日々生活の中にある変化を見続けながらブログにしたためるにも、そろそろ話題に困って来たところです。昨夜は円山応挙に逃避し、今夜は「俳聖」こと『松尾芭蕉』先生に逃げようと思います。
俳句は、五七五の十七音の中に、季節や情景を詠み込むものですが、『芭蕉』先生や『種田山頭火』は、人生を旅し、漂泊する詩人であります。日々の変化を求めるためには、日常的なものから異日常的なものに漂泊する必要があります。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
実に有名な『芭蕉』先生の代表句を、夢屋の日常に置き換えるとこうなります。

かつて我が家の子供たちが、魚やカブトムシを飼った水槽は、いつの間にか忘れ去られ、庭の片隅で古池となりました。

今年、生まれたアマガエルは、恥ずかしげに人目を忍び…

夏の暑さに耐えきれず、涼を求めて古池に飛び込み、行水するのでした。

音も立てず行水を終えたアマガエルは、涼風に吹かれ何かを思うのであります。
芭蕉が旅した時代、人の気配を感じ古池に飛び込む蛙は『トノサマガエル』に他ならない。私の日常的には、池は田圃の水路であり、私が畦畔を歩く足音に脅え、トポン、トポンと次々に蛙たちは水路に飛び込むのである。絵コンテ的なイメージは出来上がっているのでありますが、何せ草の中に潜み、水路に飛び込む蛙をカメラに捉えるのは至難の業であります。
私の絵コンテに沿った画像が撮れ次第、また珍解釈を披露したいと思います。
さて、私のPCは「ふるいけ」を変換すると「古い毛」と変換されてしまいます。そこで一句『古い毛に カツラ止まらぬ もどかしさ』 音も情景も季語もない駄作であります。
俳句は、五七五の十七音の中に、季節や情景を詠み込むものですが、『芭蕉』先生や『種田山頭火』は、人生を旅し、漂泊する詩人であります。日々の変化を求めるためには、日常的なものから異日常的なものに漂泊する必要があります。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
実に有名な『芭蕉』先生の代表句を、夢屋の日常に置き換えるとこうなります。

かつて我が家の子供たちが、魚やカブトムシを飼った水槽は、いつの間にか忘れ去られ、庭の片隅で古池となりました。

今年、生まれたアマガエルは、恥ずかしげに人目を忍び…

夏の暑さに耐えきれず、涼を求めて古池に飛び込み、行水するのでした。

音も立てず行水を終えたアマガエルは、涼風に吹かれ何かを思うのであります。
芭蕉が旅した時代、人の気配を感じ古池に飛び込む蛙は『トノサマガエル』に他ならない。私の日常的には、池は田圃の水路であり、私が畦畔を歩く足音に脅え、トポン、トポンと次々に蛙たちは水路に飛び込むのである。絵コンテ的なイメージは出来上がっているのでありますが、何せ草の中に潜み、水路に飛び込む蛙をカメラに捉えるのは至難の業であります。
私の絵コンテに沿った画像が撮れ次第、また珍解釈を披露したいと思います。
さて、私のPCは「ふるいけ」を変換すると「古い毛」と変換されてしまいます。そこで一句『古い毛に カツラ止まらぬ もどかしさ』 音も情景も季語もない駄作であります。