確かにそんな名前の雑誌もありました^^;
「人の噂も七十五日」などと申しますが、「うわさ話」のその実は、見ても聞いてもいない人が広めてくれることが厄介な点であります。多くの場合、「ポジティブ(良いこと)」なうわさは拡がらず、「ネガティブ(悪いこと)」で無責任なうわさは広まるような気がしますけれどねぇ…。
例えば、画像の一杯のラーメン…『おやじぃ』が美味いと絶賛しても拡がらないが、不味いと言った途端に『あのお店のラーメン(全体)が不味い』というイメージを与えてしまい、食べてもいないのに「不味い」という風聞が広がってしまうような気がする。それは『おやじぃ』の口に合わなかっただけであり、美味しいと感じる方もいらっしゃるはずである。(誤解を生まないために、この塩バターラーメンは美味しかったですよ…『おやじぃ』の主観ではあるが^^;)
「悪いうわさ話」に飛びつくのは、自分に類が及ばないと高を括っているからであり、自分の身に降りかかる火の粉であれば、必死に打ち消しにかかるはずである。ところがギッチョンチョン、必死に打ち消す形相、姿が可笑しいと、また「うわさ話」に拍車が掛かる。人々が話題に飽きてしまうまで、七十五日(ひとつの節)をじっと静観しなさいという教えなのかも知れないけれど、一度刷り込まれてしまったイメージは中々払拭できないものでありますよ(笑)
「幽霊の正体見たり…」
さて、廃屋となってしまった元神官のご自宅から、『集落神社の御神体が出て来た。』…これまた勝手な解釈と「うわさ話」である。ことの真偽を確認するために『おやじぃ調査隊』は、実物を検分に出掛けたのでありますが…。出て来たのは木箱と中に納められた『木の祠』(敢えて画像は公開しません^^;)「神祇伯(しんぎはく)」…神祇(神職)の長官。「資延王(『すけのぶおう』と読むのだろうか?)」…1785年から1819年に「神祇伯」を再任した実在の人物のようである。「勧遷之」…分霊したもの。と解釈できるから、どこぞのご本尊から一旦分霊し、我が集落神社「市杵島姫命(イチキシマヒメ)」を祀るために使われた『モノ』と推測できる。『モノ』と表現するのも、神式的には、本尊が神社に「鎮座」していただき、これからは『昇神』していただいているはずだから、その後は、一時の『道具』『モノ』であるという『おやじぃ』の勝手な解釈である。
はてさて、これを貴重な品物と考えるか否かは、個人の宗教観によるところが大きいからコメントのしようがありませんけれど、郷土の歴史を語る上では貴重な史料ではある…事実、神社の来歴と「資延王」の再任期間は一致しているのだから。そもそも、「市杵島姫」が何故「弁財天」になるんだ?日本書記にも出て来る女神ではあるけれど、仏教の隆盛後、『神仏習合』の結果のようでもある。無責任な『うわさ話』も誰かを傷付けたり、足を引っ張ったりするものでは無かったから良しとしよう…『おやじぃ』一人が、一日半の『ひまだれ(時間の浪費)』した程度だから。まぁまぁ、雑学ネタがまたひとつ増えたことをありがたいと思うことにいたしますよ(笑)