何処の国、どんな組織でも”イジメ”は昔からある。しかし、その手口が巧妙かつ陰湿度アップされるに従い、被害の数は増え続け、問題の深刻さは手が付けられないくらいに深くなっている。日本では、まだ”イジメ”が立派な犯罪であるという認識が薄く、犯罪である事で罰する法的整備が全く置き去りにされているように思える。いつもアメリカを引き合いに出さざるを得ないのだが、そういう点では、アメリカは問題認識の感度はレベルが高いし、そのためのルール作りは格段に早い。結局の所、社会の安全性の一つは、社会のセイフティ・ネットである法律がどれだけ整備されるかで測られることになる。
今、アメリカで「イジメという犯罪を知りつつ傍観した者は加害者である」というルールを整備しようとしている。現在の法律では、イジメの直接実行者は加害者としての罰則を受けるが、傍観者は別の罪状で軽い罪に問われるだけである。日本では傍観者は罪にはならないだろうから、アメリカのそれは、やはり厳しいと言わざるを得ないのだが、更に進めて、傍観者も”加害者”としてより重い罪に問おうというものである。傍観者と加害者ではそのイメージも大きく異なり、社会的制裁も違ってくるはずだ。
日本も余程考えた方がよい。
今、アメリカで「イジメという犯罪を知りつつ傍観した者は加害者である」というルールを整備しようとしている。現在の法律では、イジメの直接実行者は加害者としての罰則を受けるが、傍観者は別の罪状で軽い罪に問われるだけである。日本では傍観者は罪にはならないだろうから、アメリカのそれは、やはり厳しいと言わざるを得ないのだが、更に進めて、傍観者も”加害者”としてより重い罪に問おうというものである。傍観者と加害者ではそのイメージも大きく異なり、社会的制裁も違ってくるはずだ。
日本も余程考えた方がよい。