毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

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2016年10月23日 10時38分53秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


以前、津留晃一さんのこんなお話に触発されて、「 『美しい景色を見る』 とか 『大切な人と楽しい時間を過ごす』 とかは、幸せの条件ではなく 幸福感という自身の本質を思い出すきっかけに過ぎないと知った」 というような記事を書いた覚えがあります。

ここで この “きっかけ” を 「アイコン」 と表現したのですが、その後 この見方がどんどん深まって、今では 喜怒哀楽あらゆる場面の記憶が この 「アイコン」 として作用するんだなぁと思うようになりました。




否定的な 「アイコン」 をクリックすると、まずからだに不快な感覚が上がり、そこに言葉を添えて 不快な物語を紡ぎ出せば 否定的体験の再創造となってしまいますが、言葉を入れずに 感覚だけに集中すれば、うれしくない過去からの解放につながります。

このときの 「アイコン」 は、ここに辛い記憶が残ってるよ~、そろそろきちんと向き合って終らせる時だよ~、と合図し 解放のチャンスを与えてくれているんですね。




一方 幸福感を呼び覚ます 「アイコン」 は、本来の自分を思い出すチャンスをくれる ありがたいアイテム。

ほんとうの私たちは、愛 ・ 幸福 ・ 安らぎ ・ 豊かさ などと呼ばれる あたたかで満ち足りたエネルギーそのものなのだと、最近ますます思うようになりました。

そのエネルギーが 姿形や思考、名前などの個性をまとい 形ある存在となったのが、この私たちなんですね。

長い間 その形のほうを自分だと思い込んできたけれど、今は 「アイコン」 クリックのたびに ほんとうの自分はこっちだったと思い出せるよう導いてくれているのだという氣がします。




今 世間には それこそ 「暮らしの手帖」 創刊のころには考えられなかったような 美しい家や洗練されたインテリア、かわいい雑貨などで演出された写真満載のマイホーム情報が氾濫し、雑誌やネットサイトから 家庭用品の広告やウィンドウディスプレイに至るまで 多くの場面で目にすることができます。

家仕事大好きの貴秋も そういったものに魅了されるひとりなわけですが、最近思ったのです、こういうイメージ情報に触れるたびに湧き上がるときめきや あたたかい家庭への郷愁こそ、ホーム (ふるさと) ⇒ 忘れていたほんとうの自分、すなわち ハートのエネルギーの感触そのものだったと。

この季節、秋冬のインテリアに囲まれた一家団欒の光景や ハロウィン またはちょっと早いけどクリスマス仕様で飾りつけられた部屋や食卓の映像が目白押しですが、それらを見てワクワクする人もいれば、自分には失われたもの、手に入らないものと悲しい思いをする人もいることでしょう。

そのいずれも、憧れの源は 外側のイメージではなく 自分の内にあるのだ、自分そのものなのだと氣づけたら。




マインド偏重の心は、その本質が見えないまま 形のほうを追い求めます。

物ばかり追いかければ、それを得られる人 ・ 得られない人という分離が生じ、資源の乱用やゴミの山にもつながり、人間以外の生き物にも大きな害をもたらし、やがては自分の首を自分で締める結果となるでしょう。

目に見えないハートにこそ そのおおもと、なによりも大きな幸せがあると氣づけば、形あるこの世界での表現からも そんなひずみがきっと消えるはず。

だって、おおもとのところでは すべてのいのちは “ひとつ” なのだから。

自分のために他を犠牲にして平氣、いや 犠牲にしていることさえ見ない見えないというのは、分離感にさいなまれるマインドのすること、ハートで “ひとつ” である温もりを感じたとき、もはや 「他」 だの 「犠牲」 だのという言葉さえ存在しないでしょう。




憧れてやまない “ホーム” のあたたかい灯を 外に求めるのをいったん置いて 自身の内深く探ってみたら。。。。この秋冬、まず自分の思いが、そしてやがては世界が大きく変わるのを 目の当たりにすることになるかもしれません。