毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

心の大掃除

2016年12月27日 09時38分38秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


きのうの朝、不意に父が言いました。

「明日○○さんが見えるから」

えーまた?




○○さんは 家族ぐるみで長年親しくしている知人で とてもいい人なのですが、クリスマス過ぎて 新しい年に向けての支度で大忙しになるこのタイミングでの毎年の訪問だけは悩みのタネ。

母も生前からぶつくさ言っていましたが、なぜか忙しい時だからとお断りをしたことがない。

そして母亡き後私も 年末の里帰りと 父がお受けしたこのご訪問がかち合ってしまったことがありましたが、「三日かそこらで大掃除から買出しからおせちの準備から全部しなきゃならないのに~」 とアタマにきながらも これまた渋々作り笑顔でおもてなししていたのです。




が きのうは違っていました。

私にはひとことの相談もなくOKしてしまったことに 一瞬むかっときて文句を言いましたが、父がそそくさと部屋を出てしまったあと もはやわざわざ感覚フォーカスの体勢に入るまでもなく すっと氣が落ち着き 名案が浮かんだのです。

そこですぐ 父のところに行って言いました。

「明日 私はすること山積みだからムリだけど、お客様の支度からお相手まで全部ひとりでするのと 今すぐ私がお断りの電話入れるのとどっちがいい?」

そして ひとりでもてなすほうを選んだ父に 「わかった」 と応えてこちらはスッキリ、 一件落着☆




これだけのことなのですが、同じ事柄に 明らかに以前と異なる反応を見せたところに 自身の大きな変化を見て取ることができます。

そもそも 母 ・ 父 ・ 私と三人そろって不本意なのに断れない、ムリをしていい顔せずにいられないという妙な思いグセがありました。

○○さんこそいい迷惑です、了承されての訪問なのに 氣づかないうちに陰で悪者扱いになってしまっていたのですから。

しっくりこないのに それを率直に表明できず、その不快さを相手のせいにするという思考回路が 三人ともいつのまにか出来上がっていて ずっと縛られていた、それがついにブレイクスルーに成功したわけです。




できてみれば ムリなものをムリと、つまり事実を事実と認めて表明する、たったそれだけのこと。

それが 「そんなことできない」 という思い込みから ガマンを重ね 苦い思いを抑圧し続けてきたことで、恨みつらみがとんでもなくいびつな形で溜め込まれ つねに一触即発の状態にありました。

自分でも明らかに不自然な感情とわかっているから、断りの文句にそれが滲み出てしまうのを恐れて むりやり承諾しては ますます怒りを溜め込む悪循環にハマっていたのですね。

今回のブレイクスルーのカギは、やはりというか そのいびつな怒りや恨みを正面から受け止め じっくり見つめては手放してきたところにあったのです。




夕刻 「○○さん明日来ないことになったから」 となにげなく会話に挟み込んだ父でしたが、先方からのキャンセルか 父がこっそり連絡入れてお断りしたのかは 問わぬが花というものでしょう




いま 世の中のあちこちが、子を 親を 配偶者を殺める事件とか、度を越したイジメとか、怒れる老人の増加とか、信じられないようなクレイマーとか、私が生まれたころにはなかったような怒りで満ち満ちているように思えます。

そして その手のニュースを聞くたびに、問題を起こしてしまった人の中に 自分と同じにおいを嗅ぎ取ります。

実際彼らと私の差は紙一重、私はことが大きくなるちょっと手前で引き返すことができたというだけなのです。

感覚フォーカスというありがたい手立てに出会えていなかったら いつ自分がニュースの主役になっていても不思議ではない、それほど 私の中の怒りも恨みも煮えたぎっていました。

だからこそ、その怒りも恨みも 避けずにまっすぐ取り組むことで 無に返すことができる、身を焼かれるような感情に苦しめられずに生きてゆけるようになる、と 声を大にして言いたい氣持ちでいっぱいなのです。

どんな方法でも構わない、とにかく自分の正直な氣持ちと向き合うこと。

ちょうど年末、家の手入れよりは時間がいりそうですが、心の大掃除がぜひとも必要な時代だという氣がします。