その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

大きいことは…

2023-11-10 09:01:29 | 転職

1967年のチョコレートのCMですが…

故)山本直純さんが出演していたテレビコマーシャル「大きいことはいいことだ♪」…他社製品と比較して大きいことを強調、差別化したCMではあるけれど、「大きくすること」=「サービス向上」といった感がある。ジャンボジェット機(ボーイング747)が開発されたのが1969年とのことであるし、当時は高層ビルとして霞が関ビル(地上36階 1970年)の竣工もあったから、文字通り「大きいことはいいこと」だったに違いない^^;
「今年のサンマは小ぶり」という記事を目にして、それでは、一般的なサンマのサイズはと調べてみたのだけれど、通常は2年程度で35㎝程まで成長するとされ、28㎝未満は0歳魚と考えられているフシがある。「小ぶり」という表現自体、他に比べて少し小形であるということだから、どれだけ小さいのかが分からないし、そもそも食卓に上るのは冷凍サンマであり、今年の生サンマにはめぐり逢えていないような気もしますけれど…。エサ不足がサンマの小型化を招いているという説もあるようですが、明確な原因は分かっていないようでありますなぁ…。
「雪囲い作業」も大物の囲いは終えたから、今度は伸び放題となったモミジやヒバの木を整理しようと思っているのだけれど、切り落とした枝に閉口しております…ああ、今度は短く切って処分料がかかるなんてね(笑)


ご近所の独居老人から雪囲いの依頼が…

さて、自宅の庭木さえ、嫌々「雪囲い」をしているというのに、ご近所の婆さんから雪囲いの応援要請が…昨年は、娘夫婦が来てやってくれていたはずであるけれど、子育て等々忙しいに違いない。所詮、1時間程度で終わる作業だから、チョチョイのチョイとやってのけましたけれど、困ったのは「杉の木」の整枝作業…シルバー人材センターに依頼したらしいけれど、高齢者による高所作業はお断りしているらしい。数年前に下枝は伐ってあげたのだけれど、『おやじぃ』もシルバーに登録できる年齢であるから、そろそろご遠慮したいところなのでありますけれどねぇ…『大きくなって、良くないこと』の事例でありますよ^^;
はてさて、「大きくすること」「小さくすること」で、世の中、商品の差別化を図っている訳でありますが、「小さな政府」か「大きな政府」かという問題になると甲乙つけがたいお話となってきますよ。高齢化が進み、担い手が少なくなると『行政』だのみの問題が山積みであり、一方、負担能力はと言えば落ちていくばかり…高齢者の懐具合に合わせたサービス程度に収めるのか、いっそのこと、問題の本質である『樹』を伐ってしまう方が得策か?伐ってしまって、処分するにもお金がまたかかるんだよなぁ…『票』を狙って、負担能力の高い子育て世代に施策を集中しても、いずれ年は取るものでありますからねぇ。「大きいことはいいことだ。」が「年取ることもいいことだ。」という世の中にはならない気がしてきたぞい(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あって当然…

2023-11-09 08:10:42 | 転職

今度は「ダリア?」とオヤジネタ^^;

子どもの頃に遊んだ「ババ抜き」…今さらながら、何で「ババ」抜きなのかを調べてみた。アメリカでジョーカーが導入されたのは1872年だったらしい。したがって、それ以前は、クイーン(Old Maid)を1枚だけ抜いて数字合わせをしていたらしいのだけれど、結果、クイーンが1枚だけ売れ残る…それで「ばば(婆)かい?(当然、クイーン以外の絵札を抜く『じじ抜き』ルールも存在する。)今では『差別』と噛みつかれそうな発想ではあるけれど、後からゲームによっては『万能札』にもなるジョーカーを加えたところが素晴らしい。ジョーカーも嫌われ役であることに違いはないけれどね^^;
はて、昨日は午後から「停電」…自宅のブレーカーが上がること以外、停電は近くの変圧器にカラスが悪さをして以来だろうか?(東日本大震災の折りにも、送電ルートの違いで停電は免れましたから)当然、あって然るべきものが突然『遮断』されてしまうと不安になるものでありまして、隣家に行って「停電」であることを確認し、電力会社のコールセンターに電話をしたものの「電話が立て込んでいる」というガイダンス放送…広いエリアでの「停電」であると予想をしたところではありますが、今朝ニュースで確認すると7万2300戸に及ぶ停電だったらしい。ふと考えたのは、日中の停電であるから、真夏にエアコンをつけっ放しで外出した場合、閉じ込められたペットはどうなるかしら?ということ。停電騒ぎで「ペット」の心配では暢気すぎるとたしなめられるかも知れませんけれどね(笑)


