かれこれ7年近く 日記を書き続けています。
大学ノートでただいま21冊目。
日記といっても、2週間でノート1冊使い切ることもあれば、一年に一回しか書いてない(どこが日記だ・笑)なんていう年もあったりと、すごいムラのあるペースなんですが(^^ゞ
成功者の方々のアドバイスで、よく「思うだけでなく紙に書き出しなさい」っていうのがあるけど、これってほんとうにそうだなって思えるようになったのは この日記のおかげです。
悩みとか迷いとか、実際にその真っ只中で煮詰まってるときにはどうにもならないけれど、一歩引いてそんな自分の状態を外から眺めるように冷静に書き綴っていると、突然書く端から答えが浮かんでくることがあるのです。
それもけっこう頻繁に♪
こうなると 氣分は同時通訳兼速記者、書きながら自分で「ふむふむ、へぇ~、そうだったのかぁ」なんてね(笑)
自分で考えてるんじゃなく、天から降りてきたのを「ちょっと待って~」とか言いながら 必死で書きとめている感じ。
あと、書くことで記憶がより鮮明になるおかげか、自分がどういうプロセスを経てどう変わっていったかを割合はっきりと覚えていて、人に話しやすかったりとか。
で、少し前のこと。
ふと思いついて 1冊目から順番に 過去の日記全部に目を通したら、これが面白いのなんのって。
推理小説で「伏線」って言葉がありますよね。
結末に向けて それと氣づかれないように巧妙に読者を導いていく仕掛けのこと。
推理小説だったら、一度おしまいまで読んでオチがわかったところでもう一度読み直して、「そっか~、これが伏線だったのかぁ」って感心したり悔しがったりするのが面白いんだなぁ♪
でも 現実の暮らしだと 普通そのまま通り過ぎてしまって振り返ったりしないことがほとんど。
それが 日記に記録されているものは 推理小説のように あとからもう一回読み返して見直すことが出来るんですね。
するとね、
まあざくざくと出てくる出てくる、
当座はまったく氣づかなかった「伏線」が。
あ~!あのときのこれこれが、半年後のこれこれのきっかけだったんじゃない!
とか、
あのときどど~んと落ち込んだ件が、この一年後の問題の解決に一役買ってたのか~、
とか、
あらら、ここで「突然氣づいた!」って書いてるけど、実は三日前のここですでに疑問を投げかけてたんじゃない、
とか。
日常でそのまま「あ」って氣づく布石もあるけれど、やはり時間が経つほど忘れてしまったり結び付けにくくなってしまったりするものなのでしょう。
それが、記録として残しておいて読み返すと、こんなにもあったのかって もうびっくり☆
そして、全部読み終えた後、しみじみ感動しました。
生きてるってなんてすごいことなんだろう
人生ってなんて素晴らしいんだろう
って
小説だったら、どうしても結末が氣になって仕方なかったら こっそり先に読んじゃうことだってできるし、そうすれば伏線を最初から見破ることだって簡単にできる。
でも、人生で逆走はできないもの。
何が何の伏線になってるなんて、見破るどころか 氣づきもしないことがほとんど。
でも、私たちがまったく氣づかず素通りしてたって、実は神さまがそっと張り巡らせておいてくれた伏線が 見事に私たちを本来の道に導いてくれてたんだ、ってことを、この21冊のノートが教えてくれたんですね
しかも。
人間は完璧じゃないから、プロの作家さんの小説でも 伏線を見落としてたり 回収できてなかったり あんまり生かされてない印象になっちゃったりすることもままあるんだけど、
神さまは完璧ですから
伏線回収率100%(笑)
無駄に悩んだり無意味に振り回されたりなんてこと ひとつもありません
自分で振り返ってみると、そのことが身に沁みてわかります♪
さらにさらに。
小説だったら 登場人物がいくら多くても数十人だけど、
この世では数十億人の人間がいて、そのひとりひとりが100%効果を発揮する伏線をどっさり持っていて、しかもそれが種々さまざま かつ 刻々と変化する人間関係の中で 常にぴったり過不足なく絡み合いながら効果を発揮し続けているのですから。
まさに神業。
おまけに。
私たちが人生から逃げたり見ないフリしたりしないでまっすぐ向き合う限り、
神さまの小説は さいごは必ずハッピーエンド
そして この小説は人の数だけあって、私たちひとりひとりがその主人公なのだぁ~\(^o^)/
ね、スゴくない?
