伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

親バカ

2008-12-16 23:46:36 | 言いたんく

 この季節になると思い出すことがある。

 年賀状のことだ。
 ゆきたんく家でも来年の年賀状のデザインができあがった。

 その作業の時に思い出したのだ。

 よく、年賀状に子供の写真を載せたやつを見る。

 元々筆不精だったゆきたんくは、年賀状を書くのも嫌いだった。

 よって年賀状に嬉々として自分の子供の写真を載せて喜んでいる方々の気が知れなかったのである。

 友達と飲んだ(ゆきたんくは下戸)時、同様の意見をもらったので自分の考えは正しいと思っていた。

 その友人もゆきたんくよりも早く家庭を持ち、子宝に恵まれた。
そして新年の年賀状を見た。

 しっかりと赤ん坊が写っているではないか。

 「俺はそんなナンパなことはしないからな・・・」

 「年賀状に子供の写真は使わないぞ同盟」が一人になっても信念は貫こうと、誓ったゆきたんくである。

 そしてゆきたんくも家庭を持ち、父親になった。

 先ほど出来上がった年賀状には、しっかりと長男と次男の写真が載せてある。
 そして今年は長男が成人式を迎えたので、その時の記念写真まで載せたのだ。

 これを親バカと呼ばずして、何と呼ぶか・・・・。

 所詮一般的な人の子の親であったのだ。

 それも相当楽しみながら、年賀状を作っていた自分を振り返って赤面しているゆきたんくである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あれから29年・・・

2008-12-15 23:01:07 | 言いたんく

 実は昨日、母の命日だった。
女房が気がついて線香を、長男は仏壇にご飯をあげていた。

亡くなってもう、29年が経つ。

 ゆきたんくの嫁も長男も次男もみないうちに逝ってしまった母。

 まだまだ元気にあなたの分まで生きるからね。


ゆきたんく一家プラスじいちゃんマイナスゆきたんく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青面金剛

2008-12-14 22:07:45 | 言いたんく

 写真は、今のゆきたんくの職場に近い所に立っていらっしやる青面金剛(しょうめんこんごう)様だ。
 民家の一角を長方形に頂いて、そこに綺麗に並んでいらっしゃるのだ。

 日本仏教の信仰対象の1つだ。
 ご存知おしゃか様のインド由来の仏教の尊像ではなく、中国由来の道教の思想が日本の民間信仰の中で独自に発展し生み出された尊像だ。 

庚申信仰の本尊だ。

 資料より・・・道教では、人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くという。そのため、三尸が活動するとされる庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという「庚申待ち」の風習があった。庚申待ちは平安貴族の間に始まり、近世に入っては、近隣の庚申講の人々が集まって夜通し酒宴を行うという風習が民間にも広まった。


 別の角度から・・・

 一般に病気を司る神仏と聞かされてきたが、意味合いが違うようだ。
しかし、ここにこれだけの青面金剛様がいらっしゃるということは、その昔、賑わっていたところなのだろうか。

青面金剛様
青面金剛様のいらっしゃる場所

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイ・インストゥールメント

2008-12-13 23:05:08 | 言いたんく

 ゆきたんくの趣味の1つに楽器演奏がある。
演奏というよりもいじり、そう楽器いじりといったほうが正確な表現かもしれない。

 この間(かん)、ゆきたんくの楽器に友達が増えた。
それが写真のピアノだ。先代のヤマハのキーボードの調子が悪くなり、それで購入したのだ。
 カシオのプリピアPX-120という88鍵でキータッチは本物のピアノに近いやつだ。

 毎日少しずつでも練習して、自分の思うように操れるようになりたいと思っている。
しかし、習ったことがなく自己流だからどうなることやら・・・。

 今までかまった楽器を順番に並べてみる。
 ソプラノリコーダー(小学校からのくされ縁)
 アルトリコーダー(中学校からのくされ縁)
 ソプラニーノリコーダー(高校からのくされ縁)
 マンドリン(ラウンド型…マイクオールドフィールドの影響)
 アコースティックギター(大学の友人が弾いていた)
 バンジョー(大学のピアノの先生にもらった)
 12弦ギター(サイモン&ガーファンクルのエミリー・エミリーを弾きたくて)
 コルグのポリー800(初めて買ったキーボード)
 エレキベース(多重録音を始めた頃)
 エレキギター(友人から譲ってもらって・・・)
 クラシックギター(女房が実家からもってきた)
 ヤマハのキーボード(結婚して落ち着いて・・・)
 エレアコギター(衝動買い)
 フラット・マンドリン(衝動買い)
 バス・リコーダー(アンサンブルをするため)

