よし坊のあっちこっち

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注目の「参政党」 

2022年06月10日 | いろいろ
今夏の参議院選挙に向けて、久しぶりに耳を傾けたくなる新しい政党が出てきた。参政党だ。ここにきて大きな風が’吹きそうな予感がするのは筆者だけでななさそうだ。

前から注目していたのは武田邦彦先生が参政党から出るというニュースを聞いて以来だが、最近の彼らのアピールを聞いていると、極めてまともな、既存の政党にはない「直球型」の感じがするのだ。

我々の中で日頃からうっぷんが溜まっている様々の問題を、一般国民目線で喚起している。本来野党が言わなければならない問題点をストレートにアピールしているから注目されるのは当然だろう。

今、野党の体たらくは酷い。酷すぎるといっても過言ではないだろう。立憲民主党はかつての社会党の運命を辿りつつあるのは明らかだ。先の選挙で注目された維新は母体である大阪維新の会が何やらきな臭い様相を呈してきて、今回は恐らく停滞に入るのではないか。

参政党の今起こしているうねりで議員が誕生すれば、少しは自民党へカツを入れるきっかけになるやもしれぬ。願わくば、実績を積み、次の衆院選挙へもなだれ込んで欲しいものだ。

LBJとJFK

2022年06月07日 | アメリカ通信
1963年世界初の衛星中継の日は衝撃的であった。筆者のみならず、世界中が衝撃を受けたに違いない。JFK狙撃暗殺のニュースであった。そして、LBJ、リンドン・ジョンソンがアメリカの歴史でも数少ない副大統領からの昇格となった。

若くして悲劇の死を遂げたJFKは、その格調高い就任演説とともに、理想に燃えた大統領として今でも人気は高く、様々な場面で引き合いに出される。だが、1962年のキューバ危機回避を功績として任期半ばで凶弾に倒れた。

民主党の上院議長として剛腕でならしたLBJの登場は、ともすれば悲劇の死を遂げた人気絶大のJFKの影に隠れがちで、LBJを評価する時、必ず出てくるのが負の評価としてのベトナム戦争への深入りである。だがそれは、ケネディ政権のマクナマラ国防長官主導による基本政策であり、JFK後を引き継いだBLJとしては不可避の道筋であったろう。このことによりLBJは実質二期目の大統領選への出馬を見送らざるを得なかった。だが、彼の大統領としての功績は別のところにある。。人種差別撤廃に向けて後世の礎を築いた1964年の公民権法はその後のアメリカを変える画期的なものであった。

まだアフリカ系市民への酷い差別が日常であった60年代、白人の大統領として差別撤廃に向けた施策に何故向き合えたのか。その答えは、LBJの育った環境や巡り合った仕事とは無関係ではないと言われている。つくづく、環境や出会いが人を左右することが分かる。果たして、華麗なる上流社会出身のJFKが任期を全うしていたらあの時代に公民権法は実現していたであろうか。

トヨタも進出したテキサスのサン・アントニオ。そこから南一時間半の所にCotullaという、人口4000人弱の小さい町がある。大恐慌目前の1928年、メキシコや他国からの移民の子供たちが通う小学校に学費稼ぎで20歳のLBJが赴任する。人種差別に無関心であったLBJは、メキシコ国境に近いこの町で差別と貧困に喘ぐ人たちを目の当たりにするのである。女性教師ばかりのところに突然登場した白人男性教師は直ちに校長に推挙され、ここから彼は貧困や差別を乗り越える為の精神教育を兼ねた指導を子供たちに進めていく。LBJは一年でこの職を去るが、これが公民権法実現への原点となったとされている。