娘がオハイオからニュージャージーに移り住んでかれこれ7年くらい経つだろうか。今回初めて娘の住む町へやって来た。ジョージアから約850マイル、休憩無しで走れば14時間くらいだが、もう若くはない。途中ウェスト・バージニアで一泊した。
以前から機会があれば念願のニューバランスのマサチューセッツ州ローレンス工場を訪れたいと思っていた。ニュージャージーからだと片道4時間強で行けるので、昨日ワイフと5時起きして出発した。
もちろん、工場を訪れると言っても、関係者でもないので工場の中に入れるわけではない。それでもいつか行ってみたいと思ったのには理由がある。
今から30年も前のことだが、その当時、日本の会社の海外担当として飛び回る中で、初めてニューバランスでプレゼンの機会を得た。それがローレンス工場だった。
工場の前に着いて、まず目に飛び込んできたのが実に印象的な古いレンガ色の大きな建物だった。中も下は昔ながらの木製の床であり、高い天井もむき出しだった。部屋に案内される途中、昔は大きな繊維工場だったと聞いて納得した。
この繊維工場とニューバランスの歴史をひもとくと興味深い。1906年ボストン近郊で旗揚げしたニューバランス。、少し遅れて1909年、ローレンスではThe Ayer Millsが現存している記念すべき工場ビルを建てている。繊維産業の衰退で繊維工場は閉鎖したが、そこをニューバランスは買い取り企画生産の本拠地として現在に至っている。
工場のプレゼンをきっかけに、少量ながらハイエンドのランニングシューズへの新素材採用が決まり、当時毎年開催されていたスーパーショウで華々しくデビューした。以来、ニューバランスのファンとなったのは言うまでもない。
たかだか建物を見るだけに片道4時間もかけて、と思われるかも知れぬが、よし坊にとっては念願の貴重な一日だった。
以前から機会があれば念願のニューバランスのマサチューセッツ州ローレンス工場を訪れたいと思っていた。ニュージャージーからだと片道4時間強で行けるので、昨日ワイフと5時起きして出発した。
もちろん、工場を訪れると言っても、関係者でもないので工場の中に入れるわけではない。それでもいつか行ってみたいと思ったのには理由がある。
今から30年も前のことだが、その当時、日本の会社の海外担当として飛び回る中で、初めてニューバランスでプレゼンの機会を得た。それがローレンス工場だった。
工場の前に着いて、まず目に飛び込んできたのが実に印象的な古いレンガ色の大きな建物だった。中も下は昔ながらの木製の床であり、高い天井もむき出しだった。部屋に案内される途中、昔は大きな繊維工場だったと聞いて納得した。
この繊維工場とニューバランスの歴史をひもとくと興味深い。1906年ボストン近郊で旗揚げしたニューバランス。、少し遅れて1909年、ローレンスではThe Ayer Millsが現存している記念すべき工場ビルを建てている。繊維産業の衰退で繊維工場は閉鎖したが、そこをニューバランスは買い取り企画生産の本拠地として現在に至っている。
工場のプレゼンをきっかけに、少量ながらハイエンドのランニングシューズへの新素材採用が決まり、当時毎年開催されていたスーパーショウで華々しくデビューした。以来、ニューバランスのファンとなったのは言うまでもない。
たかだか建物を見るだけに片道4時間もかけて、と思われるかも知れぬが、よし坊にとっては念願の貴重な一日だった。