千葉県への出張が決まりまして…

さて、友人『ノロ社長』のお仕事も復活の兆しをみせ、来週は千葉県内までお仕事の手伝いが入りそうであります。長距離で現場に物件を運んでも成り立つ単価…近隣に物件を製作する所がないのか、安い単価で引き受けているのか少々疑問に思うところでもある。受け手が居るから発注が舞い込むのか、安い単価でも引き受けるから、さらに買いたたかれるのか?これまた『あって当然』と思われている内はよろしいけれど、その内に干上がってしまうのではと他人事ながら心配しておりますが…。
はてさて、『あって当然』のもの…電気、水道、ガスはやはり欠かせない。発電機にペットボトルの水、カセットコンロetc.当座しのぎは出来ても、長期間に渡れば生活が成り立たなくなりますなぁ。『なくてはならないもの』として個人として蓄えるにも限界というものがある。どうやら、我々の頭の中身は『あって当然のこと』として、「災害」というものが抜け落ちているような気もする。そうそうオッカーも『居て当然の人』と思い込んでいる。朝から「ババ抜き」の由来など調べている身分ではないはずである。『あって当然』『居て当然』…「停電」の経験から、その有り難味に手を合わせることにいたしますか(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綻びを繕う…

2023-11-08 08:49:52 | 転職

「男」もあれば「女」もある結び…

昨日は『まとまった雨』のお陰で、「雪囲い作業」もひと休み。今では、いとも簡単にできる「男結び」ではあるけれど、覚えるまでには時間が掛かった。と言いますか、親父が不慣れな息子に『教える』ということは、イライラが募って宜しくないようであり、『おやじぃ』の場合も、第三者から優しく指導していただき、何とか覚えようとして繰り返し練習をした成果ではある。緩まないための『押さえ所』さえつかめば、さほど難しい手作業ではないのだけれど、その勘所をつかむまでが大変なだけなのでありますよ^^;
毎日が『ひと休み』状態ではあるけれど、結び目の画像を見ながら、ふと「綻びる」という漢字のことを考えてみた。『糸が定まっているはずなのに、何故「ほころび」なのか?』…どうやら「糸」に「旦(たん)」という字の組み合わせから発生した形声文字であり、漢字一つふとつを分解しても「ほころびる」という意味にはたどり着けないらしい。『男女関係の縺れ(もつれ)』『夫婦関係の綻び』などと、「糸」と男女関係にまつわる漢字は様々あれど、『縺れ(複雑にからみあったもの)』をほどくのに嫌気がさして、エイヤっとはさみで切って問題解決とする場合もあれば、『綻び』はその場を取り繕うことで何とかしのぐこともできる…『おやじぃ』の「むすび」もひと冬程度なら解けることもないし、そうして38年間過ごして来たようにも思えるが(笑)


「共白髪」…夫婦そろって長生き

さて、結納品のひとつに「共白髪」というものがあったような気もする。「高砂人形」(翁媼の人形)を若夫婦のために贈る風習のある地域もあると言われますが…。あくまで『願い』のひとつであって、『添い遂げる』ことばかりを良しとも言えない世の中になったような気もする。いやいや、潜在的な嫌気や『綻び』があっても、経済的な理由や世間体という『外圧』で踏み切れなかったという関係もあったかも知れない。
はてさて、「男結び」は結び目も硬く、一度結んでしまうと「解く」ことより「切る」ことを選択した方が手っ取り早い。一方の「女結び」は、結束は緩いかもしれないけれど、解いて再利用も可能ではある。どちらが有効かなどと『結着』をつけようなどとは思わない。その場に合った結び方を選択しているだけなのだから…。庭木も夏に枝振りを楽しみ、約5ヶ月の間は「雪囲い」の下に姿を隠してしまう。したがって、我が親父の場合は『冬の風物詩』として、「雪囲い」の形にもこだわっていたし、結び目の切れ端が『綻びて』開くことに『華』をイメージしていたフシもある。『綻び』さえも楽しむ心の余裕…『おやじぃ』の場合は、一年の遅れを『取り繕う』ことだけに腐心しておりますけれどね…。11月22日は『いい夫婦の日』…取り繕うだけで余裕のない人生ではあったかも(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まとまった雨…

