蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

木立の中の宝石

2005年01月22日 | 季節の便り・花篇

 いつも遠くばかり見詰めて歩いてきた。目標はいつも高く、時にはより高い目線を求めて背伸びしてきた。それが若さの証しでもあったし、だからこそここまで生きても来れた。
 第2の人生は思い切って目線を下げることから始まった。蹲り、座り込み、挙げ句は腹這いになって地表すれすれまで目線を下げた。そこに、見逃していた野の草花の目を見張るほどに華麗・繊細・可憐な世界を発見した。鱗が落ちた目に見えた山野の素顔は、圧倒されるほどに奥深いものだった。
 山は一気に花の絢爛。4月始めに訪れた定宿・湯坪温泉K館。泉水山を借景とする庭は色とりどりの花に輝いていた。玄関脇のほの暗い木陰に紫色のカタクリが花びらを反らせて項垂れ、ショウジョウバカマがすっくと花穂を立てる。ジロボウエンゴサクのピンクとキケマンの黄色が競い、ヒュウガミズキの黄色い花陰にはトラフシジミが春の飛翔の羽を休めていた。心沸き立つ季節の到来だった。
 一夜の露天風呂の憩いの後、いつもの木立に向かった。男池からかくし水まで、黒岳を目指す急ぎ足には20分あまりの山道だが、目線を落とした山野草探訪には豊かな半日コースとなる。木々の新芽が息づき、朽ち木に張り付いた苔までが、ツンと新芽を立てて日差しに揺れていた。枯れ葉に憩うカメノコテントウの背中で春の日がキラリと弾ける。まだ冬枯れの気配が濃い大地にところどころ緑が蘇り、まず迎えてくれたのはハルトラノオの小さな花だった。白地の花びらに濃い赤のメシベが影を落とす。ネコノメソウが黄金を散りばめる。ヤマルリソウが小さな釦を並べる。ヤブレガサもまだ傘を半開きのまま時を待っていた。
 マクロ・レンズにクローズアップ・レンズを被せ、思い切り絞り込んで焦点深度を深め、ストロボを立てたカメラで捉えるには、もう腹這うしかないほどに小さな花たち。小指の爪ほどの花びらが見せてくれる季節の饗宴は、急ぎ足で遠くだけを見る者には決して与えられない世界だった。
 ユキワリイチゲ。薄紫の花弁を拡げ、黄色のメシベを包み込む美しい姿に魅せられて、以来この木立の中の散策路は宝物になった。
        (2005年5月号出稿予定:写真:ユキワリイチゲ)