よし坊のあっちこっち

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海外ドラマは何故面白いか ー 進化するリアリティ表現

2022年07月28日 | アメリカ通信
海外ドラマ、とりわけ犯罪やサスペンスの分野が日本のドラマと比較して圧倒的に面白いのは何か。一言で言えば「限りないリアリティの追求」だろう。日本のドラマは「嘘っぽい」のだ。

最近顕著なリアリティ表現が「裸」である。日常的には風呂或いはシャワー、着替えの場面だが、男女とも下半身ヘアー部分を自然に撮って、全く違和感がない。

事件や事故の死体の扱いにもリアリティが追求されている。およそ20年前に始まったCSI(邦名 科学捜査班)には、ある種の衝撃を覚え、感心したものだ。様々な理由で死体になるが、それらを出来るだけ忠実に再現していた。水死体が時間を経過すると、どういう状態になるのか、高いビルから飛び降りたらどうなるのか、銃で頭を射抜かれたらどうなるのか、等々。

昔 日本でよく合った議論はあまりリアル過ぎると青少年に悪影響を与えるので好ましくないというものであった。だから裸や酷い表現はご法度となる。だが、問題でもある。例えば飛び降り自殺。実際は直視できないほど酷い。しかし、日本のテレビドラマでは血が少々流れ、遺体の損傷など殆どなしである。これでは自殺志願者に飛び降りてもキレイな形で死ねると勘違いを与えてしまう。醜い姿を想像したら自殺を思いとどまる可能性もあるのだ。

昔、当時の女性アイドルだったO.Yさんが飛び降り自殺をした。顔が地面に叩きつけられ、顔半分がつぶれていたそうである。かくも凄惨な状況となるのだ。人間は本能的に自分の死後の姿は安らかでありたいと思うものだ。惨めな姿で終わりたくないと思えば、それが抑止力にもなりえよう。”嘘っぽい”のから卒業しないと、日本のドラマはますます視聴者を失うばかりであろう。

「安倍元総理暗殺」にみる日本の非常識

2022年07月18日 | いろいろ
戦後日本で本当の意味での「政治家」は数えるほどしかいない。国家としての世界観を持ち、自らの信念のもとに実行しようとする政治家のことである。その意味では全く惜しい人を失くしてしまった。それも暗殺という形で。今回の事件後の成り行きや報道をみていると、「世界の常識日本の非常識」が目立って仕方がない。この日本、あるいは日本人の情けない姿はどこから来るのだろうか、と思う。その日本の非常識がいくつかある。

その1 日本のメディアをみると「暗殺」とは書かず、概ね「銃で撃たれ死亡」の文字が躍っている。遠い昔、伊藤博文が隣国で「暗殺」された。社会党の浅沼委員長はヤマグチオトヤに「暗殺」された。警察庁国松長官事件はヒットマンによる「暗殺未遂」である。そして今回もそうである。海外報道はどれもこれもAssasinationで報道しており、おひざ元も日本だけがそのような表現を取らない。そうしたい、或いはそうしなければならない特別の意図でもあるのだろうか、と疑いたくもなる。もしそうだとしたら、全く情けない話である。日本は世界とは異なる集団国家のように見える。

その2 国葬云々の慌てぶり。当初総理及び官邸は国葬には消極的だったようで、ある意味高をくくっていたのではないだろうか。ところが、通夜と告別式に全国から人々が溢れかえるという、総理周辺にとって予想外?の状況が起こった。加えて海外首脳からの弔意のみならず、国葬の有無問い合わせ殺到で慌てふためいたのではないか。

日本以外の欧米諸国は、はなから国葬あり、とふんでいただろう。大統領や首相ともなれば予定が詰まっているから、直ぐに問い合わせをするのが常である。その現実を目の当たりにして、総理官邸はまさに、「えらいこっちゃ」となったのではなかろうか。

よく言われることがある。「前例がないから」。欧米は前例がないなら作ったらいい、という考え。日本は、前例がないなら何もやらない、という考え。世界は限りなくポジティブなのである。世界の中で生きる日本なら、変えていかないと様にならぬ。

Smart or Dumb  あなたはどっち?

2022年07月06日 | アメリカ通信

実はこれ、携帯電話の話。

スマートフォンとはよくネーミングしたものだと思う。盛沢山の機能を付けてスマートな道具、スマートな生活とでも言おうか。世の中、猫も杓子もスマートフォンにしがみついている。NY拠点のLight Phone創業者曰く「宇宙人が地球に来たら、優性種スマホが全て人間をコントロールしている、と言うだろう」。

日本ではひと昔前に「ガラケー」と呼ばれていた携帯がある。おとなしい英語表現ではFeature Phoneと呼ばれるが、他にも言い方がある。最も古くからあるのがBrick Phoneである。直訳すればレンガ型携帯電話。筆者がアメリカに来た1995年、まだ日本ではお目見えしなかったが、すでにモトローラ社が長方形の大きい携帯電話を市販していて、早速仕事用に購入したものだ。確かにレンガに匹敵する大きさであった。だからBrickとは納得である。

もう一つの呼び方がDumb Phone。語呂合わせではないが、「ダメ携帯」と聞こえなくもない。過剰な機能が付いている”スマート”携帯に比べれば、電話とメッセージの基本機能だけなので「ダメ」なのかもしれぬが、このDumb携帯が欧米で見直されつつあるどころか、急速に広まっているというから面白い。調査によると、Dumb携帯の世界販売が2019年4億個に対し、2021年は10億個を突破した。因みにスマホは14億個だが今年から減少に転じているようだ。

広まっている理由は、コストパフォーマンスの一語に尽きる。スマホは本来の携帯の機能よりインターネット接続アプリのSNSやエンターテインメント機能の充実を重点化し、利用者を維持拡大する為に次々と新アプリで利用者を誘い込む。「ハンディで便利」に惑わされて利用者は新アプリの追っかけとなっていった。ここにきて、過剰に不必要な機能に翻弄されていた人達が必要以上にお金を払わされていることに気づき、昔ながらのDumb携帯に戻る流れが出てきたのである。しかも面白いことに、Dumb携帯の主流が老人層ではなくて30~40代らしい。

因みに筆者は何を使ってるかって?もちろん昔も今もDumb携帯、しかもPrepaid携帯である。