よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

映画三昧 - 長距離ランナーの孤独 と トム・コートネィ

2016年01月25日 | 映画
最近、「45Years」を観た。45年連れ添った夫婦の記念すべき45周年パーティを前にして突然起こった小さな心のざわつきの一週間を静かに描いたものだ。今年のアカデミーの主演女優賞候補にシャーロット・ランプリングがノミネートされていることもあるが、よし坊の興味は夫役のトム・コートネィだ。

久しぶりのトム・コートネィだ。彼を初めて観たのは、高校の時だろう。新宿のアートシアターに「長距離ランナーの孤独」という作品が掛った。悪さを働き少年院に入るが、脚力を買われ軽作業というニンジンを餌に競技会に出させられる。ところが、優勝が視野に入り始めると、考えを変え、わざと負け、彼の優勝で少年院の評判を一挙に高めようとする権力側の思惑に一矢を報い自己の尊厳と独立性を守る話である。この映画を観て、なぜかこの新人役者が好きになった。

ご存知のように、アートシアターに掛かるのは大衆受けしない作品ばかりだから、この映画も映画オタクくらいしか観ない映画だろう。日本での知名度は殆ど無きに等しかったのではないだろうか。次に彼を観たのは、あの「ドクトル・ジバゴ」での革命戦士だった。これ以降彼の作品は観ていないから実に50年ぶりに彼を観たのである。来月79歳、良い顔になっている。




我が街 アトランタ (3) アトランタに赴任辞令

2016年01月24日 | 風と共に去りぬ の アトランタ
1993年の暮れが近づいた頃、上司に呼ばれた。「君を欲しいと言う関連会社があるが、どうだろうか」。サラリーマンである限り異動や転勤は避けて通りないこと、そして何よりも入社以来22年同じ部署で転機を逸していたのは事実で、遅ればせながらチャレンジ到来と思い、快諾した。

思えば入社以来の22年は楽しかったの一語に尽きる。最初の三年の下積みのスタッフ業務は後々大いに役立ったし、輸出営業に出てからは、上司にも恵まれ、未熟ながらも海外をあっちこっち飛び回らせてもらった。当時の海外出張は、高い飛行機代を使うということもあり、最低でも一週間位は仕事をしてこなければならなかった。従って、無理をしてでも色々と仕事を作る、そんな時代である。一番近い韓国と言えども同じで、日帰りなどはトンデモナイ事であった。しかし、品質事故やクレームとあらば、そんな悠長な事は言ってられない。そんな案件が発生し、大阪ソウル間を日帰り出張した。当時、海外日帰り出張をした社員は居らず、その第一号となった。こう言う事は人事部でも話題になったのであろう。関連会社への異動の時に、この話が出てくるから、人生は面白い。

1994年の二月、グループ会社の中でも、ユニークな存在で、当時世界三大メーカーの一角を占める原料製造メーカーへ異動した。本社が東京なので、関西からの単身赴任となった。東京には前の部署の東京総括のMさんが居たので早速会いに行った。Mさんが主導するアメリカ向けビジネスのサポートをしていた関係で間接的上司として懇意にしていた。一杯飲もうや、の一言で新橋界隈へ。異動の仕掛けはMさんだった。ある日、Mさんは中央線で帰る方向が同じAさんと一緒になった。Aさんは元人事部で、異動先のメーカーの常務に転出していた。Aさん曰く、「輸出経験者を探しているがいいのおらんかな」。Mさんすかさず「うちにおもろいのが居りまっせ」。これでどうも決まったらしい。

東京本社での挨拶で、A常務の所に行った時。「おう来たか。昔韓国に日帰り出張したのは君だったな」。

新天地での仕事はてっきり輸出関連を担当するものだと思っていた。ところが、3か月毎に色々な課に配属され、どうも仕事の焦点が定まらない。輸出を手伝ったかと思うと、技術開発へ。市場開発と思ったら受け渡しへ。その頃からアメリカに会社を設立する話が広まり、誰が行くのかが、あちらこちらで話題になるようになった。よし坊には縁の無いこと、と我関せずで師走の最終日を迎えた。本部長に呼ばれ「来年アトランタに販売会社を設立するので初代で行ってもらいたい」。他人事と思っていたが、これで今までの全てが腑に落ちた。