2023-11-07 08:29:56 | 転職

「タンポポ」の由来は諸説ある…

秋の晴れ間に「雪囲い作業」…最盛期は九つほど囲いモノをしていたのだけれど、年々数を減らし、今年は四つ程度まで絞ろうと思っております。もしも、雪で枝折れしたならば、その樹から切り倒していく。しかし、思いの外折れないものでありまして、何で雪囲いをしてきたのだろうなどとも思い始めております。(雪で潰されてしまうであろう樹種や造りが分かりはじめてきたかも知れない^^;)
今朝は、朝から雨…「雪囲い作業」も一服、少々きしむ身体にお休みを与えるには良い機会でありますよ。ラジオから「今朝は、まとまった雨が降っている。」というアナウンスが流れ、はて「まとまった雨(雪)」とは、どの程度の雨量なのだろうと調べてみたのでありますが、気象庁HPでは「季節予報で少雨(雪)が続いているときに、一時的にせよその状態が緩和されると期待されるときに用いる。」とある…アララ、『おやじぃ』は「まとまった」という表現を、今朝まで『ひとつのかたまりになる』という意味に捉えており、ザーザーほどでは無いにしろ、シトシトでもない程度の雨と思っていたのでありますけれどねぇ。気象庁さんが考えている「まとまった」とは、「決まりがつく」という意味から少なくとも小康状態になることをイメージして使われているようでありますよ。恐らくは、多くの方が勘違いをされているのではないだろうか?などと他人まで巻き込んでおります(笑)


そろそろ「夏日」も終わるようで…

さて、大きな勘違いに気付いた朝に、今は亡き恩人が亡くなる夢(人が二度亡くなる?)夢を見た。そして、息を吹き返した…死後に蘇生する?暇を持て余し、そんな事例はないかと調べてみたのだけれど、日本神話の世界では、イザナギが妻のイザナミを蘇生するお話もあるらしい。現在では「脳死判定」の場合を除き、「心臓、呼吸停止」「瞳孔が開く」ことを死の判定基準としているから、医学が進歩した現在では、24時間の経過を見なくても「死」は確実に訪れているようである。稀に、心拍、呼吸、脳波が停止したにも関わらず、蘇生したという例もあるようではありますけれどね…。
はてさて、『まとまった雨』のお題が、何で『蘇生』のお話に発展してしまうのか…「雪囲い作業」をしながら、今でも木の切り株にけつまづくことがある。そう言えば、子どもの頃には、ここに〇×の樹があって、そこには△□の木があったなどと30年以上も前のことを思い出しております。切り株が残っているのは、それが針葉樹で樹脂によって守られ、朽ちずに残っているからに違いない。今でも「琥珀」の中に閉じ込められた昆虫が発見されたりするからねぇ…『おやじぃ』がいくら切っても、刈っても枝葉見事に再生しますよ。雪程度の重しでは、庭の木々は枯れたりはしないのかも知れない。『まとまった雨』に庭木をまとめて伐るか、少しずつ伐るかを悩み…想い出が蘇ると、また切れなくなってしまうんだなぁ(笑)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「クマ」はどこへ…

2023-11-06 09:18:04 | 転職

果たして「クマ」はどこを目指す?

