カリフォルニア州ロング・ビーチ。クイーン・メリー号の向こうに眩しい花火が咲いた。ビーチでシャンパンを抜き、異境のニュー・イヤー・イブを祝って翌日、トラフィックを抜けて東に走った。
ロスから460キロを走り続け、6時間半後、冬空とは思えない抜けるような蒼穹の下にいた。命の気配もない荒涼とした原始地球の姿に言葉を失った。岩と砂と、枯れ葉色の僅かな雑草と、乾き切った光景はまさしく死の世界だった。
デス・バレー「死の谷」西半球で最も低い、そして最も暑い灼熱の谷が、およそ長野県の広さで横たわっていた。アラスカを除きアメリカ最大の国立公園。年間降水量僅か50ミリ、中心部の海抜マイナス86メートル、夏の気温50度という地獄のような世界は、真冬の今が最も観光に適したシーズンなのだ。57度という過去の暑さの記録を体験してみたいなどという望みは微塵も起きない殺伐とした光景だった。
こんなお正月を経験することはもう2度とないだろう、と思いながら原野を走り抜けた。カリフォルニア州東部、もうネバダ州との境、ラスベガスまで140キロの位置にある。汗ばむほどの強い日差しの中で巡ったザブリスキー・ポイントの黄金に輝く山襞の威容、岩塩と泥が固まって累々と大地を覆い尽くすデヴィルズ・ゴルフ・コース、浸食され崩壊した斜面に色とりどりの鉱石が美しいアーティスト・パレット、ドライ・レイクに真っ白な岩塩が拡がるバッド・ウォーター、折からの夕日に見事な陰影で絶妙のコントラストを見せる砂丘・サンド・デューン、残雪を吹き渡る烈風に震え上がったダンテス・ビュー、そして大理石の岩盤を穿って羊腸と続くモザイク・キャニオンのトレイル…命の存在を否定するような過酷な佇まいの前に、いつしか自分自身が限りなく小さな存在に見えてくる。「なんくるないさァ」という沖縄の人々の哲学をふと思い起こしながら、その夜はネバダ州の高原の小さな街・ビーッティーのドライブ・イン・ステージ・コーチ(駅馬車!)に泊まった。
ワインに心地よく酔いながら、カジノでちょっぴり散在して眠りについた。翌朝目覚めた私たちを迎えてくれたのは、夜半に降った純白の雪景色だった。紛れもなく今は真冬だった。
(2005年1月:写真:ザブリスキー・ポイント)