アップルセージ
私は70代の老人、若い頃、プリントと言えばガリ版印刷だった。寄合の日時や行事の知らせに、よく使われた。
ガリ版というのは、油紙に文字を書き込み、それを謄写版というバネ式の網に貼り、その上からインクを押し付けてプリントする小型の手動式装置である。油紙に文字を書くとき、鉄のヤスリ板を下敷にする。その上を鉄筆で手書きする。慣れないと鉄筆が横に滑ったりして、紙に書くのとは全く違う。達筆だからと行って、うまく書けるものではない。仕事を請け負う筆耕という職人がいたものである。
このガリ版という技術、当時は大変な発明で、今まで口頭で伝えていた物事が、記録として残るものとなった。今風に言えばコニュニケーション革命に等しい。ヨーロッパをはじめ、公共性という概念はグーテンベルグの活版プリント技術の発展と連動している。聖職者しか触れられなかった聖書が文字を読める人にも伝えることができるようになったのである。
その後の印刷革命の進展は著しいものがり、今はパソコンに繋がれた家庭用プリンターに達しているのはご存知の通り。ここで問題になるのは、逆にプリントの信頼性ということ。今、新聞、出版など、印刷コミュニケーションの衰退が顕著である。印刷というのが、信頼性を保持できなくなっているのである。
プリントが上意下達のメディア=コミュニケーションだったからだと思う。それだけに使用にあたっては十全な思想と配慮が必要であった。日本では悪名高い新聞紙条例、出版法という法律があり、昔はことごとく検閲されたのも、プリントが持つ役割の大きさを表している。
一方、映像についてはどうか。
テレビも視聴率は大幅に下がっている。私が若かったころは、NHKの紅白は視聴率が80%を超えたいた。今では2-〜30%前後である。映像メディアも衰退の一途である。では映像コミュニケーションとは何か。
端的に言えば、映像は風俗を伝承するのに最適なメディアである。アメリカがテレビを開発したキッカケは、軍人の養成のためだった。多様な人種の合衆国から軍人を集め、教育するのに、映像ほど有用なメディアはなかったのである。
今テレビはワイドショウ全盛だが、ワイドショウこそ風俗を伝承する場である。
が、そうした映像媒体も、今ではネット通信にやユーチューブなどのネットチャンネルに凌駕され、衰退している。ひと昔まで、マス・コミュニケーションの問題は情報の一方通行だったが、ネットメディアの発展によって、相互通行が可能になった。メディア・ミックスの進展が今後どういうふうに進むのか。またCHAT・AIの登場など、この分野はSF的世界になっている。
振り返るに、メディアはこの50年ほどの間に、想像を絶する発展を遂げている。【彬】