ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

銭湯はいい

2016年04月05日 | 日記

      

        桜の黒々とした老木の木肌に花がついています。

 私は週に1~2回、銭湯を利用する。ジョギングの後、汗を流れ落とすことが目的だが、それだけでなく電気風呂や水風呂に入って、筋肉のマッサージをし、リラックスするのが目的だ。最後に熱い湯に入っての、気分爽快さは何事にも変えがたく、間違いなく若返る。

 私が利用している銭湯では、利用しているのは圧倒的に老人だ。それに、仕事帰りの人たち、たまに外国人も混じる。そして私のようなジョガーやハイカー。

 ところで、そういう銭湯は、以前からずっと衰退の一方で、私の知っているだけでもう数軒が廃業に追い込まれている。経営が成り立たないのだ。入浴費は公共料金として決められていて、自治体から燃料費、水道代の補助金は出ているものの、大量の燃料と水を使い、衛生に配慮するとなると、事業として成り立たないのである。だから老夫婦が切り盛りして、やっと営業しているのが現在の実情である。そして農業と同じで後継者はいない。

 銭湯が好きで、銭湯巡りをしている人もいるものの、全くの少数で、いずれ銭湯は東京から姿を消すことになろう。残念だが、家風呂が普及した今日、仕方のないことである。

 とはいえ、一方で郊外などでスーパー銭湯とか温泉など、大規模な浴場が成功している。サウナや各種特殊な湯を設営し、飲食ができるようになっている。経営も、ところによっては自治体が関与しているところもある。

 だから、都心の銭湯が廃れている真の理由は、人々が内湯を持つようになったからではなく、アクセスの問題や設備など老朽化が目立ち、古臭いイメージがあるためであろう。

 銭湯にはぜひ残ってもらいたいと私は願う。単に好きだからではない。入湯する人たちの一体感、あるいは同一感。お互いが裸で向き合える感性を感受できるのだ。これは日本人独特の共同性だと思う。そこにマナーが生まれる。これは大事なことだ。街の銭湯には、だから補助を出すだけでなく、経営のアドバイスや再建のための資金援助が必要だと思う。老夫婦が午後3時の営業開始から深夜11時の終了まで、心をくだいて働いているのをみると、利用者としても心が痛むのだ。【彬】

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