ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

境域の耕し方 その2

2012年10月16日 | 日記

隣家の間の狭い仕切りブロック塀の上から睥睨する猫の図

 境の確定はむずかしい。私たちの住まい、例えばマンションの場合の境域は柱と柱の真ん中とされている。それが分割所有である。

 一戸建ての場合は法務省の地図がある。線が引いてあって、杭がうってある。しかし、境域を定めがたい場所、あるいは所有権が確定できない場所というのは各地にあって、そこは法務省の地図でも曖昧であるはずにちがいない(確認したわけではないが)。でも、生活権が優先されるから、実態的にはその地域の人たちの生活のやりやすいように暗黙の境域が出来上がっているわけだ。

 また、広い地域の境域についてはある程度遊びがあって、境など目くじらを立てるほど厳密ではない。

 ところが、都会の場合は深刻だ。狭い地域にびっしりと住宅が建つ。当然、隣家と諍いが起こる。猫がようやく通れるくらいに接近している場合では、雨だれがどうの、植物がはみ出したの、些細ないざこざが絶えない。

 こうした生活上の問題は、境域を線で区切ることから発生しているのではないだろうか。隣接地とは線ではなく、面=地帯で対処すべきなのではないのか。面であれば、はみ出したなどの問題は生ぜず、お互い同士で管理することができる。つまり狭いところを両者が耕すのである。都心の狭い土地であっても、隣家との境は、たとえば30センチでもよいから、これを境域として、所有権の実効性を猶予することができないものか、つくづく思う。

 〈境〉の問題は国内にとどまらず、近隣国とでも課題だ。領有権は線で確定すべきではないと思う。たとえ線で調整し得たとしても、どちらがはみ出たとか、法的な権利はどうだとかということが、直ちに発生する。所有権はひとまず後ろにおいて、お互い同士で境域をいかに耕すかを考えたいものだ。

【彬】

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする