蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

至福への旅立ち

2005年01月07日 | 季節の便り・花篇

 三日目、雨が来た。大分県・由布岳の山頂から這い下りた雲が、登山口の湿原を覆った。下界は既に初夏への歩みを予感させる頃なのに、山は漸くたけなわの春。40種ほどの山野草を訪ね歩いた旅が、やがて終わろうとしていた。
 お目当てのエヒメアヤメは、雨に濡れ露を置いて、美しく紫の花を拡げていた。
 タレユエソウという別名が何ともゆかしく、春の雨によく似合う。図鑑の写真に添えられていた「絶滅危惧種」という文字が、ふと花ビラにダブった。山野にあるがままの多くの種が、動物も植物も滅んでいく。その陰にあるのは全て傲慢な人間の営みである。湿原のそこここにある窪みが、何かを語りかけてくる。早春の山肌を飾る錦糸玉子のようなマンサクの花が、原因不明で咲かなくなってきているいう記事を読んだのは、つい先日のこと。3月末の久住・飯田高原、牧の戸峠から三俣山山麓にかけて、戻り寒波の霧氷に包まれて日差しに輝いていた一面のマンサクが記憶に新しい。
 大気汚染、地球温暖化、環境破壊等忌まわしい言葉を連ねて、人は生かされているこの地球を、もう引き返せないところまで自ら追い込もうとしている。
 エヒメアヤメを庇い包むように、思いがけずサクラソウの原種が車輪のように華麗に咲き誇っていた。草むらには淡い紫色のヤマエンゴサクが群れ咲き、可憐なバイカイカリソウが白くこうべを垂れる。この自然の風情を、私達はいつまで守ってやることが出来るのだろう。何もしないで、あるがままにそっとしておこう…そう思いながら、一つの花も踏まないように、細心の注意を払って山道を戻った。
 移ろう花のひとつひとつを写真を添えて紹介しながら、この季節の変化の優しさを語ってみたいと思った。題して「季節の便り」。少年の日、虫に魅せられて自然との触れあいを始めた。先年、会社人生を終えて改めて自分自身の生き様を問う日々に回帰したとき、山野草を教えてくれる得難い友人夫妻と親交を深める機会を得た。虫を追っていたカメラの望遠レンズをクローズアップレンズに差し替えて、山野の小さな花たちを訪ねる旅が始まった。それは私にとって、残された余生を豊かに育む「至福のとき」の始まりでもあった。                (2003年5月:写真:エヒメアヤメ)