遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

2月7日は北方領土の日

2015-02-07 01:42:51 | ロシア全般
 2月 7日は、北方領土の日です。1855(安政元)年2月7日に日露和親条約(日魯通好条約)が調印され、日露間の国境を「択捉島とウルップ島の間」に画定したことから、北方領土問題に対する関心と理解を深め、全国的な返還運動の推進を図るため同日を「北方領土の日」と定められたのですね。
 以後、樺太千島交換条約(1875年)、ポーツマス条約(1905年)、サンフランシスコ条約(1951年)といった国際条約で、北方四島は一貫して日本領土として推移してきています。
 これを、ヤルタ密約でスターリン、ルーズベルト、チャーチルが密約をしソ連の参戦を促し、ロシアはこの密約を根拠に戦争の結果領有したと主張しているのですね。
 しかし、ヤルタ密約は国際法に違反していて、国際法としての根拠を持たず、米国も無効としていて、2005年にはブッシュ大統領が「史上最大の過ちの一つ」と批判しているのだそうですね。


 以上は、昨年の2月6日に書いた文です。
 民主党政権時に、それまで長年の日露政府間での交渉を、メドベージェフ大統領(当時)の国後島上陸でご破算にされそうになりました。
 その後、プーチン大統領の復帰で、交渉が再開され、日本側も安倍政権が誕生し、2013年4月に安倍首相が訪ロして以来、両首脳関係のパイプは復旧したことは諸兄がご承知の通りです。
 メディアは四島返還に向けて好転の楽観論を流し、政府や財界もロシアのシベリア開発商談に前のめりで過熱していました。
 ところが、ロシアのウクライナ進攻で、頭に冷水をぶちかけられることになり、ブレーキがかかったのは、日本にとって幸運だったと、遊爺は素人判断しています。
 したたかなプーチン外交に嵌められそうになっていた日本が救われました。プーチン大統領の本意は、北方領土を餌に、日本の投資を得てシベリア開発を進めることと、欧州での販路が減少するなか、新たな販路として日本へも石油ガスを売り込みたいのです。四島返還や面積当分どころか、二島返還すらどこまで本気かは解りません。
 
2.7北方領土の日 歴史修正しているのは誰なのか (2/6 産経 【正論】 新潟県立大学教授・袴田茂樹)

 最近、ロシアの専門家たちとウクライナ問題で何回か議論し、次のような批判も受けた。「日本は遠いウクライナとは政治・経済関係もほとんどないのに、なぜ対露制裁に加わるのか。単なる先進7カ国(G7)への同調あるいは米国の圧力故ではないか」
 私は次のように答えた。「そのことを否定するつもりはないが、別の側面もある。それはG7で日本だけが、ロシアに主権と領土保全を侵されているという意味で、ウクライナと共通の問題を抱えている。従って日本が最も主権侵害を批判する権利を有し、また義務もある。中国との間の尖閣紛争をエスカレートさせないためにも、
わが国は主権侵害に毅然(きぜん)とした態度を取らざるを得ないのだ

≪最大の過ちだったヤルタ協定≫
 岸田文雄外相はベルギーで1月20日に「ウクライナで起きていることも北方領土問題も力による現状変更だ」と指摘した。これに対し
露外務省はこう批判した。
 「
軍国主義の日本こそがナチスドイツとともに、世界支配を目指して、第二次世界大戦前の“現状”を力で破壊し、多くの国を占領した。岸田発言は、その本質において歴史を転倒させ、大戦の原因と結果に対する一般に認められた理解を修正しようとしている」
 菅義偉(すが・よしひで)官房長官は同22日の記者会見で、歴史の歪曲(わいきょく)だとの批判は当たらないと述べ、日本が1945年8月にポツダム宣言を受諾し、その後旧ソ連軍に占領されたと説明した。露側は9月2日を終戦日と主張するが、しかしソ連は、戦勝国の領土不拡大を謳(うた)い国連憲章の基礎にもなった大西洋憲章(41年)を支持した。また
ヤルタ協定(45年)でソ連は千島等の領有を認められたと主張するが、同協定に日本は参加せず、国際条約でもなく、戦勝国による力による領土変更だったブッシュ米大統領は2005年に同協定を「歴史上最大の過ち」としている

≪自らの行動を否定する論理≫
 日本政府は、次の点もしっかり指摘して、
歴史を修正しているのは露側だと反論すべきであろう。
 露外務省が「大戦の結果に対する一般に認められた理解」と言う場合、北方四島が露領だという意味も含まれている。実は日露の平和条約交渉に関連して露政権が
「北方四島に対するロシアの主権は、第二次大戦の結果だ」と主張したのは、プーチン大統領が05年9月27日に国営テレビで述べたのが初めてだ

