毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

当たり前の暮らしの中で

2011年08月28日 22時33分44秒 | ふと思うこと
8月の初め、ご近所の方が亡くなられて、お通夜の裏方のお手伝いをさせていただきました。

この辺の仏式のお通夜は、お住職さまの読経のあと、西国三十三箇所巡礼のご詠歌を一番から順に詠唱するのがならわしのようで、三十三番プラス番外の歌まで入れると 軽く1時間はかかります。

で、15番とか20番あたりで区切りを入れて 一般参列者はそこまでとし、そこから先は近親者のみとするのが慣例のようです。

この区切りのところで 参列者の皆さまにお茶とお菓子をお出しするのが恒例で、そのお手伝いの一人に呼んでもらいました。

このお役目をさせていただくのはこれで三回目なんだけど、いつもなんか独特だなぁって思うのが、この裏方の女の人たちが出番を待ってるときの雰囲氣。

何番で区切るかにもよるけど、だいたい30~40分は待つことになるので、お台所に引っ込んで「今何番?」「○番まできたら お茶注がないと」なんて 表の詠唱に聞き耳立てながら、そこはどうしても 声を潜めておしゃべりで時を過ごすことになる。

表からは 亡くなられた方を弔う厳粛な氣配が流れ込んでくる、その壁一枚隔てたすぐ裏で、地元のベテラン主婦の方々が、互いの近況やら 共通の知り合いの噂話やら 畑の様子に山菜取りの首尾まで、暮らしの香り漂う会話にひそひそと打ち興じる、その二つの空氣のなんともいえない混ざり具合。

生と死が、厳かな儀式と親しみ溢れる生活臭が、同時にたちこめ 混ざり合うような合わないような。。。

死を悼む儀式と隣り合わせだからなおのこと 当たり前の暮らしの話題がいとおしく感じられて、「ああ、生きてるなぁ」ってしみじみ思えて(^^)

知らない方がほとんどだから 私は話の中には入らないけど、皆さんの横で 表から流れ込む ご詠歌を高々と歌い上げる声と、裏の女の人たちの会話のミックスを どこか心地よ~くぼんやりと聞いているうちに、いつの間にか時間が経っていきます。



で、今回ふと思ったんだなぁ。

これからの日常って、もしかするとこんなふうになっていくんじゃないかなぁ。

ふとした立ち話で、どこの店の何が安いとか 漬物を美味しく漬けるコツなんていう話題と いのちとか魂とか光とかそんなような話とが なんの不思議もなく並んで出てくる、そんな暮らしが普通になってくるんじゃないかなぁって。

見える世界と見えない世界、二つが重なり合って それが生きるということなんだって 誰もが当たり前にわかってるような、そんな時代にどんどんなっていくんじゃないかなぁって。

今、東北の大震災やら 原発問題やら 世界の不安定な情勢やら 妙な氣候やら、人の心を揺さぶるようなことが 次々に現れてきて、誰もが否応なしに少ぉし深いところを覗き込むように、心の奥を見つめるように誘われてる、なんだかそんな氣がするから。


ありふれた下世話な日常と 豊かな心の世界が どちらも同じぐらい親しみ深く共存する暮らしって な~んかいいなぁ♪

ふとそんなことを思って ひとりにんまりしちゃったのでした♪