よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

似て非なる物 韓国食品 (1)ウドンと蕎麦

2022年10月11日 | アメリカ通信
アメリカ生活の食生活は概ね韓国スーパーのご厄介になっている。日本食料品店もあるにはあるが、殆ど輸入品だから高い。どうしても日本品でなけらばならないもの以外は日本品を真似した韓国品で済ます。何せ韓ちゃんは昔からコピーがお得意だから、それを承知で使ったり食べたりして期待外れとなっても腹も立たぬ。日本品を一応100点とするならば韓ちゃん品はよくて60点がせいぜいか。

まず、日本人必需品の蕎麦(乾麺)。これの当たり外れが実に多い。大外れになると、麺を沸騰した湯に入れてしばらくすると2~5センチ程度に切れてボロボロになる。食べるのにツルツルとはいかない。スプーンで掬ったほうがはやいくらいなのだ。最早蕎麦とは言い難い。どうしたらこんなものが出来るのか。バラつきが酷すぎる。昔から製造バラつきが有名な韓ちゃん商品、相変わらず直らない。

こんな蕎麦もどきを食べながら、いつも思い出すのは1970年代後半から1980年代前半にかけて仕事で韓国に出入りしていた時のこと。ソウルの日食食堂(一応日本食)で食べるウドンは日本に近かったが、蕎麦だけはダメだった。それを泊まっていたホテル内にある日本食レストランの日本人の大将に話したところ、ウドンはある日本人が口酸っぱく教えてなんとか形がついたが、蕎麦はいっこうによくならない、と言っていた。

ウドンと蕎麦がこれだけ違う。こちらで打っている冷凍ウドン、韓ちゃん品だが”讃岐風”と銘打って売っている。歯ごたえは合格レベルだ。50年前の差が今も続いているように思える。

親父の人生(4)継子いじめ

2022年10月07日 | 昭和の足跡
親子の継子は憎さ百倍、居候のほうが他人だからまだマシということか。

或る時、親父がポロっと言ったことがある。あまりのイジメで大騒ぎとなり、台湾現地の新聞沙汰になったことがある、と。相当酷い仕打ちだったに違いない。その時の騒動かどうかは定かではないが、酷さを裏付けるものがある。

小学校の頃は、よく親父の戦争の話を聞いていたのだか、ある時親父の左耳の少し上の部分に幅5~7ミリ、長さ3センチ程度の傷が垂直にあるので聞いたところ、戦争で敵の弾がかすめた傷だ、と説明してくれた。その時は、よく当らなかったものだ、と感心したものだ。

だが、この話はよくよく考えると、どこかおかしいのだ。後年、しかも親父が亡くなった後、いろいろ親父のことを考えていた時、ハタと気が付いた。傷は垂直にある。弾が真上から飛んでくるはずはない。従って弾丸などでは決してない。考えられるのは「焼け火箸」である。そう考えると形状、火傷特有の少し引きつったような剝き出しの皮膚が「焼け火箸」の答えを出している。

継母の仕打ちは親父が中学を出るまで続いたものと推定されるが、これが親父が後に家を出て、その後一切実の父親とも没交渉になった最大の要因だろう。

ウクライナ戦争 ハイテク職人の戦い

2022年10月04日 | アメリカ通信
ロシアのウクライナ侵攻はウクライナの粘りと西側NATOの支援でロシアは予期せぬ泥沼化に入り込んだ。この戦争の大きな特徴は、ウクライナの効果的な無人機ドローンの活用だろう。ロシアはドローン攻撃で大きな被害を余儀なくされている。この活躍の背景には、ウクライナのハイテク職人とも言える民間集団が活躍している事はあまり知られていないが、そのルーツを辿ると興味深い。

ウクライナは元々エンジニアリング立国、技術集団なのである。その象徴が「Igor Sikorsky」であろう。世界で最初に飛行機を飛ばしたのは有名なライト兄弟だが、その後現在に至るまでのヘリコプター、戦闘機、旅客機の航空産業の基礎を築いたのがウクライナ出身の「Igor Sikorsky」である。

帝政ロシア下、現在のウクライナのキーフで生まれたシコルスキーは19歳の時、ドイツでライト兄弟の偉業を目の当たりにし、人生の進路を航空機作りに決める。以後次々と試作品を開発していくが、1917年のロシア革命で身の危険を悟りパリ経由でアメリカに移住する。1923年Sikorsky Aviation Companyを設立、現在のヘリと航空機の基礎を作りアメリカ航空機産業へ多大の貢献を果たし、ウクライナ系アメリカ人として人生の幕を閉じた。今、その名前は「Igor Sikorsky Kiev国際空港」として名を留めている。

理不尽なロシアの侵攻は”もの作り”の伝統を背景としたウクライナの職人気質を蘇らせることになった。国家存亡の危機に国家の要請に応えて軍のサポートに立ち上がったのが、一民間人のハイテク職人ユーリ・ヴラシュクである。

2007年サンフランシスコで科学技術分野で活躍する職人達が世界中から集い、アイデアや経験を交換する”Maker Faire”がスタート、ヴラシュクは常連となり、ウクライナでの活動の中心人物となった。一方、2014年のロシアによるクリミア強奪を契機にウクライナは航空監視及びドローン攻撃を任務とする部隊を創設した。今回のロシア侵攻により大幅な航空監視体制と大量のドローンが必要と判断した部隊は既存のドローン大量買付けを前提に攻撃性能アップが不可欠と判断し、ヴラシュクを招き入れたのである。彼の呼びかけでウクライナ全土から技術者や職人が参集、ドローンの改良・補修・整備に必要な生産体制を作り上げ、前線での対ロシア攻撃の正確性、優位性を見事に証明した。