よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

特別な年、1995年

2015年03月20日 | いろいろ
よし坊にとって1995年は、これまでの人生の中で忘れられない年である。

今日、3月20日は我が夫婦の結婚記念日だ。38回目を迎えた。「よく飽きもせず来たもんだ」とお互いの老けた顔を見ながら、つい笑いが出てしまう。しかし、1995年に思いを馳せると、あの年はいろいろ有った。

前年の1994年2月、就職以来20年以上住んだ関西から単身赴任で東京に移り、会社指定の単身赴任専用のアパートに荷物を下ろした。場所は亀戸である。そこからJRで新橋まで通った。第二週と四週の金曜日の夕方6時ごろは新幹線に飛び乗り、家のある奈良へと急ぎ、日曜の夕方4時過ぎには家を出て東京に舞い戻る。翌年1月も二週目の13日に奈良へ帰り、連休明けの17日は半休を取って午後から出社する予定にしていた。家を早く出る為ワイフが朝5時40分ごろ起きて下の台所に降りて行ったのだが、よし坊はまだウトウトしていた。今でも忘れない。枕の下遥か遠くから、微だか鈍い音が響いて来た。何だろうと夢うつつの状態でいると、突然の大揺れが来た。唖然茫然、直ぐ向かいの子供部屋へ飛び込んだ。娘二人は起きていて「お父さん、遅い」と叱られてしまった。何もわからないまま家を出て何とか動いていた近鉄で名古屋に出て大惨事を初めて知った。東京に着いたのは夜の7時ごろだった。

3月20日は月曜日でいつもの通りJRで出社した。新橋から歩き、途中でモーニングを食べ8時過ぎには着いてしまう。9時前に同僚たちが出社したきたのだが、いつもと様子が違う。そのうち、いつもビルの地下のコーヒーショップで朝の一杯を飲んでくる同僚が「えらいこっちゃ」と入ってきた。聞くとマスターが来ておらず地下鉄の事故に巻き込まれたらしい、と言う。事件のニュースが広まるにつれて外出どころではなくなってきた。最近NHKで報道された番組によると、オウムは当初から宗教と言う隠れ蓑を着て組織的テロを計画していたというではないか。途中から変節したのではない、まぎれもなき当初からの確信的テロ集団だ。よし坊は宗教の全てを否定するつもりはないが、なんと「宗教」とは危ういものか。だから特定の宗教を信ずるつもりもないし、又宗教家と称する人を信頼することはゼロと言っても良い。

前年の12月28日だったと思う。上司に呼ばれ別室に入った。そこで95年に開設を計画しているアメリカ現地法人の代表として赴任するよう通達を受けた。大学卒業後、いつか海外を夢見て20数年、前の事業所では海外出張は数多く有れど、駐在のチャンス無く、40過ぎての新事業所東京での単身赴任、すっかり昔の夢など忘れていた頃の突然の辞令である。さて、どう話をするか、ワイフに。ワイフは案の定”ぽか~ん”だった。元旦の朝、オメデトウの発声の後、娘たちに切り出した。”今年はアメリカだ”。もちろん”ポカ~ン”であった。1995年6月14日水曜日成田発のJAL直行便でジョージア州アトランタ空港に降り立った。あれから今年で20年になる。

思えば、学校出る迄の20数年の東京暮らし、会社勤めの20数年は関西、そしてアメリカで20年。1995年のこの年を忘れずに、さて、これから何処へ向かうやら。


退潮著しいナデシコ・ジャパン

2015年03月09日 | サッカー
アルガルベ2015が始まっている。女子ワールドカップ前のチーム診断には格好の材料なので、久しぶりにナデシコの戦いぶりを観た。今日の第三戦目は世界ランク二位に躍進したフランス戦。見事に3-1で無様な負けを喫した。一言でいうと、「進化する世界で退潮著しいナデシコ」なのである。

あの、劇的な2011ワールドカップの優勝がナデシコのピークで、これからは下り坂一方になるだろう、と予想したのだが、どうも現実味を帯びてきた。残念ながら、6月に始まるワールドカップでは予選ラウンドは何とか通過するだろうが、多くは期待出来まい。

今日のフランス戦。ディフェンスの弱さもさることながら、全体のパスワークが全くなっていない。特に自陣内でのパスワークは不用意なミスを連発し、”パスワークのナデシコ”の片鱗もない。と言うより、技術的に退化しているかのようである。体力の無い日本人が、技術さえもおぼつかないとなれば、先行きは見えてくる。

今のナデシコの技術には進歩が無いか、退化している。引き換え、世界のチームはパスワークのレベルを上げてきていると考えるべきだろう。力とスピードを得意とする強豪たちがパスワークの精度を上げてきた結果、退化しつつあるナデシコでは、到底世界の上位とは戦えまい。現在、ランクを落として世界4位というが、ワールドカップ後には7-8位へ後退すると予想せざるをえない。

「かつてナデシコには奇跡があった」などとのみ語り継がれるのでは、なんとも寂しい限りである。

レイプ犯がお縄にならないアメリカ

2015年03月01日 | アメリカ通信
広いアメリカの一角に住んでいると、小さく纏った日本で住むのとは異なった社会のシステムを随所に見聞する。最も実感するのが、このアメリカが独立性の強い「州」の集合体である「合衆国」ということだ。州=国と言っても過言でない程の司法立法行政の独立性を保持し、連邦は全体で扱うべき事項を補完するかのようで、役割や権限の棲み分けがなされている。日本から見ると”アメリカはひとつ”に見えるだろうが、そうでないから思わぬ問題も起こる。

昨年、インディアナ州の男が、9年前に起こしたレイプ犯として警察に出頭してきた。しかし、同州では時効が5年の為、無罪放免となった。インディアナ州を含む7州は、最も短い時効5年を採用している。その他の州はどうかというと、6-9年時効が11州、10-20年が12州、時効無しが20州となっている。

日本は強姦罪の時効は10年のようだが、殺人罪と同等の「時効無し」が20州ある反面、まだインディアナ州のように時流に遅れている州もあるというチグハグさがアメリカにはある。さすがに時代遅れと感じているのか、刑法改正に向けて動き出したと報じられているが、州の成り立ちと歴史によって形作られてきているから、そうすんなりとは行かぬらしい。