秋田県在住の「風花」さんのブログを拝見し、子どもの頃の原風景を思い出しました。
『一服』とは、文字通り「お茶一服」「煙草の一服」であり、転じて休憩を取ること。今では死語と成りつつありますが、我が在所では仕事の合間に休憩を入れる合図として「煙草にすっぺ…」という言葉を使いました。
コロンブスが、約500年前にアメリカ大陸から持ち込んだ「たばこ」は、瞬く間に広まったものの、今ではその有害性から、煙草を吸う者は『バーバリアン(野蛮人)』の扱いであります。
肺ガンや循環器系疾患の原因となり「百害あって一利なし」とまで言われる「煙草」ですが、一利があるとすれば、精神の安定作用…休息と言えるかもしれません。
男の子として生まれたものの、存外、泣き虫に育ってしまった私に、亡くなった祖母は、良く英雄伝を語り聞かせてくれました。おそらく修身の時間に自身が習い憶えたものでしょうから、お話は「曽我兄弟」であり「楠木正成」であり、時として「忠臣蔵」であります。主君に対し忠節を尽くす…幼児体験は、知らぬ間に私の内なる所に根付いてしまっているかもしれません。そうした話とは別に、お伽噺の世界で良く出てくるのが『きつね』に化かされる話。
今の子どもたちに「キツネやタヌキが人を化かす」などと言っても、興味を示すこともなく、このことは、キツネやタヌキが、既に動物園の生き物であって、身近な存在では無いことに起因するものではないかと思います。
宮崎駿監督や高畑勳監督による『となりのトトロ』や『平成狸合戦ぽんぽこ』に描かれる原風景は、私の幼児体験と重なり、勝手に昭和30年代がモチーフであろうと解釈しておりますので、こうした年代でもないと「キツネが人を化かす」話題など通じないのも無理がないのかもしれません。
話が逸れてきましたが、祖母が幾度となく話し聞かせてくれたキツネの話。
そこには「○×村の△が騙された。」という具体的な表現もあるのですが、私にとって、△さんは見ず知らずの人であっても、何故かしら現実味を帯びた話として受け入れてしまったものです。
むかし話では「馬糞の饅頭を食わされた」「下肥の風呂に入れられた」となる所ですが、祖母の話は、森や山道で同じ所を何度も何度も歩かされたという話。そう、幾ら歩き続けても元の道に戻っているという話です。そして最後のオチは必ずこう言います。「そんな時は、煙草を吸うと良いんだど。獣は火が嫌いだから、煙草の小さい火でも、化かすのを止めて逃げて行くんだど…。」
昔のドラマでは、冒険家が森の中でオオカミに囲まれて、たき火の火をかざすシーンが良く出てきましたので、獣が火を嫌うという祖母の教えは、何故か現実味を帯びておりました。
さて、私も良い大人になって、現代風にこの話を解釈してみますと、人生色々な悩み事があるもので、出口を探るにも堂々巡りをしてしまうということが良くあるものです。そんな時は、考え方や物を見る角度を変えてみることが重要であり、一服つけてみなさい。煙草のような小さな火でも、闇の中では、一点明かりが射す場合があるから…などと、仕事中に喫煙所に通う自分を擁護する話題にすり替える私、夢屋であります。