三俣山山頂から日が昇った。未明の外気温は3度。冷気にきりっと引き締められた湯上がりの肌を、朝日のぬくもりの矢が心地よくほぐしていく。閉じた瞼の裏に、オレンジ色の眩しさが踊った。風音もない静寂の中に、木立を縫って様々な小鳥の声が転がってくる。標高1000メートルを超える高原の日差しに、もう夏の後ろ姿は見えない。限りない優しさだけが全身を包んだ。
自称「山屋」の正昭・宏子夫妻から誘いが来た。正昭さんが思いがけない入院手術で数ヶ月山を離れた。新婚旅行さえザックとテントをかついで山にはいり、度々ヒマラヤにはいって5000メートル級の山々を経巡る夫妻に、この長い山断ちは前代未聞のことだったろう。「快気祝いと足試しをかねて久住にはいるけど、どう?」
宏子さんは小学校以来の家内の無二の親友。一見男勝りでありながら、50年以上家内から目を離さず優しく庇護してくれている。正昭さんとはお互いにリタイアしてからのお付き合いだが、優しさと包容力に心服して、兄貴としてお付き合いさせていただくようになった。40年ぶりに山歩きを再開した「出戻りトレッカー」の私達を、思いっきりペースダウンして遊ばせてくれる上に、山野草を教えてくれる師でもある。
湯坪温泉を抜けて山にはいり、路傍に車を置いて1287メートルの一目山を目指した。逆光を受けた一面のススキの山肌を風が走り、銀色に波打たせる。その足もとには、色とりどりの秋の草花が可憐に揺れていた。ノギクの薄紫、ウメバチソウの純白、ゲンノショウコの濃いピンク、サイヨウシャジンの紫、そして足の踏み場にためらうほどに、リンドウが今盛りだった。ヤマラッキョウはススキの揺らぎに誘われるように、まるで姫手鞠のような球状の花を揺らしている。山頂から久住連山の山濤を遠望しながら、正昭さんの健脚の復活を祝った。
Kヒュッテの一夜。国有林に包まれた素朴な文字通り山小屋だが、ある山荘の調理長だった幸三さんの山の幸料理と、餅肌美人のミサエ夫人の飾らない明るいもてなし、今時珍しいほどに優しい息子の隆也君、今は働きに出ている乗馬好きの妹の裕子さん……一家の醸し出すぬくもりに触れたくて山仲間達が集う宿である。野草の天麩羅や鹿刺しを肴に快気祝いのビールを呑みながら、茸鍋をつついて夜が更けた。
(2003年11月:写真:リンドウ)