毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

育つ

2014年05月26日 11時11分13秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


きのうまで 晴ればれといいお天氣が続いて、冬物夏物の入れ替えがようやく完了、お風呂場もぴかぴかに磨き立てました♪

木々の緑と鳥の声に囲まれて、やっぱり山里の暮らしはいいなぁ (*^^*)

きょうは曇りで 午後から雨になるらしいので、台所仕事に専念しようかな~♪





白浜での日々も日ごとに遠くなりにけり、ですが、記憶から生々しい感触は薄れてゆくものの、記憶自体は 薄れるというより 距離を置くにつれて 次第にその姿や意味するところを変えていっているようです。

あの3ヶ月にどういう意味があったのか。

今の時点で思うのは、あの体験が 新しい視点を育て、五感を超えた世界への信頼を一段と深めてくれたなぁ、ということ。



GWにさしかかろうという頃だったか、ふと氣がつきました。

これまで 自分の内側を見つめて、さまざまな想念の書き換えを計ってきたけれど、なかなか定着せず、古い思い込みに引き戻されてしまうことも多かった。

それはつまり、自分の立ち位置がニュートラルではなかったということだよね。

まあ当然といえば当然なんだけれど、長年使い込み強化してきた古い思考回路に比べて、新しい回路はまだまだ馴染みきらず弱い。

使い慣れた方が ついつい優位になってしまうのは仕方がない。

とはいえ、二つの回路が拮抗し、自由な選択ができるようになって初めて、望むままの人生を創っていけるというもの。

新しい視点に氣づくのは 内観からだけれど、その回路を育てるには、暮らしの中のさまざまな場面で 実地に使い込むしかない。

そして、白浜での3ヶ月って、主にそのためにあったんじゃないかな? ってね☆



仕事に入ったばかりの頃は、見聞きするもの・出会うもの、すべてが目新しく刺激的で、いやおうなしに三次元世界にどっぷり引き込まれ、少し離れた客観的視点を確保するのは かなり難しいことでした。

初対面の人が こちらに向かってあれこれ話しかけてくる、それをいきなり自分の思考の反映と見ようとしてもね

どうしても 自分ではない他人がリアルに目の前にいる、自分ならざる世界に囲まれ 影響されている、という意識に呑み込まれてしまう。

だから、仕事中は 目の前のことに対応するのが精一杯、部屋に戻って落ち着いてから 日記帳を取り出し、その日の出来事を思い出しては書き付け、違う角度から眺め渡し 吟味する、の繰り返しでした。

最初の1ヶ月ぐらいは 二つの視点を行ったり来たり、振り回されてクラクラし、わざわざこんなところまで来て何をやっているのか わけがわからなくなるほど

日記を読み返すと面白いんだけど、最初の頃は、誰それさんがこうしたとかこう言ったとか、他人の名前や言動がちょくちょく出てくる。

それが日が経つにつれて、他人の描写が少なくなって、起きたことを自分の内面に置き換えての考察が増えてくる。

初めは錆びついたようになかなか働かなかった「外の世界を自分の内側として見る」回路が、四苦八苦しながらもとにかく使い続けるうちに、少しずつ存在感を増して 力を持つようになってきたっていうことね(^^)v




思い起こせば、「まわりの世界は自分の鏡」っていうことに初めて氣づいたのは 10年前の白浜でのことなんだけど、あの頃のそれは まるっきり外付けの情報でしかなく、ほとんど活かすことができなかった。

まわりの世界を「自分ではないもの」とみなし、三次元レベルでどう対応するかばかり考えている間は、ドラマ体験としては面白いかもしれないけれど、魂の進化という意味では 足止めされたも同然。

それが、この10年の間に 仮説としてさんざん試され、信頼を増し、いまや確信となって、二度目の白浜での 刺激が強くバラエティに富んだ体験の中で 繰り返し使われては しっかり消化吸収され 実感を伴って刷り込まれて、ついにわがものとなった、のかな。

“実習期間”が終わる頃には、起こることすべてが自分の世界観の反映、触れ合う人たちは たしかに他人ではあるんだけれど、同時に私の意識のある要素の投影でもある、という見方が、苦もなくできるまでになったもの♪

他者であり 同時に自分、大勢であり 同時にひとり。。。そう思う氣持ちに これまでも矛盾や疑いはなかったし、ここでもたびたび言葉にしてきたけれど、当然のこととして 実感を込めてすらりと口にできるほど同化してはいなかったよね。。。白浜以前には。




そして、こうなってなによりうれしいのは、これから自分の身に起こるであろう未知の体験についての 無条件の信頼が 一段と増したっていうこと。

不安がゼロになったわけじゃないけれど、確実にまたぐんと減ったよね。

白浜でも もちろんいいこと楽しいことばかりじゃなかったけれど、ネガな体験ほど 自分を変え、自分の世界を変えるチャンスをくれるものなんだっていう実感が、かつてないほど強くなったから。

うれしいこと・うれしくないこと、どっちが起きても 結局自分にプラスに働くことに変わりはない、それゆえ、この先に何が待ち受けているとしても とにかく前進して吉、と 躊躇なく思えるようになったから。

もうこうなると、「いい・悪い」「うれしい・うれしくない」の区別さえ 意味をなさないようにも思えてくるのです(^^)






断片的な記憶や思いは さかんに浮かんでは消え 浮かんでは消えするのに、まとまった言葉にならないまま時間が過ぎて、ブログを書きかけては諦める毎日でしたが、ようやくアップできた~

いったん形になりだすと、今度は文章化が追いつかないほど どんどん湧き上がってくるから、ある意味困りもの。


しばらく連投モードに入りそうな予感が。。。( ̄ー ̄;)ゞ