 そして今回のピアノだ。
 小学校の頃は音楽嫌いだったのに、今では楽譜を初見で読み、メロディーが分かれば、ギターで大抵の曲は伴奏をつけて弾くことができるようになった。
 そして詞を書き、曲も書く。編曲もする。多重録音もする。自分で歌う。

 まぁ、恥知らずな男だからこれだけやろうとするのかもしれない。
 言えることは、音楽が好きになったことで他のものも好きになれたことだけは間違いない。

 更に歳を重ねた時の趣味の1つにすることができるように頑張ろうと思う。
 旅では、まだ行ってない地がたくさんある。
 ピアノでもまだ弾くことができない曲がたくさん待っていてくれるような気がするのだ。
 
 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしい・・・

2008-12-12 23:58:22 | 言いたんく

 写真は歌舞伎座だ。
 そう歌舞伎を見に行った時のことだ。
 待ち時間に小腹がすいたのだ。正面の幕を見て連想したのは歌舞伎揚げだ。
その歌舞伎揚げとコーラがあればこの上なく幸せだ。
飲み会でも酒は口にしない、ひたすらコーラ三昧だ。
だから安上がりの男と呼ばれるのだ。


この幕は、まさに歌舞伎だ。

 しょうがないので、売店を探した。きっと先にあげた歌舞伎上げとコーラがあるかもしれない。もちろん、観劇中にバリバリとやっていては、周囲の方が嫌がるだろうから始まる前に原に詰めようと考えていた。

 その時だ。誰かがこちらを見ている感じがした。
 こちらも視線を送る。
 相手は視線をはずさない。
 子供のようだが、もしかして小柄な知り合いか・・・。

  少し暗くて、よみ見えないが誰だろう。
 しょうがないの近づいてみた。その正体がわかった。
 昭和37年発売のオリエンタルマースカレーに出てくるオリエンタル坊やだった。


懐かしいオリエンタル坊やだ。

 マースチャツネで肉と玉ねぎを煮て、、、、というコマーシャルがあったような気がする。それにしてもこの人形を人と間違えるなんて・・・

 ゆきたんくの舌は、カレーを求め始めた。さっきまでは歌舞伎揚げにコーラだったのに。オリエンタルカレーが喰いたい。


ゆきたんくを引き寄せたオリエンタル坊や

 そしてその望みはかなった。すぐに600円(だったかな。)を払ってぱくついた。
懐かしい味がする(そんな気になるものだ)。と思ったら、どんどんとスプーンがカレーを口に運ぶではないか。

 オリエンタル坊やを見たとたんに、子供の頃に帰った自分がいたことは確かである。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事術8…基本はアナログ

2008-12-11 23:59:46 | 仕事

 久しぶりの「仕事術」の投稿だ。

 写真を見てほしい。
 この手の本は数多く出ているが、読んでいて面白いものはなかなか無い。
 自分は、整理整頓が苦手なので、読んでいるうちにケチをつけられているような気になるのだ。その点、この「モノの使い方」は「"普段使い"の道具で…」というコピーがいいのだ。

 そして「あなたの仕事に奇跡が起きる!」とある。

 ① スケジュール管理
 ② 情報のインプット・アウトブット
 ③ 頭の中と机上の整理・整頓
 ④ あとで使えるメモ
 ⑤ ノートの使い方
 ⑥ 小道具の意外なアイディア
 ⑦ 大人の勉強術

 の順で図入りで書かれているのだが、とにかく面白い。自分の仕事に直接的に影響があるものばかりではないが、脳みそがくすぐられる感じがするのだ。

 そう、アイディアの坩堝のような本だと思うのだ。
 前に500円本のことについて書いた。さすがに500円では買えないが、値段以上の価値があるように思う。

 ゆきたんくが思うことの1つに、「デジタルの基本はアナログ」というのがある。
 この間(かん)、デジタル的なことはもてはやされて、あっと言う間に広がりを見せた。 「デジタルは万能」という感じを受けた方は多いと思う。
 しかし、作業そのものは、はアナログ頭で考えた作業手順を、デジタル機器の上でやるのだと思っている。アナログ的なことを小さい頃からどれだけ積み上げてきたかがデジタルを使いこなす能力のベースになっていると思う。

