去年は使えなかったクリスマステンプレートでブログを飾れるうれしさ
わが家もリースやらキャンドルやらでささやかにクリスマスしてます
外に出れば、あちこちのお宅で今年も綺麗なイルミネーションを飾りつけてくれてるのがまたうれしいなぁ♪
土日となると いっぺんに静かになるわが家周辺、学校お休みだもんね♪
平日の昼休みや放課後のにぎやかさといったらもう(笑)
ブランコのギーコギーコ鳴る音、ボールの弾む音、そしてなんといっても子どもたちの駆け回る足音に 笑い声や叫び声
2、3日前のこと、相も変らぬ放課後の賑わいに耳を傾けていたら、
突然「パオパオ~!」という叫び声が。
なんじゃそりゃ!?と思っていたら、
みんなよほど氣に入ったのか、たちまちあっちでも「パオパオ~」、こっちでも「パオパオ~」(笑)
しかもそれがだんだん二人、三人とそろっていって、しまいには「パオパオ~!」の大合唱に
挙句の果てには、
“せ~んろはつづく~よ~ ど~こまでも パオパオ~
の~をこえやまこ~え た~にこえて パオパオ~ ”
(^◇^;)
合いの手になってるぅ
何人で歌ってるんだか かなりのアップテンポなのに まあよくそろうことそろうこと、
大音響でフルコーラスしっかりやってくれました(笑)
私は家で二つ折れになって大笑い (T▽T)ノ_彡☆
子どもたちをすぐ近くで眺めていると、いのちって理不尽なものだなぁって氣がしてきます。
いや、理不尽って言うのは語弊があるな。。。
理屈抜きっていうかな。。。
低学年のちっちゃな子たち見てると特にそう思います。
大きい子たちの遊びはバレーボールとかサッカーとかだんだん形が出来てくるけど、小さい子たちのは勢い任せの出たとこ勝負。
たとえば鬼ごっこなんか始めるでしょ。
ある程度経って ちょっとこれは飽きたかな・・・っていう空氣がたちこめてくると、すかさず誰かが「ねえ、○○しよう!」と他の遊びを言い出す。
そのまま一氣に突入することもあれば、「△△がいい!」と別提案が出ることも。
すると、それやりたい!っていう氣持ちのより多い方に流れがひょいと傾いて、たちまち遊びがチェンジする。
勢いひとつでどうとでも流動的にほいほい変わっていくんですね。
自分の提案却下されちゃった子もくよくよなんてしてません、けろりと氣を変えて すぐその流れの中に飛び込んでいく。
すべてはあれやりたい、これ楽しいっていう氣持ちとノリだけ、それで状況が刻々変化しつつ、チャイムが鳴るとか帰りの時間になるとかするまで 遊びはエンエン続いていく。
みんな無意識のうちに場の流れを感じ取っていて、実にうまくそれに乗っかっていくんですね。
っていうか、みんなが無意識に発してるいのちのエネルギーの総体が 流れとなって場を創ってる、っていう方が近いかな。
こういうのにさんざん触れた後で 大人ばっかりの会議なんかに出ると、もうなんなんだ、このテンポの悪さ、このぐだぐだな生氣のなさは!ってつい思っちゃう(笑)
子どもたちは、いのちのほとばしるままに動くことを知ってるんですね
私たち大人もかつては子どもで、この勢いを肌で知ってたはずなのにね。。。
大人の世界は 理屈や決まりごとで成り立ってる部分が多いから、それに合わせてると 頭で考えることがどんどん増えていって 勢いを削がれて流れが滞っちゃうんだろうなぁ。。。
子どもだって、上の学校になるほど 回りの要求に合わせることに慣れていって、それと反比例するようにいのちの輝きが薄れていってしまうのが感じられます。
なんでも勢い任せがいいとは思わないけど、それにしても大人だってもう少し感じるままに 遊び心でキラキラするときがあったっていいんじゃないかなぁ
もっともっとみんなでそういう時間持てるようになったらいいなぁ♪
かく言う私もすっかり忘れていたことだけど、子どもたちにちょくちょくお仲間入りさせてもらうことで、自分の中の感じる力を少しずつ思い出させてもらってるような氣がします(^^)
彼らが先生なんだよね♪
いろいろと忙しかったり氣がかりだったりはあるけれど、大人だってときには理屈抜きであのキラキラを取り戻そうよ~~~\(^o^)/