今この瞬間も 相変わらず先のことは見えないまま、
ときには
「なんでこんな苦しい目にあうの?これがいつまで続くの~?」(T_T)
なんて辛い思いを味わうこともあるけれど、
振り返った7年に あれほどのとてつもない仕掛けが施され、しかもそのすべてが私をここまで導き成長させてくれてたんだって知った今なら 信じられるような氣がするんだよね♪
どんな体験も なにひとつ無駄じゃない
今は氣づけなくても
この体験が伏線となって きっと私を新しい世界へと連れて行ってくれる
今はどんなに大変でも
逃げずに向き合うことで 必ず幸せを手にすることができる
って
だから
天を 自分を 人生を信じて
きょうも私は歩き続けます
神さま ありがとう
大学ノートでただいま21冊目。
日記といっても、2週間でノート1冊使い切ることもあれば、一年に一回しか書いてない(どこが日記だ・笑)なんていう年もあったりと、すごいムラのあるペースなんですが(^^ゞ
成功者の方々のアドバイスで、よく「思うだけでなく紙に書き出しなさい」っていうのがあるけど、これってほんとうにそうだなって思えるようになったのは この日記のおかげです。
悩みとか迷いとか、実際にその真っ只中で煮詰まってるときにはどうにもならないけれど、一歩引いてそんな自分の状態を外から眺めるように冷静に書き綴っていると、突然書く端から答えが浮かんでくることがあるのです。
それもけっこう頻繁に♪
こうなると 氣分は同時通訳兼速記者、書きながら自分で「ふむふむ、へぇ~、そうだったのかぁ」なんてね(笑)
自分で考えてるんじゃなく、天から降りてきたのを「ちょっと待って~」とか言いながら 必死で書きとめている感じ。
あと、書くことで記憶がより鮮明になるおかげか、自分がどういうプロセスを経てどう変わっていったかを割合はっきりと覚えていて、人に話しやすかったりとか。
で、少し前のこと。
ふと思いついて 1冊目から順番に 過去の日記全部に目を通したら、これが面白いのなんのって。
推理小説で「伏線」って言葉がありますよね。
結末に向けて それと氣づかれないように巧妙に読者を導いていく仕掛けのこと。
推理小説だったら、一度おしまいまで読んでオチがわかったところでもう一度読み直して、「そっか~、これが伏線だったのかぁ」って感心したり悔しがったりするのが面白いんだなぁ♪
でも 現実の暮らしだと 普通そのまま通り過ぎてしまって振り返ったりしないことがほとんど。
それが 日記に記録されているものは 推理小説のように あとからもう一回読み返して見直すことが出来るんですね。
するとね、
まあざくざくと出てくる出てくる、
当座はまったく氣づかなかった「伏線」が。
あ~!あのときのこれこれが、半年後のこれこれのきっかけだったんじゃない!
とか、
あのときどど~んと落ち込んだ件が、この一年後の問題の解決に一役買ってたのか~、
とか、
あらら、ここで「突然氣づいた!」って書いてるけど、実は三日前のここですでに疑問を投げかけてたんじゃない、
とか。
日常でそのまま「あ」って氣づく布石もあるけれど、やはり時間が経つほど忘れてしまったり結び付けにくくなってしまったりするものなのでしょう。
それが、記録として残しておいて読み返すと、こんなにもあったのかって もうびっくり☆
そして、全部読み終えた後、しみじみ感動しました。
生きてるってなんてすごいことなんだろう
人生ってなんて素晴らしいんだろう
って
小説だったら、どうしても結末が氣になって仕方なかったら こっそり先に読んじゃうことだってできるし、そうすれば伏線を最初から見破ることだって簡単にできる。
でも、人生で逆走はできないもの。
何が何の伏線になってるなんて、見破るどころか 氣づきもしないことがほとんど。
でも、私たちがまったく氣づかず素通りしてたって、実は神さまがそっと張り巡らせておいてくれた伏線が 見事に私たちを本来の道に導いてくれてたんだ、ってことを、この21冊のノートが教えてくれたんですね
しかも。
人間は完璧じゃないから、プロの作家さんの小説でも 伏線を見落としてたり 回収できてなかったり あんまり生かされてない印象になっちゃったりすることもままあるんだけど、
神さまは完璧ですから
伏線回収率100%(笑)
無駄に悩んだり無意味に振り回されたりなんてこと ひとつもありません
自分で振り返ってみると、そのことが身に沁みてわかります♪
さらにさらに。
小説だったら 登場人物がいくら多くても数十人だけど、
この世では数十億人の人間がいて、そのひとりひとりが100%効果を発揮する伏線をどっさり持っていて、しかもそれが種々さまざま かつ 刻々と変化する人間関係の中で 常にぴったり過不足なく絡み合いながら効果を発揮し続けているのですから。
まさに神業。
おまけに。
私たちが人生から逃げたり見ないフリしたりしないでまっすぐ向き合う限り、
神さまの小説は さいごは必ずハッピーエンド
そして この小説は人の数だけあって、私たちひとりひとりがその主人公なのだぁ~\(^o^)/
ね、スゴくない?
今この瞬間も 相変わらず先のことは見えないまま、
ときには
「なんでこんな苦しい目にあうの?これがいつまで続くの~?」(T_T)
なんて辛い思いを味わうこともあるけれど、
振り返った7年に あれほどのとてつもない仕掛けが施され、しかもそのすべてが私をここまで導き成長させてくれてたんだって知った今なら 信じられるような氣がするんだよね♪
どんな体験も なにひとつ無駄じゃない
今は氣づけなくても
この体験が伏線となって きっと私を新しい世界へと連れて行ってくれる
今はどんなに大変でも
逃げずに向き合うことで 必ず幸せを手にすることができる
って
だから
天を 自分を 人生を信じて
きょうも私は歩き続けます
神さま ありがとう