のんびりぽつぽつ

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「村田エフェンディ滞土録」

2005年11月25日 17時31分00秒 | ★★梨木香歩
梨木 香歩 著 角川書店。


百年前、大学で考古学の講師をする村田君が日本国の代表として土耳古(トルコ)に留学している間の滞在記。
「エフェンディ」というのは、おもに学問を修めた人物に対する一種の敬称で、下宿先の家の使用人ムハマンドが名前につけてそう彼を呼ぶ。
この下宿。
主人は英国人のディクソン夫人。使用人のムハマンドは土耳古人。村田は日本人。そして考古学者のオットーは独逸(ドイツ)人、発掘物の調査に当たる研究家ディミトリスは希臘(ギリシア)人と、多国籍の下宿。否応なく、梨木さんのエッセイ「春になったら苺を摘みに」を思い浮かべる。
そして、ムハマンドに道で拾われる鸚鵡(オウム) の話から滞在記は始まる。

異国の人々の集うことの楽しさ。奥深さ。複雑さ。
国家、宗教を乗り越えられる『個』の力。
そして、抗うことのできない『時代』の悲しみ。

そこここにそんなものが見え隠れするお話のように思った。
時の流れ。時代の変化。それは否応なく、この多国籍なディクソン夫人の下宿にも押し寄せ、土耳古を離れた後の村田もその中で悲しむことになる。
その全ての流れを「鸚鵡」が見つめる。不思議な目をした不思議な鳥。話の中心にいるわけではないのに、なぜか彼(でいいのかな?彼女かな?)がこの物語をまとめる、つなぎとめる役割なのだと、涙で読み終わった後そう考える。

ところどころに出てくる神々の気配は、「家守綺譚」の雰囲気を思い出す。綿貫と高堂も終わりのほうで顔を出しているし、あちらのお話にそういえば村田氏もちらっと出ていたっけ。
全体にどこか陰の印象のある今回の物語のなかで、2階の屋根裏(??)を大騒ぎで駆け回る八百万の神々のくだりは、私にはちょっとほっとするものでもあった。

梨木作品は、いつも非常にエネルギーを必要として、一気に読めなかったり、読む前にとても「覚悟」が必要だったりするのだが、それは、私の中に隠れる様々な感情を読み終わった後に引っ張り出されるからなのかもしれない。