 それまで日露両政府は1993年の東京宣言における「4島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」との合意を前提に交渉していた。つまり4島の主権問題は未解決だということが共通の公式認識だった。ちなみにプーチン大統領は東京宣言を認めた2001年のイルクーツク声明(「平和条約交渉を東京宣言…に基づいて行う」)、03年の日露行動計画(「両国間の精力的な交渉の結果…東京宣言…を含む重要な諸合意が達成された」)に署名している。
 このように
プーチン大統領自身が、4島の帰属問題が未解決だと認めていた。また、日露は1998年に「国境画定委員会」を創設しているが、当然、国境の未画定が前提だ。だからこそ今日まで平和条約交渉が行われてきたのだ。
 最近ロシア側は、「南クリル(北方四島)が露領であるのは、第二次大戦の結果」と強調するが、ではなぜ北方四島の帰属をめぐる平和条約交渉を続けてきたのか。
今日の露政府の論理は、自らのこれまでの行動を否定するものに他ならない。つまり、歴史を転倒させ修正しているのは、露側でありプーチン大統領自身である。

≪日本批判の「戦勝記念日」≫
 「軍国主義の日本こそがナチスドイツとともに…」の露外務省発言に関して付言しておきたい。日本はドイツと1940年に同盟を結んだ。にも拘(かかわ)らず41年に
日ソ中立条約を締結して、独ソ戦の間も含め、それを守っていたソ連が対独戦に勝利した背景には、日本が中立条約を守っていたという要因があり、今日ではロシアの専門家たちも認める歴史的事実だ。
 
その中立条約を破って日本を攻撃し、日本の領土を獲得したのはソ連である。ここでも歴史を転倒させているのはロシア側である。

 
中露は共同で、戦勝70周年を祝おうとしている。両国の共通認識は、「歴史の修正は許さない」というものだ。もちろんこれは、日本批判でもある。しかし、ここに述べたようなロシア側の転倒した歴史認識を基に「歴史の修正を許さない」としてロシアが中国と歩調を合わせることは、日本としては到底、容認できない。
 プーチン大統領は5月の戦勝記念日に中国の習近平国家主席とともに、安倍晋三首相を招待している。黙って招待を受けるとすれば、このようなロシアの歴史認識を日本は認めることになる。昨今ウクライナ情勢はさらに悪化しており、G7は対露制裁を緩和できる状況にない。招待にどう対応すべきか、おのずと明らかだろう。(はかまだ しげき)


 覇権を拡大する中国への抑止力を必要としている点では、日露の利害は一致しています。
 今、世界から制裁を受け孤立し、困窮しているロシアは、石油や天然ガスの販路確保は国家経済の死活問題であり、価格が折り合わずに交渉が頓挫していた中国への石油ガス販売を中国のペースでの販売に屈しています。
 当然、対中抑止力として、日本の存在の重要性は増しています。勿論、日本も対中抑止力としての日露関係のパイプは重要です。

 いつもの繰り返しで恐縮ですが、台所の苦しいロシア。
 日本は前のめりで突っ込むのではなく、機が熟すのを、慌てずかと言って逃さず見極めて、今の絶好機(大統領の支持率が高いが、経済で困窮している)に北方領土の解決と、平和条約締結の課題を前進させるべきでしょう。
 四島返還には、先ず千島列島返還あたりから交渉してもよいのでは。。

 以下は、北方領土問題の経緯の備忘メモです。
 
 政府間交渉
 ■日ソ共同宣言(1956年)
 両国の国交が回復。日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す。プーチン大統領の「引き分け」は、このレベルを指すとの見解が多い。

 ■日ソ共同声明(1991年) 
 1991年4月海部総理とゴルバチョフ大統領により署名された。 北方四島が、平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが初めて確認さた。

 ■東京宣言(1993年) 
 1993年10月、細川総理とエリツィン大統領により署名された。 領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題と位置づけるとともに、領土問題解決のための交渉指針が示された。 また、日ソ間のすべての国際約束が、日露間で引き続き適用されることを確認した。

 ■クラスノヤルスク合意(1997年)
 1997年11月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致。

 ■川奈合意(1998年)
 1998年4月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致。

 ■イルクーツク声明(2001年)
 2001年3月、森総理とプーチン大統領により署名された。 日ソ共同宣言が交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すべきことを再確認した。

 ■日露行動計画(2003年)
 2003年1月、小泉総理とプーチン大統領により採択された。日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化することを目的とした交渉における基礎と認識し、交渉を加速することを確認した。
 
 考えよう 北方領土:政府広報オンライン
 1855年2月7日、日魯通好条約が調印され、択捉島とウルップ島の間に国境が法的に確認されました。1875年には樺太千島交換条約を結び、千島列島をロシアから譲り受けるかわりにロシアに対して樺太全島を譲渡しましたが、この時日本に譲渡されることとして列挙された千島列島の島名の中には、北方四島の名称は含まれておらず、当時から千島列島には北方四島が含まれていないことが分かります。

第2次世界大戦後の1951年にはサンフランシスコ平和条約が署名され、日本は千島列島と、1905年のポーツマス条約によって譲り受けた北緯50度以南の南樺太を放棄しましたが、北方四島は含まれていません。また、ソ連はこの条約の署名を拒否している


    

政府広報(北方領土問題) - YouTube


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ソ連が満洲に侵攻した夏 (文春文庫)




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