入念な「衛生管理」?
ネコ科では、自分自身が行うグルーミング(毛づくろい)と個体間、親子間で行われるグルーミング(社会的意味)が存在するらしい。同居猫『シロ♀』は盛んに毛づくろいをしておりますが、弟猫『でぶ九郎♂』(出奔中^^;)のことも良く舐めていた。『でぶ九郎♂』が長期不在となった今、『おやじぃ』の指を盛んに舐めてくれるようになりました。(手も洗わない『おやじぃ』をだらしない猫と認知しているのでありましょうか?)こうして『おやじぃ』は、猫に餌を与えている良い人と自分自身を誤認し、『シロ♀』は手も舐められない不器用な『ダメ猫』と『おやじぃ』のことを誤認しているのかも^^;
このように『不要不急の外出自粛』を自分自身は衛生管理が徹底しているから大丈夫と誤認し、『飲食店の営業自粛』を8時前なら大丈夫と都合の良い方に誤認する。「ワクチンさえ接種すれば…。」と問題解決をワクチンに求める風潮ではあるけれど、これもマスコミによるミスリードであり、インフルエンザワクチンで十分承知しているはずなのに「ワクチン接種さえすれば、インフルエンザに罹らない。」という神話を作り出そうとしているとさえ思える。(ワクチン接種は発症予防であって、感染後の諸症状の緩和効果が期待できるものであり、感染予防するものではないはずである。)
伝統行事「おさいと焼き」で無病息災^^;
決して紙切れ一枚に神が宿っているなどと信じている訳ではないけれど、かと言って「無沙汰」にも出来ない。科学的根拠など求めなくても、分別すれば「一般可燃物」であり、神職宅で大量に余って廃棄されたら「可燃産業廃棄物」である^^; こうして伝統行事の「おさいと焼き」にお札を持ち込むのも、皆で焼けば怖くない。ましてや、焼いて煙を浴びれば「風邪をひかない。」などという、ありがたい習いまで編み出したのだから…。(お札に混じって、神前結婚式の「誓詞」まで入っていたのには笑えた^^;)
何かにすがる一方で、皆で一線を越えれば怖くないという心理は、日本人だけのものなのだろうか?もしかすると、人類の爆発的増加に対する、抑制圧力が「新型コロナウイルス感染症」だったりして?(ちょっと不謹慎かなぁ?)
数え年104歳のおばあちゃんのお葬式のお手伝いをして考える。100歳を迎えると内閣総理大臣から「賀詞」がいただけるんですねぇ…新聞のお悔やみ欄には満年齢102歳のおばあちゃんの名前と満年齢50歳で旅立たれたご婦人のお名前が並記されておりました。この人の寿命はおばあちゃんの半分かね?昨年の秋まで、自宅の草むしりさえしていた100歳越えのおばあちゃんと50歳のご婦人…ご長寿万歳と申し上げる一方で、人生どう生きたかだよねぇなんて別のお悔やみの言葉を考える調子の良さ。信じられるのは自分だけ?「毛づくろい」できない『おやじぃ』は、残る人生の「身づくろい」を始めなければねぇなんてしんみり考えてしまうのでありますよ(笑おう)