よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

映画三昧 ー ハリソン・フォード 

2021年02月22日 | 映画
ブレード・ランナーで一躍注目を浴びて以来、冒険やアクションものを中心にハリウッドでのポジションを築いてきたハリソン・フォード。彼のヒット作のひとつ、インディアナ・ジョーンズの最終編の話が今出ているようだが、今更もういいのではないか、と思うのはよし坊だけであろうか。

数ある作品の中で印象的だったものがいくつかある。

最近彼の古い作品Hanover Streetを観た。第二次大戦のロンドンを舞台とした戦争ラブロマンスである。懐かしい女優の名前が見えた。レスリー・アン・ダウンだ。同じ共演者には先日亡くなったクリストファー・プラマーが彼女の夫役。ハリソン・フォードのアクション冒険ものもよいが、最期にホロリとくるこんな映画もいい。

私が一番好きなハリソン映画では、Witness(目撃者:日本では刑事ジョン・ブックで公開)がいい。アーミッシュがアメリカでコミュニティを形成しているのを知ったのはこの映画である。アメリカに来て二度目に観た時はひとつの発見があった。その頃 Vigo Mortensenがブレイクしかけていたのだが、Witnessの映画にちょい役で出ているではないか。これがあるから、古い映画を観るのが楽しくなる。つかの間の恋を入れての刑事サスペンスもの、ハリソン映画では多分イチオシの出来ではないだろうか。アカデミーにノミネートされていることからもそれはうかがえる。

人は喋るとホンネが出る ー 森発言検証

2021年02月17日 | いろいろ
森喜朗五輪組織委員長が舌禍で辞任に追い込まれた。それに対して様々な意見が飛び交っている。辞任するほどの発言でもない、という意見もあれば(日頃から横暴な)マスコミが発言の一部を切り取って辞任に追い込んだ、というのもある。日頃はまともな論陣を張るコメンテーターまで”不適切発言ではあるが、真意が曲解されている”などといささか期待外れの発言まで出ている。

さて、全文を読んでみると、大した発言ではない、とか真意が曲げられている、というレベルではなく、やはりアウトな発言だと分かる。最後に言いたかった事を強調する為(?)に日頃感じていたホンネを引き合いに出してしまったのだろう。彼のロジックを簡潔に言えばこうだ。「世の中、いろいろな組織や理事会に女性が進出しているのは喜ばしいことではあるのだが、実のところ、女性が多くなると会議が長引いてかなわん。困ったものだ。その点、五輪組織委員会の理事会にいる女性たちは(何故か、たまたまか)男性並みの働きをしていて素晴らしい」。要するに、組織委員会の女性理事は男性並みによくやってくれていることを言いたかったのだろうが、日頃のホンネ論を展開してしまった。

この発言を受けて、大挙してボランティアが辞めたことは象徴的である。森発言に不快感を覚えて辞めたのである。現代では職場において、性別等に関して不快感を与えた場合、その時点で、これは立派にハラスメントに該当してしまう。不快感を与えたらアウトなのが国際常識なのだが、日本は依然としてこの領域では後進国に属している。

参考までに、全文をサマリーする。3段に分かれている。

第一段(自分がドンの)ラグビー協会の理事会は今は女性が入っているので、女性がいなかった時に比べ、倍の時間がかかっており、これは恥ずかしいことである(これのどこが恥ずかしいことなのだろうか?)

第二段 女性は優秀(と持ち上げ)だが競争意識が強い。女性を入れる場合は発言に時間制限が必要だ、と誰かが言っていた( 自分の意見では?)。

第三段 組織委員会の女性は皆国際経験も豊かで素晴らしく、大いに役立っている。だけど欠員が出るとすぐ女性を入れたがる(女性を増やそうとしているのだから当然ではなにのか? それを”入れたがる”とは蔑視と取られても仕方がない)。

国際社会は差別には殊更敏感だが、日本はかなり鈍感だ。だが、舌禍を引き起こしたら、真意はどうあれ、退場するのがルールである。


ニセモノはなくならない

2021年02月14日 | いろいろ
戦後の日本復興の端緒は主としてアメリカからの軽工業品の受注に伴う輸出に始まった。しかし、当初の日本製品質は決して褒められたものではなく、アメリカから見れば「安かろう、悪かろう」と言うイメージが定着し、海外ブランドの流入につれ、模造品、即ちニセモノづくりも広がっていった。日本人の努力の甲斐あって、その後「品質の日本」とまで言われるようになったが、一方、ニセモノづくりは韓国中国に拡大して今日に至っている。だが、日本ではニセモノづくりが無くたったかと言えば、そうではない。今でもたまに摘発されることがある。

以前こんな話を聞いた。ルイビトン等の高級バッグ類を偽造して逮捕された関西人に言わせると、捕まって塀の向こうで2~3年過ごしても、出所したらまたやるそうだ。偽造バッグは相当なぼろ儲けなのでムショ暮らしの期間でも家族の暮らしは安泰らしい。だからまたやる。懲りない面々だが、プラスマイナスの勘定がきっちり出来るから、くさい飯を食っても止められないのだという。

消費者側でも面白い話がある。あるTV局がニセモノ特集を組み、有名ブランドのバッグを持って街を歩く女性にインタビューをした。全員本物を持ち歩いていると思いきや、中にはニセモノと知って堂々と持ち歩いている女性が何人かいた。いずれの女性も本物も持っているが、それは家に置いてあるという。汚れたりするのが嫌だから、普段はニセモノを持ち歩き、本物はここぞという時しか使わないとか。面白い消費者側の需要心理だ。

この数年ネットショップが小売りの主流になり、アマゾンや楽天が幅を利かしている。固有ブランドのネットショップなら問題はないが、単に売買の場を提供するだけの楽天などのショップ形態は今でもトラブルが多い。その一つがニセモノ販売の横行だろう。お金の集まる所には常にワルイ輩が蠢く。

最近のニセモノは表面の作りは精巧だから判別しにくい。ロゴやネームの位置、裏についてるタグなど見える所はチェック出来るが、問題は中側にある。例えば靴などは中底など見えない所に安い不良品を使う。衣服だと、規格外の糸で織ったり、糸の使用量を少なくしてごまかす。見えない所でのゴマカシは自由自在と言ってもよい。ブランド品は決して変な安売りはしない。新品で半値が付いたら疑ってかからねばならない。ニセモノ承知で買うなら別だが。

昭和の足跡(21)新宿西口

2021年02月08日 | 昭和の足跡
今でもあるのだろうか、新宿西口の駅と線路に沿った道。

小学校のころ、たまに親父に連れられて都電で新宿西口へ落花生を買いに行っていた。西口の道に沿って賑やかに商売の店が立ち並び、威勢のいい声が飛び交う。露天商も含め何でも売っていたように思う。

親父は落花生が好きだった。あの頃、駄菓子以外のお菓子といえば落花生、かりんとう等々。かりんとうでは思い出がある。当時はよく中に虫が入っていた。もちろん加工後だから死んでいるのだが、やはり気持ち悪い。だから今でもかりんとうを食べる時は一口では食べない。かならず割って少しづつ確認しながら食べるのだ。習性とは恐ろしいものだ。

新宿西口。あの頃の雰囲気が懐かしい。