明治33年(1900年)に『幼年唱歌』に掲載された童謡「金太郎」…クマと相撲をとったと記憶していたのでありますが、1番「くにまたがり おうまのけいこ」であり、2番「けだものあつめて すもうのけいこ」とあるから、クマと相撲をとったというのは、童画(絵本)による記憶のようであります^^;
『坂田金時』という人物も実在したかどうかは疑わしいとされているようでありますから伝説上の人物…しかし、食卓に上る「きんぴらごうぼう」の「きんぴら」とは『坂田金時』の息子『坂田金平』が名前の由来とされている説もあるから驚きである。昔から山でクマに遭遇し、格闘したという豪傑の話題もあったから、どこかで『金太郎』はクマと相撲をとったと思い込んでいたのかも知れない。ほとんどの場合、格闘した豪傑も大ケガを負っているというお話だから、クマと相撲をとるなどということは努々(ゆめゆめ)考えない方が良いようである。
はて、「クマ」が人間の生活域に進出しているのか?、人間が「クマ」の生息環境を脅かしているのか?本来、「クマ」に『生息エリア』という『考え方』があるのかという疑問にぶつかってしまう。川の魚が陸に上がって来たら、進出かも知れませんが、一般的に野生動物を一定のエリア内に閉じ込めようとする考え方自体が誤りなのかも知れない…残念ながら、野生動物の基礎研究に費やされる予算は乏しいと思うのでありますけれどね。


どうぞ「旨さ」を追求してください^^;

さて、山にエサが不足している。人里に『美味しいモノ』があることを知ってしまったetc.「クマ」が市街地にまで出没する現況をそう解説して納得するフシもあるのだけれど、「クマ」だって繁殖する訳だから、特定のエリア内に留めておけば『累代婚(近親婚)』が避けられなくなる訳であって、野生動物からすれば「移動」も種の保存にとっては、重要な行動のような気もするけれど…藪の中に身を潜めながら川を下るのも「移動」のひとつなのかも知れないなどと考えたりもするのですけれどねぇ…。
はてさて、日本人には「居住移転の自由」というものが憲法でも保障されている。「経済(エサ)的」「身体(繁殖)的」「精神的」自由権が保障されている訳でありますが、『田舎の長男・長女』は、憲法では保障されていても「精神的」な圧力で「移動」の自由に制限が加えられてきたようにも思える。(今では、そんな圧力はほぼありませんけれどね。)「クマ」にとっての「精神的自由」というものがあるかどうかは分からない…まぁ、人の出没による静寂な環境が荒らされるということがあるかも知れないけれど。『母子家庭』のクマの親子が『託児所』を見つけに来ていたりして…人間側の勝手な解釈として『共存共栄』などという考え方もあるけれど、「クマ」がそれを望んでいるとも思えない…「居住移転の自由」が保障されているはずの、既に移動できない『おやじぃ』の下らない妄想でありますけれどね(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おみそれしました…

2023-11-05 07:55:56 | 転職

今時、500円で「みそもやし」?

「ルッキズム」「見た目重視」etc.…良いか悪いかの判断は別にして、確かにそれは存在すると『おやじぃ』は思っている。能力の有無とは関係なく、外見が仕事や学業への評価を左右するという研究成果もあるようだから…。だからと言って、それによって差別をしてもよろしいというお話ではないし、『美』というものは、人や民族によって変化する。それに恵まれた方は、それを最大限に利用するのも『能力』の内なのかも知れませんなぁ^^;
友人『ノロ社長』のお仕事も動き出し、昨日、蔵王温泉のとある旅館にお手伝いに参戦いたしました。通常ならば、物産館の立ち食いそばでお昼を済ませるところでありますが、物価高で「かき揚げそば」が750円、おにぎりが250円と1,000円コースに…経費節減と話のタネに、以前から友人『イチオ君』が言っていたワンコインのラーメン屋さんを訪ねてみたのでありますが、確かに「みそもやし」が500円だった(驚)トッピングの「もやし」の量はそれほどでもない…「何たって500円だからねぇ^^;」しかし、麺を食べ進める内に、中から「もやし」が湧いて来た。丼の底に「もやし」が鎮座していたのでありましたとさ。「大変、おみそれいたしました。」…「みそ」だけになんてね(笑)


ネームバリューってやつですか^^;

