よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

韓国(キムチ)パワーの炸裂

2007年06月29日 | アメリカ通信
我がジョージアも、アトランタ周辺の人口地図の変化は激しい。5~6年前までは数万人だった韓国人が今や10万を越す勢いらしい。コリアタウンとしては、ロスが有名で、その昔、コリアンパワーの勢いを好ましからず思っていた黒人低下層の連中が暴動を起こし、大変な事件に発展したことがあったが、アトランタ周辺では、近年のヒスパニック系の大増加と並んで、アジア系の中では韓国人の増加はダントツである。お陰で、大きなスーパーは出来るは、韓国料理店は増えるはで、同じアジア人として大変有り難い。日本人は増えもせず減りもせず、といったところでアジア系ではマイナーな部類に属するが、殆どが日本からの会社関係の人達であり、そのまま居座って土着しようと言う人は極めて少ない。

韓国人のバイタリティが一体何処から来るのか。日本人とは比べ物にならないくらいにそのバイタリティは旺盛だ。
アメリカを目指す人たちは概ね、貧しい国に生まれたハングリーな人達が多く、韓国人もそう言った類のハングリー精神から、この国へ大挙して来ていると考えれば簡単なのだが、果たして本当にそうなのか。その辺りがよく分からないのだ。

何はとまれ、ハングル文字が目立つ街並みとなり、韓国系の銀行もドンドン建ち、そうなると、アメリカの中で何となくホッとするような、そんな気分になってしまう。

大昔未だ賑やかだったころに2度程行ったことがあるロスのリトルトーキョー、約10年くらい前久しぶりに行った時はえらく寂れていた。今頃行けばもっと寂れているのかもしれない。群れを作るのが得意だと定評がある日本人だが、外国で群れをなして村作りをするのはトンと苦手のようである。


あのベッカムがやって来る

2007年06月23日 | サッカー
あのベッカムがやって来る。特にアメリカに居るサッカーファンにとっては何ともうれしい話だ。何故そんなに嬉しいのかって? そりゃ、アメリカのサッカー事情を考えたら、喜ばずには居られまい。

よし坊は、毎日スポーツニュースを見るにつけ、いつも腹立たしいのだ。流れるニュースは野球にバスケ、それとアメフトばかりだ。アメリカ人がこの3種の神器的スポーツにどうして熱狂するのか未だに分からん。
片や、サッカー放映はお寒い限りで、殆ど無い。救いは、メキシコ人向けチャンネルが週1~2回ヨーロッパリーグや中米リーグ、そして中米からの選手が大勢居るアメリカのリーグ戦を結構放映してくれる。

アメリカでサッカーが盛り上がらない有力な説として、そもそも、その昔、英国を脱出した人々が独立戦争を勝ち取って建国したわけなので、アメリカ人には、英国に本流を発するものへの徹底的な抵抗精神が脈々と流れているとする考え方だ。サッカーもその一つだから、見向きもしないのだそうだ。

この3種の神器的スポーツ。まず、バスケットはアメリカで考案されたらしい。野球も昔からあった球打ちの遊びをルール化して広めたのがアメリカ。アメフトにいたっては、ラグビーと親戚みたいなものだが、独自のスポーツに仕立て上げた。いずれも早々とプロ化で銭儲け出来るようにしたし、何よりも、「オラがスポーツ」でなければならず、俺達が一番じゃないと我慢できない、認めない。どうも、始末に終えぬ人種である。

それでも、アメリカのサッカーファンは年々増加していると聞いている。一つは熱狂的サッカーファンのメキシコや中南米の人達が移民として増えていることがあるのではないか。そういえば、最近彼らが多いカリフォルニアやテキサスあたりにサッカー専用のスタジアムが出来ている。

そして、ベッカム。7月か8月には、アメリカのスタープレーヤー、ランドン・ドノバン(写真:別名キューピー・ドノバン。実はこれ、我が家だけで通用する名前で、キューピーに似ているのでそう呼んでいる。)を擁するロスアンジェルス・ギャラクシーでデビューする手筈だ。

アメリカのチームも国際的には決して弱くない。FIFAランキングでは常にベスト20に入っているし、ワールドカップではたまに決勝ラウンドまでいくこともある。明らかに日本よりは上だ。しかし、人気が無い。かつて、サッカー振興の為に、あの神様ペレを呼んで新生ニューヨーク・コスモスを立ち上げた(この時は、あのベッケンバウアーも馳せ参じた)アメリカのサッカー、2回目の黒船で大ブレークとは行かないまでも、小ブレークくらいはしてほしいものだ。




セキュリティ・コントラクターという名の戦争屋

2007年06月19日 | アメリカ通信
セキュリティ・コントラクターと言うと、そこいらにいるビルの警備やイベントの警備をする保安警備会社の類を連想してしまうが、表になかなか出て来ない民間戦争屋の事で、それが今、アメリカのニュースの片隅に顔を出している。