 たとえば、鋏で紙を切るのが苦手な人は、レタッチソフトで、トリミングをするという発想をするのが不得意だろう。ビデオカメラを使うのが苦手な人は、動画ツールを触るの嫌だろう。

 「モノの使い方」は、とことんアナログにこだわった本でもあるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の楽しみ38…永平寺(福井県)

2008-12-10 23:34:18 | 

 今でこそ旅好きなゆきたんくであるが、興味がなかった頃は、宝石を捨てていたようなことをしていたことに気づいた。

 1998年11月に福井県の義理の妹のところを訪ねた折に永平寺に寄った。

 上の写真は、有名な傘松閣からみた五大杉だ。当時、まだスマートだったゆきたんくと小さくてかわいいつっくんが写っている。


そして、その時の傘松閣をとった写真のうちの一枚がこれだ。

ゆきたんく一家男3人衆

 上の写真の中央に青い服装の男性がいる。それがゆきたんくだ。
そして右には黄色のジャンパーを着ている男の子がいる。次男のつっくんである。
右端には、黒ジャンパー姿で長男のおーちゃんがいる。
 撮影はおばーちゃんか、女房ののりたんだ。

 なんでこんな写真を撮るんだろうと思ったゆきたんくである。

 この写真を見た時に、のりたんの意図を理解しなかった自分がいた。
ヒントはこの写真の左端の女性にある。
この女性は天井をみているのである。

 傘松閣の格子天井には、230枚の花鳥図がはめこまれていたのだ。
この写真をアプリケーションで明るくすると



傘松閣の幸たんく親子

 天井の格子がはっきりと写っている。

 その要領で別の写真を明るくしてみる。



天井の花鳥図が見えるではないか。

 にっこり笑うおーちゃんの後ろでポーズをとるつっくんが写っているに過ぎない写真に天井の花鳥図が加わったのだ。

 この時点で旅に興味を持っていれば、写真の枚数も増えただろうし、それに伴って美しい花鳥図の写真もたくさん撮っただろう。


 また永平寺に行きたいと思うゆきたんくである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ショック…横浜市の戦争遺跡

2008-12-09 23:59:14 | 言いたんく

 大人になってからショックを受けることって少ないと思う。
それがショック~を受けてしまったのだ。

 子供の頃の思い出は、宝物のように思える。
ゆきたんくは小学校の頃、東京都品川区の大井町に住んでいた。
その地元の小学校の遠足で、神奈川県横浜市の「こどもの国」へ行ったのだ。

 地元大井町始発の東急田園都市線(現東急大井町線)の当時の終点駅は長津田駅であった。小学生のゆきたんくには、その長津田駅が、外国のように感じたのだ。そしてその長津田駅と終点の駅しか結んでいない線があることを知った。

 それが「東急こどもの国線」だということも。
先に書いた遠足は、その「横浜高速鉄道こどもの国線(旧東急子どもの国線)」に乗るのである。

 楽しい遠足の地、そして長津田駅よりも遠いこどもの国。

 時は流れて、雪たんくは大人になり、家庭を持ち、今までに無い戦争遺跡を探求している方々を友達に持つようになった。そして調べ物を進めていくうちに、「こどもの国」が゛戦争に深い関わりを持つ場所だということを知ったのだ。


こどもの国…秘密の扉
公園奥西側の施設
日系アメリカ人のイサム・ノグチ氏の設計だという。
弾薬庫とは何の関係もないという。

  ここはかつて、田奈弾薬庫という場所だった。正式名称は「東京陸軍兵器補給廠田奈部隊・同填薬所」のことで1941年にこの地に発足した。
 全部で33基あったというが、現在では10基ほど確認できた。


弾薬庫入り口
1つの弾薬庫に2つ写真のような入り口がある。

 公園奥右側には写真のような弾薬庫が並んでいる。 


風景に溶け込んでいる弾薬庫

 ここに弾薬庫があったということを知らなければ気にも留めない風景なのだろう。

 かつての楽しい思い出の地が、戦争に深くかかわりがあったということ。青春を動員という形で過ごした人たちがいたこと。そして爆弾の破裂によって公園中央で亡くなった人たちがいたこと・・・。