さて、連休の週末ということはあったけれど、昨年に比べると蔵王温泉街は人が出ていた。蔵王の紅葉はさほど綺麗だとも思わないのだけれど、やはり温泉と山形県では名の売れた観光地であることが誘客につながっているに違いない。問題は、もう一度足を運びたいという『何か』を提供できるかどうかにかかっているような気もするけれど、『おやじぃ』はほとんど利用することが無い。東京に住んでいながら東京見物をするようなもんだわなぁ(笑)
はてさて、俗に『閑古鳥が鳴く。』などと申しますが、鳥の「カッコウ」を漢字で「郭公」『閑古鳥』とも書くようだから、モデルとされた「カッコウ」も良い迷惑ではある。静かな湖畔で鳴く目覚まし鳥のカッコウも、温泉街で鳴けば場違い、迷惑鳥とされてしまうのでありましょうか…静かで長閑な環境を求めて、人混みの中に観光に行くのだから、人は人の集まるところに集まる習性を持っているのかも知れない。日常とは違う『何か』を求めた結果が『人混み』だったりしてねぇ…『行った』ということが自慢話になるのだから『何か』など元々求めていないのかも知れないねぇ。「安い」という口コミで出掛けたラーメン屋さんは、メニューも豊富(ほとんどみそラーメンだけれど^^;)…お味の方は、お店に『ミソをつけない』ために、あえて評価いたしませんけれど…好き好きでありますよ(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次を考えると…

2023-11-04 08:05:16 | 転職

「春の海 ひねもす のたり のたりかな」…

コヤツ(ニホンアマガエル)は、かなり大胆な性格のようである。「小春日和」というべきか、11月にしては暖かな日というべきか、茶色い枯れ枝の上で彼は『体色変化』もせずに日向ぼっこをしているようである。こうしてみると、葉っぱの上では緑色、土の上では茶色という単純な『体色変化』でもなさそうである。同じケージ内で飼育しても体色が違ったり、変化には30分程度の時間がかかるという説もあるようだから、もしかすると、その時の気分次第で身体の色を変えたりしてねぇ…(これは邪説^^;)
一般的には外敵から身を隠したり、エサとなる昆虫の目を欺くことが『体色変化』の目的とも思えるから、目立たぬように生きることが彼らにとっては長生きの秘訣なのかも知れない。そんなカエルも日向ぼっこをする陽気の日に、『おやじぃ』たちは「小正月」用のカヤ刈り作業を行いました。いわゆる「さいと焼き」の準備作業なのであるけれど、以前は育成会行事として行っていたものであり、農家戸数の減少とともに、いつの間にやら集落四役の役回りとなってしまいましたよ。いずれ四役も農家は居なくなるから、これまたいつまで続けられるかも定かではない…「子どもの数も減っているし、今年は刈るカヤの量を減らしてみますか?」との問い掛けに異論をはさむ役員はいない。伝統行事の継承も大切だとは思うのでありますが、次世代の役員のためには、取り組みやすい行事のスタイルに変えて行く…そんな『体色変化』も必要な時期なのかも知れないなぁ^^;


慰労は味噌ラーメンで満足…

さて、「春の海 ひねもす のたり のたりかな」という与謝蕪村の句がある。耳から入った音に、改めて「ひねもす」ってなんだなどと調べてみると「終日(ひねもす)」ということを知り、『昼寝しもうす』ということではないことを知る。日向ぼっこをするアマガエルを見て「昼寝」を決め込もうとする気持ちとこのままでは「雪囲い」が終わらないという気持ちのせめぎ合い…今日一日楽をすれば、また明日から苦労する。厳しい冬の季節を前に、アマガエルも『おやじぃ』も何かに追い立てられるように動かなければいけないのでありますよ^^;
はてさて、コロナ禍によって、「それまでやっていたことが出来なくなった。」から「やらなくても良くなった。」と気持ち自体に変化が生じ始めております。『葬式手伝いの簡素化』『集落行事の簡素化』etc.…担い手が少なくなっていくことで生じる『手抜き』と『簡素化』の間には大きな違いがあるような気がする。次の世代のことを考えると、「我々のときはこうだった。」などと語り始めるのも、いわゆる『老害』のひとつなのかも知れない。秋の恒例行事だった「芋煮会」を春の用水清掃時の「花見の会」にしてみたら?役員の手間を省きながらも「地域コミュニティ」を失わないための新しい提案だけはしてみることにする…枯れ枝の上のアマガエルだって、何かの理由があって『体色変化』をしなかったに違いない。重要なのは、『目的』を失わないことだと思うのだけれど…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ノミの心臓』…

