「SL」の保存展示は珍しくありませんが…
群馬県渋川市内の児童公園で「D51」が展示してありまして、思わず一枚。と言いますか、経歴を見てみると昭和39年4月「酒田機関区」とあるから、一時期は羽越線を走っていたらしい。山形県にもゆかりのある車両と思った次第であります。『おやじぃ』が奥羽本線を走る蒸気機関車を見たのは、小学1年生の時に、授業時間中に「糠野目駅(現:高畠駅)」に停車する車両だった記憶であるから、それが最後の運行だったのかは定かではない。正月に帰省した叔父と福島駅まで乗ったのが、最後の蒸気機関車だったのかディーゼル車だったのかも曖昧でありますよ。当時、叔父たちが何時間かけて上野駅から山形まで帰って来たのかも分からない。学生時代にはL特急や急行があったけれど、『お楽しみ』に普通列車を乗り継いで大晦日に帰郷したことがある。朝5時に寮を出て、上野駅から黒磯駅、黒磯駅から福島駅と乗り継いで、福島駅での2時間の待ち合わせ…到着が夜9時頃だったような記憶であるから、お金は無くても、時間だけは十分にあった時代でありますよ。(ちなみに、鈍行を乗り継いで帰って来たなどと両親に言うと、お金に苦労しているのかと誤解をされてしまうから、あくまで『お楽しみ』でと断りを入れる必要があったけれど^^;)
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さて、『お金は無くても時間だけは有り余っていた青春時代』…『お金は稼いでいるが時間がない現役時代』…『お金も時間も無い老後時代』…ホントかねぇ?確かに、有り余るほどのお金には縁はないけれど、時間だけは学生時代よりも豊富にあるような気もするが^^; 要は「どっこいしょ。」と腰を上げる気力の問題…「おバカだねぇ。」と他人様に言われても、初動の「ガッチャン!」が必要なのでありますよ。まるで、現役引退したSLが走り出す前の音…動き出したら、もう止められないほどの力を発揮するような気もしますが(笑)
はてさて、死ぬ前に「日光東照宮」をゆっくりと、京都の古刹をゆっくりとetc.と頭の中では考えるけれど行動が伴わない。若い頃ならば、お金が無くても工夫次第で長旅も出来たものを…。今回訪れた新潟県魚沼市周辺にも古刹が多数あって、彫刻、絵画が残っているらしい。身体が自由に動くのも、せいぜいがあと10年と考えれば、そろそろ動き出さないとねぇ…。「SL」は「Steam Locomotiv」の略なんですと…むしろ「ロコモティブシンドローム」という言葉が頭をよぎる年代とはなってしまったけれど、『目指せ不良老人』を合言葉に、来年こそはどこかへ出掛けてみますかねぇ…「ガッチャン!」いやいや合掌。まずは腰を上げることが必要である…いつも年末には考えることではありますが(笑)