若い頃は海外に夢を馳せ、中年になれば最早チャンスは無いと諦め、それでも新天地で培った経験を少しでもお役に立てようかと思っていたら、えらいこっちゃ。

明けて正月元旦、爆弾発言をすることになる。家族一同を前に、「今年、準備ができ次第アメリカはアトランタと言う所に転勤する。単身赴任はしない。皆一緒に行く」。一同呆然であった。

こうしてアトランタ行きの準備が始まった。




絶妙のタイミング、蔡総統の”新生”台湾

2016年01月18日 | いろいろ
台湾の新総統に中国と一線を画す野党の蔡主席が誕生した。中国と一線を画そうとしている蔡新総統の誕生は、時期が時期だけに極めて重要な意味を持つ。

親中国を推し進めた馬前政権から中国に距離を置こうとする蔡新政権の誕生は、中国経済が大きく揺れ始め、鳴りを潜めていた東南アジア諸国が露骨に反旗を翻し始めている今だからこそ、日本を含むアジアの安定には大きな意味を持つだろう。反対に、東及び南シナ海での覇権拡大を狙う中国にとってはまことに面白くない。

もちろん台湾は常に微妙な立場にある。経済的には中国依存度は高いから大っぴらな喧嘩を出来ない。さりとて、台湾の中国併合を捨てていない現共産党の中国には屈するわけにはいかない。蔡新政権は微妙な舵取りをしていかなくてはならないが、共産党がかつての蒋介石国民党を台湾に追放した歴史的事実は大きい。

中国のバブルがはじけ、株価急降下で先行きの経済にも暗雲が立ち込めた今、それを見透かしたかのような新政権の誕生ではないだろうか。

ひれ酒

2016年01月10日 | アメリカ通信
日本ではよくお酒を飲んでいたが、アメリカに来てからは車社会の影響で激減し、通風をやってからは更に減り、今では週二回飲むのを日常としている。飲む日は、最初にビールを一缶。次は夏場ならウィスキーか焼酎の水割り1~2杯、あるいは冷酒を飲む。これが冬場だと当然熱燗となる。

冬の酒は熱燗に限るが、これにひれ酒が加わると言うことがない。

今から二十年前、アメリカに赴任するというので、取引商社の方々が浅草橋の割烹居酒屋で送別会をしてくれた。活きのいい魚料理を堪能させていただき、大きなヒレが入ったひれ酒を思う存分ご馳走になった。そして帰りがけにひれがどっさり入った袋をお土産にいただいたのである。関西にいるときもスーパーなどで袋入りのひれを買ってきては家でひれ酒を楽しんでいたが、ひれの大きさが違う。いただいたのは立派なひればかりであった。

以来アメリカでも冬の一時、毎年少しづつではあるが、ひれ酒を楽しんできたのだが、さすがに今から十年前の痛風の一件以来、どういうわけか、ひれ酒を飲むのをすっかり忘れていた。昨年の晦日近くになって突然ワイフが年末くらいひれ酒を飲んだら、と言ってくれて思い出したようなことである。

しまってあったひれは貰った時そのままで、今でも袋の中で健在だった。こういうものは二十年経っても変わらないものなのか、といささか驚き、そして顔が思わず緩んだ。これで当分また飲めるわい。

昨日もひれ酒だった。残りから推定してあと3年くらいは楽しめそうな量である。アメリカで飲むひれ酒はまた格別だ。ひれ酒はなぜか悪酔いしないのが頗るよい。

今朝は我が家風七草粥

2016年01月07日 | アメリカ通信
セリ、ナズナ、・・・・・・・。七草の名前だが、もちろん全部覚えてはいない。それでも今日は七草粥の日。

日本に居たら、目まぐるしい日本的喧噪の日常に埋没し、TVコマーシャルやスーパーのチラシに踊る宣伝文句を横目で見ながら、七草粥など食べないだろう、とワイフと話しながら、今年の七草粥を美味しくいただいた。もちろん、日本で手に入る七草などないから、ある物での間に合わせであるが。

日本を離れて暮らすと、海外のイベントがしっくりこない。やはり日本的なものへ自分たちをリンクしたがるのは致し方あるまい。そうか、来月は節分だな、となる。

ワイフの里が奈良の吉野。奈良県は昔から朝食はお粥だったらしい。小学校までは毎日お粥を食べて学校に行っていたという。考えてみれば、その昔中国からはるばる日本へ多くの唐人達がやってきて、日本の礎を築くサポートをしてくれたわけだから、その時に中国伝統のお粥の習慣を持ち込んだのかもしれない。

ワイフの影響か、二三日前に、日本に居る長女が七草粥がどうのこうの、と言っていた。彼女も結構日本の伝統をフォローしているようだ。


2016 冒頭 日常・雑感

2016年01月01日 | アメリカ通信
アメリカに来て20年。お正月に帰ったことが無いので、毎年それなりのお正月をここで過ごしてきた。最初はワイフも張り切って、出来るだけ日本に近い御節を作ったものだが、それでも食材に限りあり、で日本のようにはいかない。その内容も年々細ってきて、そのうち無くなってもいいのかな、と思いつつ、毎年それなりにワイフが作る。日本でも元旦から店が開くようなので、「三が日」が意味のないことになりつつあるのだろう。ともあれ、朝は我が家風簡単御節にお酒で乾杯、残ったものは夜に何とか平らげようとワイフと話す。

先週NBショップで頼んでおいたシューズを今日取りに行った。前から欲しいと思っていたトレイル・ウォーキングの茶色ヌバックシューズだ。昔からスポーツシューズでは素材にこだわりがあり、ヌバックとかピッグスキンとかのシューズには目が無い。今回のモデル969もそのひとつで、これでヌバック物はアディダスのヌバックと併せ二つとなった。

今年は日本の運転免許証の切り替えなので10月前後には帰らないといけない。ワイフはよし坊の一年後が更新サイクルだが、今年は一緒に帰りたいというので、吉野のお婆ちゃんが亡くなった2011年以来の、久しぶりの二人一緒の日本行きとなりそうである。毎回日本に帰る度にカラオケに行き、思い切って演歌を歌って帰ってこようと思うのだが、二週間という日程の中ではなかなか難しく、いまだに実現していない。今回もワイフが是非行きたいと言うのだが、どうなることやら。

日本に行って欠かさず行くのが天王寺の「吾作どん」か、同じチェーンで、直ぐ横にある「吾作亭」。今年は既に決まっている所がある。トリキ、そう鳥貴族である。まだ行ったことが無いので、安くて美味い、とくれば行かないわけにはいかない。自分の舌で確認せねばなるまい。それから鮨だ。着いた日は間に合えば家から歩いて行ける回転ずしの「浜ずし」へ行く。もう一回は大阪の天六で御三家のどれかに行くか、混んでいれば梅田の東通り商店街近くの寿司横丁へ顔を出す。

最後に残る問題はラーメンとなる。今回は家から行ける「ラーメン無鉄砲」を目指すつもりだ。灯台下暗しで、実はこのラーメン屋を知ったのが、つい先日アトランタの知人宅に来ていた知人の甥と話していたら、いきなり「無鉄砲」のラーメンが美味いときた。東京の人だから、てっきり東京のラーメン屋かと思ったら、確かに東京中野に一軒あるが、本店は関西で大和郡山だと言う。本店は実は奈良の隣の木津だが、他に大阪浪速区に一軒で合計4軒のチェーン店だ。これも賞味せずにはいられない。アメリカ人が日本から帰ってくると空港のハンバーガーショップに駆け込むように、よし坊からラーメンを外すことは到底出来ない。

所詮、日本へ行った時の楽しみは「食」しかあるまい。