2023-11-03 08:49:22 | 転職

画像とは全く関係のない話ですが…

俗に気の弱い人や極端な怖がりの人に対して『ノミの心臓』などと申しますが、本当の「ノミの心臓」はどんなものかと調べて見ましたが、残念ながら頭部の解剖図はありましたけれど、腹部の解剖図はヒットしませんでした。「ノミ」も「シラミ」も6本脚の昆虫であるから、恐らく他の昆虫と同様に開放系の血管が背中側を走り、途中にある『小部屋』の収縮によって体液を循環させているに違いない。一方、世界最大の「心臓」の持ち主は「シロナガスクジラ」であり、重量にして180㎏くらいになるとのことであります。だからといって、強気の人に『クジラの心臓』とは言わない。『心臓に毛が生える』とは言うかも知れないが、本当に毛が生えているかどうかも定かではない^^;
果たして、本物の「ノミ」が気が弱いかどうかも定かではないけれど、初めは恐縮しながら出席し、次第に本性を現し、最後は『大トラ』に変身するのが『呑みの心臓』というものかも知れない。「ノミ」も「シラミ」も衛生環境の向上で実物に巡り合うことが稀になりましたけれど、『呑みの心臓』の持ち主だけは絶滅しないようでありますなぁ…翌日は、また恐縮してしまう。『おやじぃ』も他人のことなど言っていられないけれど(笑)


「ザッコ買って来た。」という誘いも…

さて、某事務所問題で『知らなかった。』または『知っていた。』と表現するだけで起こる論争。『知らなかった。』と言えば『知らないはずがない。』というバッシング…『おやじぃ』の場合は、『聞いたことがある。』という次元と『事実として知っている。』ということに違いがあるのではないかと思うのでありますが、果たして『知っている。』という表現は、どの程度知っていると『知っている。』と言えるのか甚だ疑問に感じているところでありますよ。
はてさて、「ノミの心臓」の実物を見たことがないから、『おやじぃ』は他の昆虫の解剖図を参考に、「ノミの心臓」はこんなものに違いないと想像を巡らせているだけであります。(頭部の解剖図があるのだから、腹部の解剖図を発表されている方もいらっしゃるはずである。)これを果たして『知っている。』と言えるのかどうか…「ノミ」に名誉棄損で訴えられることもないだろうから、平然と書いておりますが、これが人のことになると注意しないといけないわなぁ…。お酒を飲んで、気持ちが大きく成るのと同じで、『知らない。』ことまで『知っている。』と豪語するのも如何なものか…『飲んだ席』での出所不明なお話も気を付けないといけないなぁ…何のことやら(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の稲妻(夫)

2023-11-02 09:27:24 | 転職

時期は少々遡りますが…

昨夜は夜中の突然の雷に目が覚めた。そして、夕立のような雨…。今年の夏は猛暑だったけれど、考えてみると夕立は少なかったようにも思える。改めて「稲妻」という言葉を調べてみたのだけれど、「①空中電気の放電による電光」etc.とある。11月になっても20℃を超える気温の日中であるから、大気の状態が不安定なことは分かる…むしろ、「稲の夫(つま)」という表現が目に留まりました。「稲の結実期によく起こることから、これによって稲が稔る」と信じられていたという民間信仰。なるほど…古くは「つま」という言葉は、夫婦や恋人が互いに相手を呼ぶ言葉であり、夫も妻も「つま」と読んでいたらしい。昭和の時代は『雷親父』という表現もあったけれど、突然の雷鳴は「夫(つま)」よりも「妻(つま)」に落ち着いたのかしらなどと下らないことを考えてしまいましたよ(笑)
「くわばら(桑原)、くわばら」…嫌なことや災難を避けるおまじないと思っておりましたが、菅原道真の領地桑原には落雷がなかったことが由来とか。立派な方のところでは「妻」も雷を落とさないようである。しかし、何をやっても相手のお気に召さないときは、「桑原」に逃げ込むのが良さそうである…庭の草むしりをしていたら、鳥が種を落としたのでしょうか?「桑」の木が芽生えておりましたけれど、ここに逃げ込みなさいという神のお告げかも知れない…。


そろそろ冬眠場所を探しているかな?