パオパオ~
わが家もリースやらキャンドルやらでささやかにクリスマスしてます
外に出れば、あちこちのお宅で今年も綺麗なイルミネーションを飾りつけてくれてるのがまたうれしいなぁ♪
土日となると いっぺんに静かになるわが家周辺、学校お休みだもんね♪
平日の昼休みや放課後のにぎやかさといったらもう(笑)
ブランコのギーコギーコ鳴る音、ボールの弾む音、そしてなんといっても子どもたちの駆け回る足音に 笑い声や叫び声
2、3日前のこと、相も変らぬ放課後の賑わいに耳を傾けていたら、
突然「パオパオ~!」という叫び声が。
なんじゃそりゃ!?と思っていたら、
みんなよほど氣に入ったのか、たちまちあっちでも「パオパオ~」、こっちでも「パオパオ~」(笑)
しかもそれがだんだん二人、三人とそろっていって、しまいには「パオパオ~!」の大合唱に
挙句の果てには、
“せ~んろはつづく~よ~ ど~こまでも パオパオ~
の~をこえやまこ~え た~にこえて パオパオ~ ”
(^◇^;)
合いの手になってるぅ
何人で歌ってるんだか かなりのアップテンポなのに まあよくそろうことそろうこと、
大音響でフルコーラスしっかりやってくれました(笑)
私は家で二つ折れになって大笑い (T▽T)ノ_彡☆
子どもたちをすぐ近くで眺めていると、いのちって理不尽なものだなぁって氣がしてきます。
いや、理不尽って言うのは語弊があるな。。。
理屈抜きっていうかな。。。
低学年のちっちゃな子たち見てると特にそう思います。
大きい子たちの遊びはバレーボールとかサッカーとかだんだん形が出来てくるけど、小さい子たちのは勢い任せの出たとこ勝負。
たとえば鬼ごっこなんか始めるでしょ。
ある程度経って ちょっとこれは飽きたかな・・・っていう空氣がたちこめてくると、すかさず誰かが「ねえ、○○しよう!」と他の遊びを言い出す。
そのまま一氣に突入することもあれば、「△△がいい!」と別提案が出ることも。
すると、それやりたい!っていう氣持ちのより多い方に流れがひょいと傾いて、たちまち遊びがチェンジする。
勢いひとつでどうとでも流動的にほいほい変わっていくんですね。
自分の提案却下されちゃった子もくよくよなんてしてません、けろりと氣を変えて すぐその流れの中に飛び込んでいく。
すべてはあれやりたい、これ楽しいっていう氣持ちとノリだけ、それで状況が刻々変化しつつ、チャイムが鳴るとか帰りの時間になるとかするまで 遊びはエンエン続いていく。
みんな無意識のうちに場の流れを感じ取っていて、実にうまくそれに乗っかっていくんですね。
っていうか、みんなが無意識に発してるいのちのエネルギーの総体が 流れとなって場を創ってる、っていう方が近いかな。
こういうのにさんざん触れた後で 大人ばっかりの会議なんかに出ると、もうなんなんだ、このテンポの悪さ、このぐだぐだな生氣のなさは!ってつい思っちゃう(笑)
子どもたちは、いのちのほとばしるままに動くことを知ってるんですね
私たち大人もかつては子どもで、この勢いを肌で知ってたはずなのにね。。。
大人の世界は 理屈や決まりごとで成り立ってる部分が多いから、それに合わせてると 頭で考えることがどんどん増えていって 勢いを削がれて流れが滞っちゃうんだろうなぁ。。。
子どもだって、上の学校になるほど 回りの要求に合わせることに慣れていって、それと反比例するようにいのちの輝きが薄れていってしまうのが感じられます。
なんでも勢い任せがいいとは思わないけど、それにしても大人だってもう少し感じるままに 遊び心でキラキラするときがあったっていいんじゃないかなぁ
もっともっとみんなでそういう時間持てるようになったらいいなぁ♪
かく言う私もすっかり忘れていたことだけど、子どもたちにちょくちょくお仲間入りさせてもらうことで、自分の中の感じる力を少しずつ思い出させてもらってるような氣がします(^^)
彼らが先生なんだよね♪
いろいろと忙しかったり氣がかりだったりはあるけれど、大人だってときには理屈抜きであのキラキラを取り戻そうよ~~~\(^o^)/
パオパオ~