上高地のお猿さんは人をあまり恐れ無いようです。
木道の上を堂々と歩いたり、私とすれ違っても挨拶はしてくれませんが
平気な顔をして通り過ぎていきました。
5匹の猿と遭遇しましたがみんなまるまると太っていて顔色も良いです。
これも望遠で撮っているのではありません。
目を合わせてはいけないという注意書きがありましたが、カメラのレンズは気にならないようです。
ドンドン私に近づいてきて、目の前50cmの所を通り過ぎていきました。
物静かで何処かの大国の観光客より静かでお行儀も良かったです。
上高地のお猿さんは人をあまり恐れ無いようです。
木道の上を堂々と歩いたり、私とすれ違っても挨拶はしてくれませんが
平気な顔をして通り過ぎていきました。
5匹の猿と遭遇しましたがみんなまるまると太っていて顔色も良いです。
これも望遠で撮っているのではありません。
目を合わせてはいけないという注意書きがありましたが、カメラのレンズは気にならないようです。
ドンドン私に近づいてきて、目の前50cmの所を通り過ぎていきました。
物静かで何処かの大国の観光客より静かでお行儀も良かったです。
薄曇りの天候ですが山は綺麗に見えています。
去年は雨の中の山行でしたので穂高は裾野さえ見えませんでした。
素晴らしい景色と清廉な空気の中を歩くのは気持ちいいです。
梓川は河童橋から徳沢まで遡っても標高差は10mだか30mだか、兎に角殆ど高低差はないのですが、
道はかなりアップダウンします。
山に来た気分を味あわせてあげようという公園当局のご配慮なのでしょうか?
ホテルに着いたのは午前10時頃でした。
朝5時半に家を出て、中央高速経由をひた走りバスに乗り換えて4時間半で着いたのです。
未だチェックインは出来ないので荷物を預けて河童橋まで散策することにしました。
穂高連峰が綺麗に見えています。
雪解け水で梓川の水量も多いです。
蕗の薹が蕾を持ち上げています。
河童橋が見えてきました。
大型連休の後だから人では幾分少ないようです。
半分は中国人のようです。台湾の人もいるのでしょうが私には判別できません。
程良く残雪があって初夏の雰囲気です。
上高地へ行くには釜トンネルから先へはマイカーは入れないので手前の沢渡の駐車場へ
車を置いてバスかタクシーで行かねばなりません。
市営の駐車場が何カ所も有り一泊600円で預かってくれます。
バスは片道1250円位でした。
往復だと割引になりますが帰りも乗るとは限らなあいから片道切符にしました。
道の脇には未だ雪が残っています。
林の中にも残雪があります。
バスのドライバーは女性でした。
この狭い道をかなりの速度で運転していきます。
鎌倉は一年中混雑しているのですが、この連休中は猛烈な混雑が予想されます。
そこで少し遠回りですが、代々木上原から小田急で江ノ島へ出ることにしました。
予想は的中、江ノ電の江ノ島駅では鎌倉駅ではホームへの入場規制が行われていて
乗車まで1時間待ちである、この後は更に混雑が増えに時間待ちもあり得るというのです。
江ノ電は小型の車両でトラムより小さいし車両も時代物、その上、単線ですから
混むからと言って増発もままならないローカルな電車です。
そこがまた可愛い、と言う人も居るし私も同感です。
江ノ電に乗る前にお昼にしました。
生シラスと釜揚げシラスの二色丼です。
中なか美味しいお昼です。
量も多くて持て余す程でした。
ウナギを注文したら30分ほど掛かると言われました。
ウナギをちゃんと裂いて焼くにはそのくらいは掛かりますから
その間、前におわします神社にお参りしました。
料理屋の女将にはゆっくりお参りしてください、と言われました。
板東の何番目かの霊場になっているようです。
お賽銭を上げてお参りしてから裏手の川っぷちに行ってみました。
こんな感じでまことにのんびりしたところです。
釣り人が居ましたが竿は出していますが魚篭などは見当たりません。
もし釣れてもリリースするのでしょう。
これまたのんびりした釣り人でした。
この櫓が博物館になっている建物です。
上まであがってみましたがエレベーターはありません。
勿論鉄筋コンクリート製です。
城門の脇には鎧を纏った案内人らしき人物が居ました。
ボランティアの案内人なのか扮装が趣味なのか不明です。
こちらは忍城・時の鐘で史実に元ずく復元のようです。
これで城下に時刻を知らせていたのでしょう。
彩のかがやきという米を買いに行田市の篤農家へ行ったついでに
その農家の奥さんに勧められた忍城(オシジョウ)迄、脚を伸ばしました。
この辺は古代蓮の発見地であったり、古墳が多数残っていたりとなかなか味のある土地柄なのです。
地図の中央部分に櫓ようなのが見えますがそこが忍城です。
市役所の隣に有り、城は昔のものを復元したのではなく歴史博物館の建物として
それらしい形のものにしたと言うことでしょう。
足袋の町らしく最初の展示は足袋に関するものでした。
足袋の店を模した入口を潜ると、、、
昔の足袋を縫うミシンと人形です。
徐行さんが並んでミシン掛けしているのもありました。
ミシンの種類によって分業で作業していました。
これは職人が手作業で足袋を作って居ます。
現在のオーダーメイドの革靴作りに似た作業ですね。
ミシンが導入される前のものです。
(続く)
コンクリートとガラスの塊の離宮から解放され
次の日に訪れたのは清心園です。
明治の元勲「井上馨」の別邸だった建物です。
園主の牧田さんが邸内を案内して下さいました。
建具も調度も贅を尽くした作りです。
私にはこうゆう空間が心が癒やされます。
TVで派手な宣伝をしているからどんなところかと気になっていました。
以前は天野屋という老舗旅館があったところです。
広大な庭園と豊富な温泉量を誇る古式床しいお宿でした。
離宮というのは浜離宮とか桂離宮から連想して自然に融け込んだ風雅な宿を想像していました。
でもこの離宮は周囲から隔絶した場所、と言う意味である事が分かりました。
巨大な3棟のビルとそれを繋ぐ複雑な通路から出来ています。
日本では銭湯でさえお風呂だけではなく、脱衣場の外には庭を設え池など作って
お風呂で身体をほぐし、庭の木立や池を吹き抜ける風で心を癒やす工夫をしています。
温泉に行ってシティーホテルの雰囲気を味わい方にはおすすめの宿です。
光る苔です。
房総半島でも見たことがありますから条件が合えば生育できるのでしょうが
珍しいので観光資源になっているのでしょうね。
私の衰えた目ではなかなか暗さに順応できませんが、
スマホのカメラはしっかり捉えてくれました。
洞窟の奥の方まで光っています。
県北にある東松山市に用事があったので帰り道、吉見の百穴に立ち寄りました。
百穴はヒャッケツではなくヒャクアナと読むのを施設内の案内放送で知りました。
百穴は投書、コロボックル人の住居跡だと言われていましたが
今は墳墓の遺跡という説が確定しているそうです。
戦時中は中島飛行機の地下工場がこの地下に掘られて、一部稼働
しただけで週船になったそうです。
地下工場を彫る作業は朝鮮人労働者が動員されたと書いてありました。
軽井沢から鬼押し出し経由で草津温泉へ回りました。
天皇ご夫妻が軽井沢から草津へお回りになったと報道がありましたが
畏れ多くも我々と同じコースです。
草津名物「湯畑」です。
草津の湯は硫黄分が多いのでこうして湯花を採集しているのです。
草津の標高は意外にも1156mもあるのだと知りました。