事の発端は、2004年にイラクのファルージャで4人のアメリカ人民間保安要員が、待ち伏せ襲撃に会い、黒焦げの死体が町に吊るされた事件があり、その遺族達が所属会社を相手取って訴訟を起こしたのである。
軍人は戦闘で命を落としても国を相手取って訴訟などしないことになっているのと同様、この手の民間会社でも、ルールは同じらしい。遺族達はそのルールを破ってまで訴訟に踏み切ったのであるが、事の性格上、裁判所も両者の和解を必死に促しているらしい。こういう変則的な話が出てくるということは、理由をでっち上げてイラクに突入し、明らかに失敗してしまった今回の戦争のいびつな面が出ているような気がする。

アメリカの歴史の中で、この民間戦争屋は独立戦争以来の伝統らしく、当然そこに社属する人は退役軍人や、かつて特殊部隊にいた連中が多いらしい。いわば戦争の影の部分に属するから、今まで表に出るデータが少なく、一般には実態がよく分からないようになっている。
常に危険と隣り合わせだから、報酬も高額である。経験にもよるのだろうが、一日600ドルというデータがある。

イラクでのこれまでの戦死者が約3500人で4000人に近づきつつあるが、民間戦争屋の戦死者は現在約1000人とのこと。ブッシュが舞台から退場した時、その数は何人になっているのだろうか。

肥満天国 アメリカ

2007年06月14日 | アメリカ通信
アメリカは、世界一の肥満天国なのではないか。そんな気がします。それも半端じゃありません。街を歩るきゃ、行き交う人の半分以上はどう見ても肥満。親子連れがいる。親は二人とも相当な肥満。と見れば、小学生くらいの息子と娘、二人とも親と同じ体型で、既に相当な肥満状態。こんなのがあっちウロウロこっちウロウロで、肥満の人から見れば、同類が一杯いるので、一向に恥ずかしくは無さそうで、かえって堂々としているから、見てるこっちは思わずため息が出てしまう。

レストランへ行けば、出てくる料理は、どう考えても二人分はある。大きいことは良いことだ、多いことは良いことだ、がキャッチフレーズのアメリカだから、始末が悪い。ハンバーガーレストランで、コンボというセットメニューを頼めば、出てくるフレンチフライも飲み物も日本の倍かそれ以上だ。いかにも、俺達は物持ちなんだということを誇示しているようにも見えて、嫌になる。

土曜日曜になると、ステーキハウスは何処も一杯で、ボリュームたっぷりのレアかミディアムのステーキという名の素敵(?)な牛肉をほうばっている連中を想像すると、寒気さえ覚える。

発展著しい中国では、マクドナルドの普及に連れ、肥満度がアップしつつあるとのニュースがあったから、この国の食事に付き合うと碌な事はなさそうだ。そう言えば、最近日本にバーガーキングが再上陸したらしい。ここのハンバーガーは大きいことが「売り」だから要注意。聞くところによると日本のマクドナルドも期間限定でビッグなハンバーガーを出して大好評だったらしい。東南アジアは、正に、肥満助長レストランチェーンの策にまんまとはまっている。

昔のアメリカは、こんなではなかったらしい。レストランでの量は今の半分くらいだったそうで、国民は、その後のレストラン同士のボリューム戦争の犠牲になったわけだ。レストランのシェフにしても、このボリューム戦争の中で育った連中が中心だから、ボリュームたっぷりが染み付いていて、はなから、量を程よく、等とは到底頭の中には浮かばないのが現実のようだ。だから、出される食事の量が少なくなる事は考えられないと聞く。

以前、家族でテーマパークに遊びに行った時、ジェットコースターの順番待ちをしていたら、やはり家族で来ていた肥満のオヤジが、大きすぎて乗れず、係員から乗るのをあきらめるよう説得されていた。そのオヤジはカンカンになって、怒り、毒づいていた。

この国は、自分の非を棚に挙げたり、他人のせいにしたりする傾向が非常に強い。だから、世界で「傲慢なアメリカ人」といわれてしまう。全く厄介な国だ。

師匠の話ー 中韓への想い

2007年06月10日 | いろいろ
昔は、韓国や中国とのビジネスが多く、技術的な話が売り込みに重要だったので、我が師匠であるKKさんには随分とお出ましをいただいた。
仕事を通じての弥次喜多道中を繰り返すうちに、師匠が韓国中国に強い思い入れがあることが段々分かってきた。

かつて、鈴木善幸内閣の時、突然の教科書問題で日本中が右往左往し、ビジネスの世界も混乱に巻き込まれたことがある。
中韓出張の予定が既に出来上がっていたそんな時に、タイミング悪くこの問題が起こった。我が師匠と私は、政治とビジネスが別物と割り切って行く事にした。結果は散々で、何処へ行っても商売の話はゼロで、出てくる話は、「オマエは教科書問題をどう考えて居るか述べよ」と言うものばかり。一種の吊るし上げみたいなものだ。ソウル、北京、天津、上海、広州と3週間の全行程が教科書問題一色であった。
我が師匠は、日本の教科書の記述には問題があること、先の戦争で日本が多大な迷惑をかけたことを率直且つ丁寧に述べていた。

この時、酒を飲みながら、師匠の思い入れの話をじっくり聞かせてもらった。師匠は終戦前まで満州の新京(今の吉林省長春)に居た。父親が行政官として赴任していたのだ。当時は日韓併合に続く満州国建国で、朝鮮半島から中国東北部が、言わば日本であった。彼の地で、師匠は良くも悪くも色々見てきたのだろう。そして、敗戦。状況は一変し、日本人は追われる身となった。多くの日本人の脱出劇が始まる。途中で息絶える者、棄民として取り残された者。あの「大地の子」ではないが、想像を絶する話だと思う。

師匠一家が脱出する時、何が起こったか。
人間、いい奴も居れば悪い奴も居る。占領統治している側の官吏なんてものは、権力を傘に横暴な振る舞いをしたとしても不思議ではない。しかし、中には、相手を人間として同等に扱う官吏も居たということなのである。
一家を無事日本へ逃がす為に、父親を知る中国人やら半島人がネットワークを組み、行く先々で手助けをしたとのことだ。その時の事は深く師匠の心に刻み込まれたと言う

それにしても、師匠は不思議な人だ。
父親の背中を見て育ったと言えばいいのか、若い頃から異文化の中でその垣根を越える修練を積んできたと言えばいいのか、師匠は言葉(外国語という意味)は出来ぬが、何処へ行っても必ずファンというか、友が増えるのだ。この時思った。本当の国際人とはこういう人なのではないか。

定年が視野に入ってきた頃は、師匠の勤務地も昔の広島に移っていたが、家も広島の山奥に移し、土に帰れとばかり、野菜作りと海外留学生の受け入れにも力を入れていた。土曜や日曜に彼ら留学生と採れた野菜などを肴に酒を飲むのが何よりの活力になると言っていた。

この歳になって、未だ師匠の域には達せない。ま、無理だろう。

サッカー・コトハジメ

2007年06月06日 | サッカー
今のJリーグを思う時、昔、東洋工業だの三菱重工等の実業団チームが頑張っても頑張っても客が入らず、サッカー人口がちっとも増えないのがいつも話題になっていたのだから、隔世の感がある。当時のハイライトは何と言ってもメキシコ五輪の釜本、杉山が活躍した銅メダルだろう。それなりの人気はあるが、それなりレベルで一向に観客は増えない。だから、Jリーグの誕生とその後のサッカー人気には目を見張るものがある。

ず~っと昔、時は80年代。仕事の担当がヨーロッパになり、出張でドイツだデンマークだと通いだした。客先へ行けば、話題はサッカー。夜になれば当然外のレストランで飯を食う。そして、耳をそばだてれば、言葉は分からぬが、どうもサッカー。何処へ行ってもサッカー、サッカー、である。こりゃサッカーを知らずして商売は出来まい。その時初めて ACミランというチームの名前を知った。

2年くらい前の記事にこんなのがあった。名前は忘れたが、女子バレーポール界では知られた日本人の方が、国際審判員資格の関係でロンドンへ来た。「バレーボール以外はスポーツではない(ちょっとオーバー)」というコテコテ バレー人間のこの人、一年も経たないうちにすっかりサッカーの虜になってしまったという話なのである。それ程サッカーは私達を熱狂させる。

話は戻るが、ヨーロッパに出入りしたこの頃から、仕事もサッカーを含めたボールの素材ビジネスが中心になって行ったのだから面白い。

世に色々なスポーツがあるが、世界規模では、ワールドカップの右に出るものはないだろう。アメリカなんぞは、あのアメリカだけの野球にワールドシリーズと銘打ってやっている。ワールドなどとつけないで欲しいものだ。
サッカーで戦争も起こったが、2002年の日韓ワールドカップで日本と韓国が一挙に雪解け。誰がこれを仕掛けたのか、これは間違いなく、「ヒョーショージョー」もんだ。

サッカーをするわけではないが、あの時のヨーロッパ。コレがよし坊の「サッカー・コトハジメ」。

映画三昧ー Away From Her とジュリー・クリスティ

2007年06月04日 | 映画
久しぶりに、ジュリー・クリスティを観た。思えば60年代後半だったか、あの「ドクター・ジバゴ」の映画を観たのは。ロシア革命を背景とした、見ごたえのある作品だったと思う。あの映画では、アラビアのロレンスで鮮烈な印象を与えたオマー・シャリフと初めてみるジュリー・クリスティ。他には、ジュラルディン・チャップリンやアレック・ギネスが出ていた。

