よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

イッツ JAZZ -Takana Miyamoto

2007年04月30日 | Jazz
宮本貴奈のフリーのジャズ演奏があるというので、久しぶりの生ジャズを聴きに行った。ミッドタウンのミュージアムの広場での演奏である。
しかし、暑い。最初は目の前に陣取ったが、かんかん照りで、直射を浴びながらは辛い。聴いているのは我々とあと二組くらい。気がついたら、皆 木陰組。さすがにたまらず近くの木の下に移動。

宮本はアトランタを拠点に全米で精力的に活動しているピアニストで、日本ツアーも定期的にやっているようだ。

トリオ演奏だが、ドラムスが何と、あのMarty Morel。マーティ・モレルと言えば、ベーシストのエディ・ゴメスとともにビル・エバンストリオの一角をなしていたドラマーである。宮本は折に触れて、よく彼とトリオを組んでいるらしいのだ。

スタンダードや彼女のオリジナル等小気味よく聴かせてくれたが、最後の方で、ビル・エバンス・トリオでよく演奏されていたMorning Gloryをやってくれた。懐かしくも、綺麗な曲を聴かしてくれたものだ。ご満悦である。

これを機会に、暫くは宮本貴奈の世界に入れ込んでみようと思っている。



念願のキーウエスト

2007年04月26日 | 旅行
今、フロリダのキーウエストにワイフと来ています。車でI-75を南下、終点のかなり手前でローカル41へ入りトコトコやってきました。

結婚30周年に何処へ行こうかと思案していたのですが、キーウエストもその気にならなければ中々来れませんし、最南端というふれこみも魅力的でありますので、ワイフのイチオシであるイタリアを押し切ってのキーウエストです。

マイアミから約3時間、遠浅の海を左右に見ながら、延々と続くドライブ。写真は昨日撮った最南端(Southernmost)ポイントです。デジカメがあるおかげで直ぐ写真も載せれれる。まことに今の世の中便利なもんです。
ここからキューバが90マイルだそうです。キューバを脱出しアメリカに来たくもなる距離です。ってな訳で街と隣り合わせに基地があるのも納得。

オモロイ話でもあったら後報いたします。

さて、当地の滞在メニューですが、街を足で徹底的に歩く、へミングウエー、朝日と夕日のの鑑賞、できるだけ美味しいものを食べる(やはり日本食か)。そのくらいでしょうか、楽しみ方は。

銃社会の悲劇

2007年04月20日 | アメリカ通信
旅行中にとんでもない事件が、飛び込んできたものだ。今週起こったバージニアの大学での銃乱射事件である。何年か前のコロンバイン高校の乱射が記憶から薄れ掛けていただけに、またか、と言う感じだ。

事件が起こったブラックスバーグの近くに3週間前に仕事で行ったが、本当に何も無い山間の村というか町である。およそ、事件など、日常では起こらないと思わせるようなのどかな所。ある学生が、最も安全そうな土地だったからこの大学を選んだ、と言っていたのも頷ける。

だけど、良く考えてみると、どんなに安全そうな場所でも、狂気の一人が存在すれば、コレだけの事件になるということで、人間様次第だというところが怖い。そして、いつも思うことだが、アメリカがこのような悲劇を繰り返すのは、やはり、銃社会であるから。確かクリントンの時にかなりの銃規制をやったのだが、ブッシュ或いは共和党と言ってもいい、彼らはどちらかと言えば銃容認派だから、緩みつつある。要するに簡単に銃が手に入るのである。我が、ジョージア州も共和党の知事に替わってから、銃携帯(但し車の中で)法案を通そうと審議している(上院を通る見込みなので、早晩そうなる)。狂気に銃と揃えば、行き着くところ殺戮の文字。

同じ頃、日本の三重県での地震が報じられたが、アメリカと日本を象徴するような記事があった。地震当日、被害にあった某市の市長はお客とゴルフに興じ、報告を受けても指示はするが、そのまま続行、更には懇親会食までやっていたという。これがニュースになり、慌てて反省の弁の体たらくで、なんともお粗末の限り。
一方、前週からアジアを訪問し、乱射事件当日から東京で始まるアジアトレード会議に出席予定のバージニア州知事は即刻戻って、陣頭指揮の声明を発するのである。

危機管理能力は雲泥の差だろう。この差を生む一つは、ブレーンの充実とそのチームワークだろう。日本型の政治では、これが無いに等しい。その点、アメリカ型はすばやい行動力実行力を備えている。日本人はチームワークと和に富む人種だと巷間言われているが、こと、政治の世界ではアメリカのほうがはるかにチームワークに優れている。一般市民を含めたアメリカ人の政治の成熟度は日本と比較しては失礼な程高度であるというのが実感。

三重の某市長などは、次の選挙では引き摺り下ろすことだ。


師匠の話ーネバーギブアップ

2007年04月09日 | いろいろ
我が師匠の話をしていきたい。以前書いた「火事だ」の沈着冷静な上司殿である。名前はkkさん。よし坊より約20年先輩である。この先輩から直接間接に様々なことを学んだ。彼は、師匠と思われていることは、ゆめゆめ知るまい。しかし、彼はまぎれもなく、師匠である。

入社配属された部署で新事業を立ち上げた。既に先発企業がいたが、向こうは外国技術、こっちは自前技術での立ち上げだ。しかし、世の中、先発と二番手ではこうも違うのかと思う位、距離が離れている。二番手は先発を追いかけることから始まるが、追いついたと思うと、スーッと先発が先へ行ってしまう。だからなかなか抜けない。これ即ち「二番手の宿命」と言う。

