大人になってからショックを受けることって少ないと思う。
それがショック~を受けてしまったのだ。
子供の頃の思い出は、宝物のように思える。
ゆきたんくは小学校の頃、東京都品川区の大井町に住んでいた。
その地元の小学校の遠足で、神奈川県横浜市の「こどもの国」へ行ったのだ。
地元大井町始発の東急田園都市線(現東急大井町線)の当時の終点駅は長津田駅であった。小学生のゆきたんくには、その長津田駅が、外国のように感じたのだ。そしてその長津田駅と終点の駅しか結んでいない線があることを知った。
それが「東急こどもの国線」だということも。
先に書いた遠足は、その「横浜高速鉄道こどもの国線(旧東急子どもの国線)」に乗るのである。
楽しい遠足の地、そして長津田駅よりも遠いこどもの国。
時は流れて、雪たんくは大人になり、家庭を持ち、今までに無い戦争遺跡を探求している方々を友達に持つようになった。そして調べ物を進めていくうちに、「こどもの国」が゛戦争に深い関わりを持つ場所だということを知ったのだ。
こどもの国…秘密の扉
公園奥西側の施設
日系アメリカ人のイサム・ノグチ氏の設計だという。
弾薬庫とは何の関係もないという。
ここはかつて、田奈弾薬庫という場所だった。正式名称は「東京陸軍兵器補給廠田奈部隊・同填薬所」のことで1941年にこの地に発足した。
全部で33基あったというが、現在では10基ほど確認できた。
弾薬庫入り口
1つの弾薬庫に2つ写真のような入り口がある。
公園奥右側には写真のような弾薬庫が並んでいる。
風景に溶け込んでいる弾薬庫
ここに弾薬庫があったということを知らなければ気にも留めない風景なのだろう。
かつての楽しい思い出の地が、戦争に深くかかわりがあったということ。青春を動員という形で過ごした人たちがいたこと。そして爆弾の破裂によって公園中央で亡くなった人たちがいたこと・・・。
知らなかったこととはいえ、何とも言えない気持ちである。