今、アメリカで、「Away From Her」という映画が限定公開上映されている。老境の夫婦の、今避けて通れないアルツハイマーをテーマとしている。この映画は中々の秀作だと思う。

昨年、やはり、佳作の「Notebook]という、これも認知症を題材とした映画があった。この映画は出来も良かったし、内容的に若いカップルのロマンスが組み込まれていたので、大衆受けする映画にもなっていた。

「Away From Her]は、当事者にとっての、もっと現実的な問題を観客に浴びせかけけようとしている。何十年も連れ添った人と離れる事実、記憶をなくしていく中で、新しい恋人(あるいは心の拠り所)が出来てしまう現実、それを受け入れ、自分も変わっていく現実。老人の性の世界。綺麗事では済まない現実を突きつけられ、考えさせられてしまう映画である。日本で公開されるかどうか分からないが、もし公開されたら、特に50歳を過ぎ、認知症が他人事ではなくなる世代には是非観ていただきたい。認知症の世界の、男と女の物語である。

ジュリー・クリスティも、あの「ドクター・ジバゴ」のラーラから大いに歳をとったのだが、作品数は意外と少ないのだ。その理由が彼女に関する記事から分かった。

映画のメジャーデビュー「ダーリン」でいきなりアカデミー主演賞をものにし、「ジバゴ」がヒット。この英国からの新進女優はアメリカの映画界を上り始めるのだが、あまりの金(カネ)亡者達のエグイ、ハリウッドという世界に嫌気が差し、さっさとイギリスに帰ってしまった。以後は、映画とは極力距離を置き、出ても自分なりに納得できる映画しか出ないようになった。

今回の映画も、製作者のセーラ・ポーリーが再三オファしたのを断り続け、最後にセーラがロンドンへ直談判に行って漸く決まったものらしいのだが、ジュリー・クリスティは映画の役より、セーラ本人に惚れ込んでオーケーを出したらしい。


ヤードセールで うれしい買い物

2007年06月01日 | アメリカ通信
朝のローカルテレビで今日から三日間開かれる大ヤードセール(青空市のこと)の場面が出ていた。アメリカのガレージセールも最近はろくな物がない。Flea Market(蚤の市)に至っては見る気もしない。(ところで、ワイフはそれにもめげず、相変わらずのファンである)。しかし、今日の画面を見る限り、なかなか良さそうだ。と言う訳で昼から二人で出かけたのである。

場所はその町の中心部に位置する教会の敷地内である。今日は気張って見よう。が、結果は大いに期待はずれの内容で、ヤハリ、、、。

ワイフとガソリン代を損したと言いながら帰りかけたら、アレっ? 物陰に一つ、この4ヶ月捜し求め、実はあきらめていたモノが、そこにあるではないか。そう、Jack Stand、日本でジャッキと言っている写真のヤツだ。

何故そんなんが欲しかったかって? よくぞ聞いておくんなすった、お兄いさん。

遡ること7~8年前だ。娘の車を買った時(もちろん中古)、どう錯覚したのかジャッキが無いと勘違いし、早速ウォルマートで買っちゃったわけだ。御題は20ドルくらい。ところが、暫くして、タイヤローテーションをする時に車中をひっくり返していたら、備え付けのがちゃんと有るではないか。コンチクショーも後の祭り。ま、いいか、そのうち使う時がくるっちゅうもんよ。で、今年になってのお話。

正月早々、要らない物大処分とばかり、家中の不要物をかき集め、町のごみ収集償却所へ持ち込むことにしたのだ。昔買ったあのジャッキが目に止まってしまった。こんなサラッピンがあるなら、ワイフの古いジャッキは要らんわな、とばかり、考えなしで不要物に放り込んだ。これが痛恨の大失敗。

処分して暫くぶりでワイフのタイヤローテーションをやろうと、準備万端。いざ未使用のジャッキを車の下に置いたのだが、ふと気がついた。ジャッキを当てる部分はフレームスロットがあって飛び出ている。未使用ジャッキはフラット使用のもの。なんと、その昔買ったジャッキは今風のフラット面使用のもの。

最近の車は殆どフラット面だから、何処を探しても売っていない。散々探し回ったが、無いものは無い。それであっという間の4ヶ月。ホント言えば、ワンモデルだけ、フレームスロット用があるにはある。油圧式のモノで40ドル位するのだ。ワイフは早う買えと言う。よし坊は自分の不注意とは言え、悔しさ募り、なかなか油圧式を買う気になれない。

そして今日という日(5月31日)を迎えたわけだ。あ~ぁ、待てば海路の日和あり。2ドルで念願のものゲット!!!