ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

境域の耕し方

2012年10月08日 | 日記

 中国、韓国、との国境が問題になっています。また国内でも町村合併やら道州制とかが課題となっています。

 いずれも、境の問題です。境というのは、古来から大問題でした。そして地域の境を調整するのが政府の役目です。日本では、大宝律令、守護地頭制があり、諸国民の境域紛争を調整する制度でした。豊臣になって、検地というのがあって、これも戦国期の境域争いの調整のあり方です。

 ヨーロッパですと、典型的なのはフランスとドイツが争い続けたザール地方の争奪戦があります。つまり国境の問題です。アメリカンポップスに「国境の南」という名曲があります。南というのはメキシコですね。いろいろな悩みは国境を越せば解決するという歌です。こういう牧歌的な歌はアメリカがメキシコ戦争に勝って、国境を優雅に超えることのできた時代を象徴しています。

 ところで、日本の1960年代、まだ貧しかった時代のことです。

 谷川雁という詩人/思想家が、日本は境域の処理の仕方がセコイというようなことを書いていました。その例に挙げているのが、農地の耕し方です。田圃にはあぜ道があります。このあぜ道を農民は1センチでも多く削り取って、吾が田にしようとするというのです。確かに農民はそのようにして小さい我が田を守ってきました。でも思うに、そうゆうふうに耕し続けることは農民の境域を尊重する大切な耕作マナーだったのではなかったのか。他人の隣接農地を侵蝕し、あぜ道を全部削り取ってしまうのではありません。境域を丁寧に耕すことは、隣接農地を尊重することでもあります。あぜ道を削り取ってきれいに整えることで、一方の耕作者に、そちらも丁寧に耕してください、というメッセージを送っているのです。侵略的な行為ではないし、そんなにセコイ意識ではないのです。

 こうした不断の耕作によってお互いの境域は維持されてきました。秀吉が検地をしても、このような農民の意識を無視する場合には「チクヲヌク」という方法によって抵抗しました。チクというのは検地のための測量竹です。

 境は平面上を線引きするようなことでは決められません。特に海上や無人島の帰属などではなおさらだと思います。線引きで思い出させるのは、第二次世界大戦後アフリカ諸国です。連合国によって都合良く国境が線引きされた結果、国境を直線で引かれた姿が、アフリカ地図に明瞭に残っております。

〈境〉の処理は、農民の知恵=境域の耕し方、あるいは漁民の知恵=漁法に残る方法を念頭に進めるべきです。

 とはいえ、現代農業は大規模農場化され機械で耕されるため、かつてのあぜ道は消えつつあります。機械に合わせた直線的農地に分割されているのです。漁法も大きく変わりました。農漁民の知恵が消えないように願うものです。【彬】

  *谷川雁の指摘は農村問題に加え、労働者の賃金問題を含めていました。労働者は個別に賃金をもらうのではなく、一括してもらい、自分たちで独自に分割しようという提案でした。

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