 知らなかったこととはいえ、何とも言えない気持ちである。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気がつかない2

2008-12-08 23:49:56 | 言いたんく

 人間というのは他の動物と違って、頭脳が少し高級にできているようだ。
なんて、当たり前のことだと言えばそれまでだが・・・。

 おおよそ動物が気がつかないことに、名前をつけて区別したり、未経験のことでも、今までの経験から予測しようとする習性はある。

 そこに、1つの「ものさし」が存在する。たとえば、「今年の夏は暑かったけれど、その一番暑い日が毎日続く国がある。」を想像することはできるのだ。

 ただ、その「ものさし」を使っても、気がつかない場合がある。最初の写真を見てほしい。なんてことはない雨降りの道であることはお分かりになるだろう。そして1年に何回かは目にするような景色だと思う。

 次の写真はどうか・・・。


世界遺産ボロブドゥール

 そう、観光旅行の1シーンを撮ったということが分かるだろう。
ただ、この2枚の写真は同じ町の写真で、時刻にして2時間以内の写真なのだ。
 最初の写真は、それこそ景色が見えないくらいの土砂降りの雨が上がった直後の写真。2枚目はカンカン照りの太陽の下での記念写真だ。

 日本では四季があり、それぞれの季節を味わう感覚を国民は身につけている。1日のうちで天気がコロコロと変わるような日は少ない。季節にあった服装で過ごし、その時々で口にするものも変化する。楽しみ方を心得ているのだ。

 写真の国はインドネシアだ。四季はなく、乾季と雨季がある。訪れた時は雨季で、豪雨と晴れ間が交互に訪れる。観光をしていて「あ~あ、雨だ。」とがっかりしていると晴れ間が出て期待を持たせる。そしてきれいに晴れた所で現地に着く。観光を始めると雨が降り始める。心得たもので、現地では「傘貸し」がいて、傘をパッと広げて目の前にスッと出てくる。もちろん有料だ。その国にあった風景と言えよう。

 部分で捉えると「雨はいやだな。」、「やっぱり晴れがいいな。」くらいにしか思わないことだが、点ではなく線で捉えると、自国とは全く違う文化を育んだ土壌だということに考えが至るのだ。

 残念なことに、その場ではそのことにあまり思いが行っていなかったのだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気がつかない・・・

2008-12-07 23:23:38 | 言いたんく

 旅をしたり調べ物をしたりしていると、調べていることには大変詳しくなるのに、当たり前のことに気がつかないことがある。
 もちろん、当たり前というのは意識しないでも自分の頭の中に存在している状態のことをいう。

 墓といえば、墓石が立っていてその周囲には石仏がある。そんな風景を思い浮かべる方がいるだろう。
 そして頭の丸い墓石は・・・。
 卵塔といってお坊さんの墓石だそうだ。 
 寺社仏閣の見学や調査のさいに卵塔があれば、見学した寺の住職だったて思うようになっていた。


千葉県野田市(旧関宿)の東高谷にある
道分け六地蔵横にある卵塔

 

路分け六地蔵

にもかかわらずそれと気がつかないことがあった。

 「椿の海」というのを聞いたことがあるだろうか。
 千葉県北東部、銚子市の南に当たるところに東庄町と干潟市がある。米作が盛んな風光明媚なところだ。その水田地帯に東西12km、南北6kmの大きな湖があった。

 この湖を干拓して、干潟八万石と言われる穀倉地帯にしたのは、鉄牛と呼ばれる和尚様だった。

 その鉄牛の墓を見たことがある。最初の写真がそうだ。
 東庄町にある福聚寺(ふくしゅうじ)には祠の中にすっぽりと入っているが、高さは2m以上ある大きな墓石がある。
 その大きさに圧倒され、「偉大な人のお墓はでかい」と言うところで止まっていた。

 写真をよく見ると「卵塔」ではないだろうか。
 そう、正真正銘のお坊さんの墓石である。
 この写真を撮ったのが2005年11月5日だから3年とちょっとの日が経っている。

 

福聚寺(ふくしゅうじ)

