ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

熊本大震災に思う

2016年04月18日 | 日記

  

 この20年ほどの間に私たちは4度の巨大地震を経験した。神戸淡路、中越、東北、そして今回の熊本である。被災した人たちの苦しみを思うと、言葉を逸するばかりである。そして、マスコミ情報にもとずいて、何かしら手助けできるのではないかと、いろいろなことを考えざるをえない。たとえばボランティアで出向く、募金や、衣類など生活必要用具を送る、あるいは政府や行政体の活動を叱咤したり、軍隊の出動を云々するとか、などなど。ネット時代だからそうした情報がウェッブ上に行き交っている。さらに東北・福島原発の経験から、鹿児島の川内原発を止めるべきだとかの、政治運動まがいの言説も出てきている。

 私は復旧に関しては、外部から何事かを云々するのは控えた方がいいと思っている。物資の調達、運送の方法、重機の活用など、すべて地元の状況を無視しては混乱に拍車をかけるだけだからである。今日のような消費社会では、復旧は国や自治体に任せ、外部の人はただ復旧資金として義援金を送るだけしたほうがよい、と思っている。

 そして、復旧に関しては、後日その経緯を徹底的に検討し、震災から何を学ぶべきかを事細かく追跡すべきだ。私自身、東北震災の時、何回かいわき市に足を運んだ経験からそう思う。

 ところが先の3大地震からは、残念ながら学ぶべきことが本当に整理されたとは思われない。耐震化を進め、備蓄を徹底すること以外、根源的な研究が出てきていないのである。私が思うに、復旧・再興には日本人が潜在的に持っている小さな地域での共同体意識に依存することがいい。その象徴としての場所は学校であり、神社である。いざという時、ここがいわば幹線道路のバイパスのような機能をもてないものだろうかと思う。

 震災を機にして近代都市から現代都市への転換を、学校や神社の果たしていた機能を付加することで根本的な道筋が開けるのではないのか、と思いを馳せるものである。【彬】


  絵は満開のカロライナジャスミン

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