5-6年前に国連が出した東南アジア12カ国中、北朝鮮と並んで最下位の英語力と査定された日本の順位は今も変わっていない筈だ。


安全運転ー車社会アメリカと電子機器の攻防

2010年08月06日 | アメリカ通信
車社会のアメリカ。日本のように、ちょいと近所に買い物で歩きやチャリンコ、という訳にはいかない。ほぼ100%車のご厄介になる。だから、80歳過ぎた、今にも倒れそうなご老人でも車で買い物に来る。ハイウェーの低速レーンで、昔ながらの大型のアメ車がノロノロ走っている場合、大抵がそういった高齢の方々である。アメリカのハイウェーは怖い。突然隣のレーンに巨大な24トントラックが唸りを上げて並走するから、その音だけで一瞬恐怖に晒される。ウッカリするとハンドルを取られかねない。強風にあおられてハンドルを取られる事はあるが、巨大トラックの心理的風圧でもハンドルを取られる。しかも、このトラックがタマに横転するから怖い。カーブのところは要注意だ。ジャックナイフをやらかす事もある。並走してたらこっちもペシャンコだ。

今、車の危険度で最も高い原因の一つが携帯電話の類で、各州とも走行中の携帯電話使用に対し、警鐘を鳴らすとともに、法的規制を掛けようと必死だが、強制力のある規制が進まず、一方事故は増えるばかりときている。

しかし、技術の進歩は凄いものだ。アトランタの会社が朗報をもたらした。車のスピードが5マイル以上になると携帯電話が使えない技術を開発したという。実質的には、車に乗ったら使えない仕組みだ。近々、これを搭載した携帯電話が売り出されると言う。携帯機器に関しての、正に命を賭けた攻防戦が続く。

軽い、限りなく軽い民主党

2010年08月03日 | いろいろ
予算委員会のカン首相の答弁の一部を観たが、まず、人相が貧相になっている。言葉に張りも無く、国を引っ張るリーダーとしての「やる気」が全く感じられない。完全にジリ貧のスパイラルに入り込んだ感じがあり、いくら、あと三年は衆院選挙が無いといっても、その前に国民の煮えたぎったマグマが爆発し、総選挙、そして敗北、という民主党にとっての地獄図が見えてきたような気がする。

野に下った自民党は、さすがに知識経験とも重量級を維持し、あたかも、大人が小学生を諭すように説くが如し、である。それにしても、ルーピー・ハトヤマといい、このカン総理といい、防衛;外交にはめっぽう弱い。内の経済活性化と外の防衛・外交は車の両輪みたいなもの。民主党全体が弱いと言う印象は否めない。

あまりにも軽い民主党の最近のエピソードは金賢姫の来日騒動だろう。超法規的措置で入国させたとある。日本からみると、公文書偽造に罪で逮捕しなければいけないテロリストにも関わらず破格の待遇。これは、何か、相当な土産が日本にあるな、と、その後を待ったが何もなし。えっ? 絶句するのみである。こんな程度で「超法規的措置」とは何と軽いのだろうか。だれも、ちょっと待て、とは言わなかったのか。

こういう軽さが民主党にはある。ある種の体質だろう。この軽さでは、これからの長丁場はちょっと無理ではないか。