子供の頃から耳にしたことがある外国旅行。
日本人の海外旅行が自由化したのは1964年の東京オリンピックの年からだ。
そして日本万国博覧会が大阪で開かれた1970年ごろから海外渡航者の数が急減に増えたという。
その子供の頃、よく耳にした外国の名前は、アメリカやドイツを除けばホンコン・マカオだった。今でこそアジアの一部であることは知っているが、小さい頃はとんでもなく遠い所だと思っていた。
先に挙げた大阪の万国博覧会に、両親は私を連れて行きたかったようだが超で不精の私は、行きたくないと言った。
大阪でさえ、とんでもなく遠い所だと思っていたからだ。その時10歳。
そんなこんなで女房ののりたんと結婚するまではあまり旅とは関係の無い暮らしをしていた。40の大台に乗った年に初めての海外旅行でシンガポールに行って異国文化に触れてから旅が楽しくなってしまった。そして2回目の海外旅行の時に、「とんでもなく遠い所」だと思っていたホンコン・マカオに行くことになった。
行程は3泊四日で、その2日目に小さい頃に自分を襲ったあの感覚が蘇ったのだ。この旅については少しだけ予習をした。まあ、食べ物が中心だったが。そして海外ツアーにオプションがついていることなどは知らなかった。あらかじめ組まれている日程を消化する形だと思っていたからだ。
話を戻そう、2日目はオプションでいろいろな所を選ぶことができたのだ。のりたんのリクエストは「シンセン」。何だ、新鮮な食材を売っている町を見に行くのか。
よく聞くとお隣の国、中国だという。香港からマカオに行って、マカオからシンセンという名前の都市に行くという。
知らない土地から知らない土地へのはしごだ。こんなのは小学校5年生の林間学園以来である。ますます不安になる。
急いで旅の本「香港・マカオ」を開くと、終わりの方に申し訳なさそうにシンセンが載っていた。するとここ20年ばかりで目覚しいばかりの発展を遂げた都市だと言う。
その間、人口は3万人から400万人に膨れ上がっている。ということは、他地域からの流入が多い都市に違いないと思った。であれば、犯罪もおきやすいはずだ。
しかし、のりたんと子供達が行くとなれぱ、ゆきたんくも行かねばならないだろう。心が決まったら後は楽しみしかない。行って景色をしっかりと撮るぞ。思い出に残すぞと思った。しかし、ついてから気づいたのは、デジタルカメラの換えの電池を香港のホテルにおいてきてしまったことだ。カメラに入れていた電池が消耗しないようになるべく大切に写真を撮るようにした。
ここからシンセンに上陸だ。蛇口(セイハウ)港
新宿と見まがうばかりの高いビルが建っていた。と思ったらガイドの金さんがマンションだと教えてくれた。このような高さを持ちカラフルなビルがたくさん建っていたが、電池の残量を気にしてあまり撮らなかった。
すると遠くからでもよく見える頭を雲の上に突っ込んでいるビルを見つけた。
セグプラザ
それが最初に載せた写真だ。メタリックグリーンに輝くとても高いビルだ。添乗員の金さんに聞くと、世界第4位(当時)の高さ(386メートル)を持つ、Shun Hing Squreという名前のビルだそうだ。中は法人の事務所として利用されているのだそうだ。しばらくの間見とれていた。日本で一番高いビルのランドマークタワーよりさらに90m高いビルである。 私が撮れなかった深センのビル郡は、このサイトから見ることができる。
この他、博物館や中国民族文化村、飲茶を食べてナイトパレードを楽しんだ。
知らない土地も安全であるならば積極的に行くことが大切だと思った。
このビルの写真を撮っている時には、前日の不安なんて消し飛んでいた。来て良かったと思った。