墓前に立ったのは50年ぶりです…
『愛しき日々』は1986年の年末時代劇「白虎隊」の主題歌として使用された小椋佳作詞、堀内孝雄作曲の楽曲であります。会津若松市でのアルバイトは、出発直前にお届け先の地図を渡され、目標物をカーナビに入力したら約2時間の行程が示されました…約束のお時間に間に合わない。(それでも頭の中では1時間半で到着できると踏んでいる…遅延は詫びるしかありませんなぁ^^;)ほぼほぼ約束の時間に到着し、『喜多方ラーメンの旅』と決め込んでいたのだけれど、さすがに『朝ら~』は…軽い朝食を取って、子どもの頃に家族旅行で訪れた「飯森山」に登ってみたのでありますよ。
会津若松市東部の「飯森山」は、白虎隊士19名(一説では6名)の自刃の地として有名でありますが、子どもの頃の感慨が、長男『ポン太郎君』にどう伝わるかなどと考えましてねぇ…。急な石段脇には「スロープコンベアー(動く歩道)」がありまして、記憶と一致しているのでありますが、隊士たちの墓が、鶴ヶ城を臨む形で建てられていたような記憶が違っておりました。杉木立で「お城が見えない。」という記憶は、今では眺望のきく一般墓地となっておりましたけれど…。
子どもの頃には気付かなかった参道の「殺身以成仁」という碑文を見つけ、まずはそれに噛みついている^^; 「少年たちの死を美化してはいけない。」なんてねぇ…。「お城が燃えている。」(これまた創作の可能性もあるようだ。)子どもたちの誤認…むしろ、大人たちの「誤った判断」が少年たちの悲劇を生んだと『おやじぃ』は考えるのでありますが…。
『喜多方ラーメンの旅』は地元飯に…
さて、『城を枕に自刃する。』という考え方を、今の世となって批判したところで始まらない。『短慮軽率』とも違う、わずか15、6歳の少年たちは、戦い(敗戦)に心底疲れ果ててしまったのではないかと『おやじぃ』は思うのであります。だからこそ「殺身以成仁」という碑文に噛みついている。大人たちの都合によって、歴史を書き替える…こうした考え方は、先の大戦まで引き継がれているような気がしてならないのでありますよ。
はてさて、『おやじぃ』の独りよがりの歴史観は別にして、「腹が減っては戦ができぬ。」とばかりに、昼食を探す旅に変わるのでありますが、トラックを返却する必要もあって『地元飯』となってしまいました。学生時代に会津出身の教官から「米沢は会津を裏切った。」とからかわれておりましたが、米沢藩も「奥羽越列藩同盟」により、下越あたりで闘ったことは事実のようであります。(1868年9月には降伏してしまったようではあるけれど…。)『おやじぃ』もまた、あっさりと『喜多方ラーメン』を裏切り、慣れ親しんだ『米沢ラーメン』に寝返ってしまいましたけれど…。人は、その時々の『都合』によって生きている。会津日進館の「ならぬものは ならぬものです。」という教えを素直に受け入れていた少年時代の『愛しき日々』は、どこへいってしまったのかと思うことしきりでありますが(笑)