さて、意気盛んに先発追撃を始めたが、市場は手ごわい。立ち上げ2年のところでとんでもないことが。品質クレームである。素材の構造劣化から素材にひび割れが起こった。kkさんはこの技術の開発者にして、技術の元締め、そして工場長である。が、原因究明は、そう簡単ではない。時間がドンドン経つ。ついには、この事業を続けるか止めるか、の議論までになった。

結局、過酷な使用環境に使われる特定分野は、一時撤退、問題の少ない分野での事業続行となった。そして、事業の経営責任者は退陣となり、開発者であるkkさんは、工場長の任を解かれ、戦犯の如き扱いにて、本社勤務の閑職となった。

サラリーマンの閑職とはいかなるものか。それを真近かに見させた貰った。まず、今まで本社に無かった部長席が出来た。しかし、机は一つポツンと離れ小島。閑職とはなったが彼は生みの親として執念を燃やしていた。原因究明だ。彼には、コレではないか、という一つの推論があったが、証明しないと断定できない。閑職だから表立って動けないので会社の金は使えない。殆ど自費でやるしかない。彼の推論はカビによる構造劣化。カビが素材を食べるのだ。対策を打った素材を土中に埋め、カビに食べさせて耐えられるか、それとも食べられてしまうか。一年の辛抱が始まった。

推論どおり、カビであった。矢継ぎ早に対策が打たれ、再挑戦が始まった。以後、この製品、先発品に比べ、触感は相変わらず悪いが、カビによる構造劣化には抜群に強い製品として評価が定まった。

当時は、よし坊も駆け出しのペイペイ。直接話す機会など殆ど無く、ただ横で事態を見ているだけ。開発者であるが故に、自分の子供を再生蘇生させる為に見せた師匠の執念には驚くばかりの新人よし坊だったが、このカビ研究で師匠が右目の視力を失っていたと知るのは後のことである。

Gold Pfeilの価値

2007年04月04日 | いろいろ
結婚して10年くらい経ったころだろうか、ドイツ出張の折、人に勧められてワイフの土産にGold Pfeilのショルダーバッグを奮発して買って帰った。気に入ったのか、よく使っていたようで、その後アメリカに来てからも愛用していた(写真)。

時が経てば、皮にも疲労が起こるは当然だ。ある時、肩紐が本体に縫い付けられている部分でちぎれてしまった。見ると、確かに屈折疲労が激しい。残念だが、そのままお蔵入りとなって、4~5年が経った。

2003年のことである。我が家も遅ればせながらデジカメを手に入れた。たまたま、ワイフが納戸でバッグの整理をしていたのだが、お蔵入りの例のショルダーが話題になった。肩紐がちぎれただけで使えないのは何とも残念である。

アメリカは、町のあっちこっちに靴や服の修理寸法直しの店がある。靴底の張替えやズボンの裾直しをやったことはあるが、バッグ類は頼んだことが無い。有名ブランドということもあり、町の修理屋に出す勇気が出て来ない。そこで、インターネットで本社サイトに行ってみたのである。

画面の隅にCustomer Serviceのメアドがある。ドイツは、オッフェンバッハにある本社宛に「いつ頃何処で買ったか、ワイフが愛用していて、直せるならお金を払うので見積もりをして欲しいこと」を書いて、デジカメで撮ったバッグの写真を添付して送ってみた。正直なところ、返事は期待せずの、所謂ダメモトめーる。

二日後、メールを開けると、な、なんと、返信アリ。そこには、責任をもって直すので送れとの指示。しかも、修理費は無料とある。それがGold Pfeilのポリシーとある。え、ホンマかいな?。ワイフもよし坊も感激の瞬間であった。

暫くしたある日、FEDEXが届いた。「これからも愛用してくれ」とある。かくて、愛用のバッグが何年ぶりかで日の目をみたのである。さすがに高いだけのことはある。それとインターネットとデジカメ。これが無かったら恐らく日の目を見なかったろう。カムサハムニダ。

今年は変だ! 3月狂い咲き

2007年04月01日 | アメリカ通信
今年も怪しき天候。

例年アメリカ南部では3月に梨の花、4月の第一週頃に桜、その後ハナミズキ、ツツジと続くのが順序。ところが、今年は全部3月に咲くという大波乱。折角3ヶ月楽しめる花ショーもたったの1ヶ月足らずで、唯でさえ楽しむことの少ないこのアメリカ、面白くも何とも無い。

そうであるからして、毎年4月に入ってからの桜見物を慌てて先週の日曜日に挙行するも、満開を通り越し、既に葉桜になりかけて、オーマイゴッド。写真はこの時のもの。

アメリカで有名なワシントンのポトマック河畔の桜祭り、遠くて簡単には行けぬから地元で済ますは道理。ここアトランタ近郊にも、サクラ鑑賞に堪える見事な一角がある。昔さる有名日系企業進出の折に植えたものが、たいそう立派に育ち、その企業が撤退するまで毎年桜祭りをやっていた。

今や主はいなくとも毎年立派に咲き乱れ、しかし旬に日本式弁当などを持参して桜見物としゃれ込むは我夫婦のみの様相にて、ちょっぴり寂しさが伴う。頭の中では日本のサクラ満開の下でゴザを敷き、弁当広げ酒を飲む図を想像しながらも、ポツンと二人アルコール抜きのサクラ弁当である。

地球温暖化、そのうち、サクラは冬に咲く。