白菊
昨年暮れ、知人のお葬式があり参列した。年をとると参列する機会が多くななる。私は仏教徒ではないが、家代々に伝えられた葬儀の慣習が心の奥底にしみついているのだろう。黒服に身を固めお焼香をするとなんだか身が清まった感じがするものだ。
ところが、昨年の葬儀はそういった慣習から離れ、全くの無宗教、花を添えるだけの葬儀だった。友人代表が弔辞を読み、家族が返礼の言葉を述べるだけ。広々とした祭壇は隅から隅まで白ギクで覆われ、崇高な雰囲気を演出しているのだったが、線香の香りも宗教歌もなく、楚々としすぎて故人を送るにしてはなぜか物足らなかった。
私自身も無宗教だから、私の死出の際もこういう葬儀になるのだろうか。
死とはなんだろうか、後からいろいろ考えた。
問題は死後の世界ということになる。私は無宗教だから、天国や煉獄、極楽や地獄といった言説には囚われないのだが、土になろうが、どこに行こうが、死というのは現世から離脱することには違いがない。
この「離脱」するということ自体が、おそらく根本的に宗教的なことなのだと思う。だから無宗教とはいえ、葬儀というのは必然的に宗教の色合いを持たざるを得なくなるのではないのか。
無宗教の場合の、死の原型=葬儀のあり方について具体的にどうこう言うことはできないが、色紙を書くとか色々な形で、時間に制限なく自由に別れを告げる形が良いのではないか。そんなことを思うひと時だった。【彬】