 何で今まで気がつかなかったのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の友

2008-12-06 23:30:38 | 言いたんく

 ゆきたんくが旅好きになったのは女房ののりたんのおかげだ。
そして現在は旅をコーディネート(大げさか)したくてしょうがない。

 自分の意思で、あちこち行きたいと思ったきっかけの旅は、2003年のイギリスだ。いくら英語圏だとはいえ、初めて行く地でレンタカーで周ろうというのは無謀だった。
 前にブログで2000km走ったなんて得意そうに書いているが、道を間違えたり、迷ったりした距離も入れてのことだ。
 えらそうなことを言ってるが、自分のわがままを通したに過ぎない。
「30年間抱き続けた夢」と称して、オックスフォード近郊のシップトン・マナーや、キングトンのハージェストリッジに行ったことは前に書いた。旅の本にも載らず、したがって誰も行かない、まして観光地ではないような所へ行ったのだから。

 その時から、自分で旅をコーディネートするって楽しいと思えるようになってきた。数年前に40年続いた出不精だったのが信じられない。

 2007年には「白川郷の旅」、そして2008年には「四国の旅(1泊2日で4県走破)」と楽しい旅をすることができた。それも白川郷はゆきたんくのイプサム、四国は新型のJALのジェット機だった。ヴァージョンアップも心がけている。そのうち海外編になる可能性も秘めている。

 2006年から2007年にかけての京都・奈良の旅でも早朝散歩の時に、しっかりと自分のツアーコースができあがっていた。2007年から2008年にかけてのインドネシアの旅は義兄が気を遣ってコースを考えてくれていたが、紹介してくれた観光場所の他に「どこを見たい」と聞かれた時に即答できたのも事前学習が生きたのだ。

 今仕事が一番忙しい時期だが、年末休業をどのように使うかを考えている。一人で旅行したことがないので(2002年のシンガポールは行きの飛行機だけ一人だった。)3泊4日くらいで九州を一周するのもいいと思っている。

 実際にできるか分らないが、そんな気にさせるのが購読している「旅の友」だ。
国内・海外と様々な旅行が網羅されている。そして価格もお手ごろの価格。
 インターネットだとHISが10日前までの予約を受け付けている。なんと行っても飛行機代が安く上がるのがいい。それが一番金額がはる項目だからだ。

 出不精からコーディネーター(だから大袈裟だってーの)への転身を遂げたゆきたんくだ。
 あぁ、本当に今年の冬はどうしようかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の楽しみ37…ハージェスト・クロフト・ガーデンズ

2008-12-05 23:30:53 | 言いたんく

 イギリスと言えば、ガーデンだ。
ガーデニングの素晴らしさは他国の追従を許さない。
田舎はもちろんのこと、ロンドンなどの都会でも街灯から吊り下げられたバスケットの中にガーデニングの技術は生きている、そんな国なのだ。


この坂道をまっすぐに登っていくと、ハージェストリッジだ。

 イギリスのイングランドとウェールズにまたがる丘陵、ハージェスト・リッジについては前に述べたことがある。その417mの丘陵に至る道は数本あるが、酪農の地ヘレフォード近郊のキングトンという町から登っていく道が上の写真だ。
 道は舗装されてはいるが、その両側を生垣に挟まれている。ところどころに緑のトンネルができるほど茂っているのだ。

 ハージェスト・リッジでの散策を終え、道の途中に通路を見つけた。
少しもやがかかっていたが、よく見ると奥の方に建物がある。
通路入り口に看板を見つける。
クージェスト・クロフト・ガーデンズという庭園だ。


ハージェスト・クロフト・ガーデンズへの通路

 この細い道を歩いていくと、左手に芝生の庭があり、最近バーベキューをした跡がある。右側には観葉植物がこれでもかと茂っている。

 そして道が広く、視界が開けた時に目に飛び込んで来たのが、最初の写真だ。
ライムストーンではなく、レンガ造りの家屋だ。その奥のガラス張りサンルーム横がガーデンの入り口だ。

 ここではお茶をしたり、食事をしたりすることができる。

ゆきたんくは山羊の乳で作ったアイスクリームに舌鼓を打った。
場所は、建物南側のテラスのテーブルだ。

そこからの風景が下写真だ。

 芝生というには滑らかな、緑の絨毯が広がり、その奥に樹木で区切られた小さな庭園がいくつかあるという。芝生の中にペンチが見え、そこまで行きたかったが、暑かったのでやめた。



