蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

父よ

2005年01月04日 | つれづれに

 好きな庭いじり以外は何もしない明治の男だった。そんな父が大晦日間近になると、裏の海に家中の障子を運び出し、凍てつくような冷たいしぶきの中で洗った。兄と二人で手伝いながら、逆さまに立てて上から貼っていくと、ぼた落ちした糊の染みが出来ず、合わせ目に埃が溜まらないということをいつの間にか学んだ。
 やがて父が亡くなり、サラリーマン一世一代の大仕事として家を新築する際、こだわって10枚の障子を立てた。和風の玄関の西日の窓には松や紅葉を透かす紙を貼り、客間には子供の頃から憧れていた雪見障子を立てて、その外に一間廊下を走らせ、外の庭に枯山水と杉苔、つくばいと灯籠をあしらって、炬燵に蹲りながら時たまの太宰府の雪景色を楽しむ。友人が描いてくれた絵に因んで、この部屋を「牡丹の間」と名付け、陋屋そのものを「蟋蟀(こおろぎ)庵」と称し、自ら「ご隠居」と名乗って悦に入っている。
 朝日を浴びる仏間の腰高窓の障子の外にはネットを張って、朝顔や夕顔、紛れ込んだ山芋を這わせて、その風に揺れる影絵を愛でる。
 父が逝って20年、自分自身がその歳までもう10年のところまで生きてきた。新しく張り替えた障子越しに、和紙の風合いに和らげられた冬の日差しを浴びながら、思い出すことの少なくなった父のことを思う。着物の裾をからげて波しぶきを浴びていた素足の白さと、糊刷毛で障子の桟を叩く父の記憶は、何故かいつも後ろ姿である。
 暖かい大晦日の夜、家内とふたりでいつものように大宰府天満宮の脇の光明寺に並び、除夜の鐘を撞いた。それぞれに煩悩を払って、新しい年が明けた。       (2003年3月:写真:夏楓)

初めのつぶやき

2005年01月04日 | 全体
 それは一つの衝動かもしれない。突然何かに呟いてみたくなることがある。誰に読ませたいというものではない。家族だけに、或いは限られた身近な人に読ませることはあっても、公に広く発表しようという気はさらさらない衝動だった。小エッセイと云えば聞こえがいいが、たまたま機会あってちょっとした新聞や小冊子に載せることはあっても、決して積極的に望んだものではなかった。
 書き溜めていたものを、先年三つのテーマに括ってワープロで叩き、2セットの作品集を自作してみた。会社人生を終えて悠々自適の日々に、なんとなく自分史に代えて纏め上げたものだったが、これが一つの弾みとなって、時たまその衝動の赴くままにパソコンの原稿用紙に向かうことが多くなった。
 「季節の便り」という息の長いテーマがある。それは時として山野草であり、昆虫であり、旅であり、家族であり、いずれも掌篇ともいうべき短いエッセイの連なりである。それに、もう一つの趣味の自分で撮った写真を添えて小さな世界を切り取ってみる……つぶやきの中に、ささやかな自分だけの満足があった。
「没後、追悼出版してあげようか」という娘の戯れ言に苦笑いしながら、満更でもない夜が今日も更けていく。
  (2005年1月 :写真:ヨシュアツリー・カリフォルニア)