南カリフォルニアの秋空を真っ赤に染めて、凄絶な夕映えが空を覆った。累々と岩山を点在させる荒野に、サボテンとも棕櫚ともつかない不思議な木が佇む。殺伐としていながら、何故か命の輝きを感じさせて心打つ光景だった。
ヨシュア・ツリー・パーク。ロスからおよそ3時間、雪山を遠望し、砂漠を抜け、数え切れないほどの風車が林立する風力発電の原野を南南東にひた走ったところに、その広大な公園があった。緑の乏しい草むらと灌木を足元に置きながら佇むその木の姿を、言葉で描くのは難しい。
道端に車を置いて原野を歩いた。随所にある岩塊からロック・クライミングを楽しむ人達の歓声が降ってくる。駐められた車の数からすれば、かなりの人達がクライミングやトレッキングにはいり込んでいる筈なのに、広大な大自然に呑み込まれて殆ど姿は見えない。豊かな自然に触れる度に、自分のちっぽけさを思い知る。傲慢になり過ぎた人間、時たまこんな果てしない大自然の中で圧倒されることが必要なのかもしれない。
少し味わってみたくて、家内を麓に残し、娘と小さな岩に登ってみた。岩盤に背をもたせ掛けると、日差しの火照りが身体に染み込んでくる。その温もりが優しかった。
時を忘れるうちに日が傾き、美しい夕暮れが来た。ヨシュア・ツリーには逆光と夕映えがよく似合う。原野を黄金色に染めた黄昏の後に、雲を染める凄まじいまでの夕焼けを見た。真っ赤な夕焼けを背にするヨシュア・ツリー、紛れもなくそれは命の輝きだった。ただ言葉を失って不思議な感動に浸っていた。
娘が「見せたいものがある」と云う。夜を待つことになった。西からはいった公園を横断して南の出口に向かう。走り続けるうちに漆黒の闇に包まれた。街の灯が届かない原野の夜はどこまでも深い。
車を止め、ライトを消して見上げた空に、覆い被さるように滔々と流れる銀河があった。思わず息を呑んだ。まさしくそれは溢れるほどの星々の河だった。音もなく横切る人工衛星の光芒、吐息のように輝いて消える流れ星。涙が滲んだのは夜風のせいだったろうか。
天球を覆い尽くす満天の星をいつまでも見上げて、時が止まった。
(2005年1月:写真:ヨシュア・ツリー・パーク)