素晴らしい緑の庭

  本場の中の本場を見たつもりでいたが、まだまだ美しいガーデンはあるという。

 最後に有名な、コツウォルズのスワンホテルのガーデンの写真を見ていただこう。


スワンホテルのガーデンだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

澄んだ空気

2008-12-04 23:33:06 | 言いたんく

 この季節になると空気が澄んだ気がする。
 それは夕焼けが鮮やかになってきたと思うからだ。
 そして、その空気の透明度を計るのに一役買ってくれるのが、日本の霊峰「富士山」である。

 最初の写真は夕焼けを撮ったものだ。
 地表近くの鮮やかなオレンジとセルリアンブルーのグラデーションのところから雲が右上の方に風に流されているのがお分かりになるだろう。そしての雲の左下の端に富士山があるのがお分かりになるだろうか。

 広角で撮った写真を見れば、より一層はっきりとすると思うので次の一枚を見ていただきたい。


夕焼けの中の富士山

 小さい頃から慣れ親しんできた円錐台の形。山といえばだれもがこの形を描く富士山。風景の中のワンポイントとしてあれば、そこが日本であることがすぐ分るランドマーク。この季節にこの風景を見ると空気が澄んだと思うのは気のせいではあるまい。この風景を見ている地点から富士山までは120kmの距離がある。それだけ離れたものをはっきりと見ることができるのは富士山の大きさもさながら、その両者の間に存在する空気が澄んでいるからに他ならないと思う。


さて、おまけの一枚だ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の楽しみ36…旭川未確認不動物体

2008-12-03 23:44:59 | 言いたんく

 時は1986年旭川。
 旭川駅より続いている平和通り(買い物公園)に「手」があった。

 こんな書き方をすると、生の手が落ちていたように勘違いされるかもしれない。
 確かに「手」はあったのだ。

 写真を見ていただくとお分かりになると思うが、黒い大きいのがゆきたんくの言っている「手」だ。今では、どこかに移されてしまったというが、ゆきたんくの中では、ここは1986年で止まっている。

 この彫刻は一般的には「手の噴水」と呼びれているようだ。手と手の間に水が噴き出るからだ。

 かつては師団通りと呼ばれたこの通りも平和そのものだ。
 戦争のために開発された場所が、今では平和と名がついている。
 そして人々で賑わいを見せていたが、今では人通りは斜陽だという。

 「手」の付近の現在を実際に自分の目でみた訳ではない。
 しかし、ゆきたんく在住の近郊の市町村でも土日の買い物時に人通りが殆どみられないことを鑑みると、真実なのだろう。

 ゆきたんくがこの「手」とともに写真に納まった時、活気があった平和通り買い物公園はもう無いようだ。
 再訪しても「手」もいなくなってしまったようだから、この風景には再び出会うことはない。思い出の中に、楽しさ美しさを求める年齢ではないと思うが、しょうがないこともあると納得しなければならない年齢ではある。

平和通り買い物公園
「手」のあった所?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男というものは・・・

2008-12-02 23:48:35 | 言いたんく

いやいやいや、男というものは今も昔も変わりない。

写真を見て何だかお分かりになるだろうか?

 これは、悲劇の城として有名な鶴ヶ城(福島県会津若松市)の堀近くの石垣だ。
いくつもの石を積み上げて堅牢な作りにする技術は凄いと思う。地震国日本においては遊びがあり、揺れに耐える構造の木造家屋が中心であった。その中で石の建造物を考えた人は素晴らしい。

 ところで、石の中に特別大きいやつが混じっているのにお気づきだろうか。
写真の真ん中辺りの石だが、ガイドさんの話によると「遊女石」と呼ばれているそうだ。一番大きいもので2.6m×2.8mの大きさがある。
 その大きい石を運ぶのはとても大変なことだ。石を運ぶ人夫を元気づけるために、この石の上に遊女を乗せて様々な面白い動きをさせたことが名前の由来という。

 こんなことで元気が出るのだから男というものは単純なものである。
 鶴ヶ城太鼓門(北出丸からの本丸入口)西の石垣にある。

 殿方の諸君、一度は見たらいかがだろうか。
 そして人夫の気分になってみるのもいいと思う。

 ゆきたんくは?

 もちろん、元気はつらつでございます。

 

鶴ヶ城
鶴ヶ城址(若松城)の場所

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ村Ping

http://ping.blogmura.com/xmlrpc/okr7t7fen957