毎日がしあわせ日和

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こんなところにマンデラ・エフェクト!?  その2

2017年03月21日 10時43分12秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


そもそもパラレルワールドは ファンタジーでもたわごとでもなく、量子物理学という分野で真面目に取り上げられているテーマです。

以前ご紹介したブログに さらに詳しく解説されているのを見つけましたので、よろしければ。 ・・・・・とちゃっかり説明の手間を省く貴秋

 「粒子か波かについて」   「二重スリット実験について」   「シュレーディンガーの猫について」   「フォン ・ ノイマンさんについて」   「エヴェレット解釈について」




とはいえ、物理学的にいかに論じられ立証されようとも 最終的にそれらを意識に取り込む ・ 取り込まないを決めるのは ひとりひとりの好みや選択。

貴秋がパラレルワールドを信じるに至ったのは 上記の話を含め さまざまな情報に出会っては なぜか好感を抱き受け入れてきたという積み重ねによるもので、これはもう 生まれる前にそのように準備設定してあったのだろうと思うしかありません。

で 想像の範疇とはいえ ナチュラルに日常に入り込みなじんでいた並行世界概念に、さらに マンデラ ・ エフェクト!? と思いたくなるような不思議な現象がぶつかってきたわけです。

あるはずのないものが出現したという奇妙な出来事は、それまで概念でしかなかった並行世界というものを ぐぐっとリアルのほうに引き寄せてくれました。

黄水仙は、貴秋が氣づいていないだけで ちゃんと説明可能な理由により生えて出たのかもしれないし、貴秋の意識の波長が変化したことで 黄水仙の存在しない世界から存在する世界へと並行移動した結果 不意に現れたように見えたのかもしれない、この二つの可能性が 同等の重みを持って 「どっちもあり」 と思えるようになったのです。






ここで思い出すのが、以前にもこのブログに書いた 荘子の「胡蝶の夢」 。

荘周が胡蝶になった夢を見たのか、はたまた胡蝶が夢の中で荘周になっているのか。

ここで荘子は どちらかに決めようとはしないんですね。

胡蝶であろうと荘周であろうと 自分という主体に変わりはない、そのときそのときの自分を味わい楽しめばいい、と。

貴秋が上記の二つの可能性について思うときの感覚もこれと似ています。

黄水仙の出現理由に氣づいていないだけなのか、黄水仙の存在しない世界から存在する世界へ移動したのか、どちらもありだし どっちでも構わない、別にどちらか一方に決めなければならないというものでもなく そのときどきで好きなほう 都合のいいほうを選べばいい。




20年前の自分だったら考えられないことです。

荘子は人間なんだから 荘周という人が蝶になった夢を見ているに決まってるじゃない、パラレルワールド? 並行移動? 何わけわからないこと言ってるの?

自分はこれこれこういう名前と容姿と役割と個性を持ったひとりの人間で それ以外の何かだなんてありえない、五感に働きかける今のこの世界以外に自分が存在する世界なんてあろうはずもない、そう信じて疑うことなく生きてきた貴秋だったのに。




そんな自分がなぜかたどり着いたこの 「特定の見方に固執しない」 「複数の視点を自在に行き来できる」 というものの見方が、今とても重要になってきている氣がするのです。