さて、「稲妻」にまつわる話を検索していたら、アリスの「冬の稲妻」という楽曲を思い出しました。作詞された谷村新司さんもお亡くなりになったんですよねぇ…。歌詞をたどると「突然すぎた」「別れの言葉」「立ちつくす」と続くから、無意識のうちに『別れを告げられた女性』をイメージしてしまうのだけれど、これもまた『昭和のオジさん』のアンコンシャスバイアスというものかも知れない。愛想が尽きて別れ話に発展するのは女性側からということが多いような気もしますもの^^;
はてさて、稲作や神話の世界から発祥した「稲妻」や「雷」ではあるけれど、東北地方の日本海側では、意外に冬の雷が多く、石川県金沢市では年間42.2日の雷が観測されているらしい。「雪起こし」「ブリ起こし」という冬の雷の呼び名もあるようですから、着実に冬が間近に迫っているということかも知れない。少しずつ働く時間を伸ばしながら、庭や裏の畑を片付け少しだけ体裁が整ってきたと自己満足する日々でありますが、コツコツと取り組むことの大切さをしみじみと感じておりますよ。『冬の稲妻』が落ちない内に、何とか片付けないとねぇ…ため息なんぞついていても、誰も助けてくれないもの(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『迷い鰹』とは…

2023-11-01 09:13:15 | 転職

こちらは「戻り鰹」でありますが…

庶民の食卓では代表的な「鰹の刺身」でありますが、その「カツオ」…春は黒潮に乗って北上し、秋に親潮の影響が強くなる頃、南下を始めるらしい。しかし、島(伊豆・小笠原)の周辺に居付く群れもいるらしく、むしろ、コチラの方が大型化するようでありますよ。餌を求めて北上し、生息に適さない水温になると産卵場所を求めて南下するのか?身近なお魚ではありますが、産卵場所は小笠原や沖縄以南の海域と推測されているに過ぎないようであり、まだまだ、その生態は解明されていないようであります。ただ、分かっていることは、「鰓蓋」を開閉できないので一生泳ぎ続けなければいけないということ…泳がないと窒息死してしまうのだそうでありますよ。
一方、対馬海峡を越え、日本海に迷い込む群れもあり、こちらは『迷い鰹』として珍重されるらしい。人間の『目』からすれば『迷子の鰹』ということかも知れませんが、もしかすると『新たな生息場所』を求める『精鋭部隊』なのかも知れない。人間の常識からは、生き物に対して『ねばならない』という見方をしてしまいがちでありますが、色々な『失敗』の積み重ねが、今の生態を形作っているだけであって、今後の在り方次第では変わる要素もありうる…生きるために一生泳ぎ続ける(働き続ける)ということに限って言えば、人間の生き方にも共通するものがあるなんてね(笑)


今頃になって「草むしり」…

さて、今年も『休養宣言』した結果、庭も畑も草ぼうぼう…そろそろ、雪囲いの時期を迎えるから、今頃になって、庭の草むしりをしている状態であります。夏場と違って『薮蚊』がいない。(一匹だけ耳元で不快な音を立てる輩がいた^^;)草の根もこの節弱っているから抜きやすい…自分にとって都合の良い理由だけを考えております。「おやじぃは今年どうしたのだろう?」といぶかしがられたら、「少々体調を崩し、今年は外仕事をしないでいた。」と応えることにしよう^^;
はてさて、我が親父が大切にしてきた「庭木」であるけれど、『おやじぃ』の代で切り倒そうと考えている。『おやじぃ』自身の趣味でもなく、当然、家族も関心がある訳でもない。結局のところ『ねばならない』という意地だけで続けて来た訳であるけれど、今年一年掛かって分かったこと…草など生えても誰も構わないということだけである。「〇×の代で庭木を伐った。」という『汚名』は、『おやじぃ』が引き受けることにいたしましょう。『おやじぃ』の「終活」は庭木を伐り倒すことから始めなければならない。それでも『迷い続けるカツオ君』…『長男のねばならない』は、我が代で終わりにすることにしよう。『墓仕舞い』だけは子どもたちにお願いするしかないけれど(笑)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする