海外ドラマ、とりわけ犯罪やサスペンスの分野が日本のドラマと比較して圧倒的に面白いのは何か。一言で言えば「限りないリアリティの追求」だろう。日本のドラマは「嘘っぽい」のだ。
最近顕著なリアリティ表現が「裸」である。日常的には風呂或いはシャワー、着替えの場面だが、男女とも下半身ヘアー部分を自然に撮って、全く違和感がない。
事件や事故の死体の扱いにもリアリティが追求されている。およそ20年前に始まったCSI(邦名 科学捜査班)には、ある種の衝撃を覚え、感心したものだ。様々な理由で死体になるが、それらを出来るだけ忠実に再現していた。水死体が時間を経過すると、どういう状態になるのか、高いビルから飛び降りたらどうなるのか、銃で頭を射抜かれたらどうなるのか、等々。
昔 日本でよく合った議論はあまりリアル過ぎると青少年に悪影響を与えるので好ましくないというものであった。だから裸や酷い表現はご法度となる。だが、問題でもある。例えば飛び降り自殺。実際は直視できないほど酷い。しかし、日本のテレビドラマでは血が少々流れ、遺体の損傷など殆どなしである。これでは自殺志願者に飛び降りてもキレイな形で死ねると勘違いを与えてしまう。醜い姿を想像したら自殺を思いとどまる可能性もあるのだ。
昔、当時の女性アイドルだったO.Yさんが飛び降り自殺をした。顔が地面に叩きつけられ、顔半分がつぶれていたそうである。かくも凄惨な状況となるのだ。人間は本能的に自分の死後の姿は安らかでありたいと思うものだ。惨めな姿で終わりたくないと思えば、それが抑止力にもなりえよう。”嘘っぽい”のから卒業しないと、日本のドラマはますます視聴者を失うばかりであろう。
最近顕著なリアリティ表現が「裸」である。日常的には風呂或いはシャワー、着替えの場面だが、男女とも下半身ヘアー部分を自然に撮って、全く違和感がない。
事件や事故の死体の扱いにもリアリティが追求されている。およそ20年前に始まったCSI(邦名 科学捜査班)には、ある種の衝撃を覚え、感心したものだ。様々な理由で死体になるが、それらを出来るだけ忠実に再現していた。水死体が時間を経過すると、どういう状態になるのか、高いビルから飛び降りたらどうなるのか、銃で頭を射抜かれたらどうなるのか、等々。
昔 日本でよく合った議論はあまりリアル過ぎると青少年に悪影響を与えるので好ましくないというものであった。だから裸や酷い表現はご法度となる。だが、問題でもある。例えば飛び降り自殺。実際は直視できないほど酷い。しかし、日本のテレビドラマでは血が少々流れ、遺体の損傷など殆どなしである。これでは自殺志願者に飛び降りてもキレイな形で死ねると勘違いを与えてしまう。醜い姿を想像したら自殺を思いとどまる可能性もあるのだ。
昔、当時の女性アイドルだったO.Yさんが飛び降り自殺をした。顔が地面に叩きつけられ、顔半分がつぶれていたそうである。かくも凄惨な状況となるのだ。人間は本能的に自分の死後の姿は安らかでありたいと思うものだ。惨めな姿で終わりたくないと思えば、それが抑止力にもなりえよう。”嘘っぽい”のから卒業しないと、日本のドラマはますます視聴者を失うばかりであろう。