毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

こんなところにマンデラ・エフェクト!?  その4

2017年03月23日 23時47分28秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


つい先日訪れた、東日本大震災から6年後の3月11日。

あの震災を語るとき 今も繰り返し使われるのが 「想定外」 という言葉です。

3.11から半年後の9月、台風12号がもたらした大雨による紀伊半島豪雨災害で 貴秋はその 「想定外」 というものを 身をもって体験することになりました。

川の水かさがぐんぐん増し あちこちに被害が出る中で、行政 ・ 消防団 ・ 自治会等に携わる方々は 全力を尽くしておられましたが、この先いったいどういうことになるのか 予測できる人は誰もいない。

当然です、「想定外」 なのだから。




辞書によれば、「想定」 とは 「ある条件や状況を仮に決めること」 。

その 「決めている」 のは左脳 (論理脳) 、言い換えればマインド ・ 小我です。

マインドが把握できるのは 過去か未来のこと、過去の体験から未来を推し量るのが マインドの働きですから、過去の体験が役に立たないほどの事態についてはお手上げなのです。

あのとき 土砂ダムの下流にある避難先の小学校で 消防団の方が言われたことは、今でもはっきり覚えています。

「できるだけのことはしているが、これまでに体験したことのない状況で この先どうなるか 我々にもわかりません。日が暮れる前に もっと安全な避難場所に移動するか このままここに留まるか、皆さん方で判断して決めてください」

率直なお言葉だったと思います。

マインドに関する限り、経験したことない事態についての答など 誰も持ち合わせていないのですから、責任持って確かな指図のできる人がいるはずがないのです。




今、自然災害のみならず 政治 ・ 経済 ・ 科学 その他多くの分野で 想定外のことが次々起こっています。

そんな状況に マインドの視点ひとつで立ち向かうのは、あまりにも心もとないというものでしょう。

誰かがなんとかしてくれるのではと見回しても、安心して従える答は見つからない。

が、世の中には 理屈を超えたところで危機を回避する人たちが 少なからずいるようです。

以前 関東大震災で たどり着いた被服廠跡を直感から逃げ出し 難を逃れた祖母の話を書きましたが、ライアル ・ ワトスン著 「アース ・ ワークス」 には 事故が起きた飛行機や列車に乗る人の割合が 無事故のそれらよりいつも少し下がるという話が出てきます。

そういう研究をしていた人があったようなのですが、実際 なんとなく落ち着かないとか氣が乗らないとか 根拠なく何かを感じるという体験は 大なり小なり誰もがしているのではないでしょうか。

意識していようとしていまいと、理屈抜きで感じる力を 私たちは持っている。

想定外のこれからを生き抜くカギは その力が握っていると思います。




感覚フォーカスを通じて ほんとうの思いを遮っている思い込みと向き合い 解放し続ける中で、その力に何度も助けられてきました。

ドライブで氣まぐれに道を変え 後になって当初の道が通行止めになっていたと知るようなちょっとしたものから これも以前書いた 家のカギの閉じ込みを切り抜けた話のようなけっこうなピンチまで 大小さまざまな体験を重ね、この感じる力への信頼がぐんと増しました。

が、その信頼をいまだに揺るがせるのが 根強いマインドの声。

それはほんとうに安全か? 大丈夫なのか?

間違いないという証拠がどこにある?

そんなあやふやなものに任せて うまくいかなかったらどうする?

残念ながら こういう声が響くと とたんに感じる力への信頼が弱まり、頭でなんとかしようと焦っては自信をなくしてすくんでしまうクセが いまだに残っています。




小我が真我に主導権をゆだねるのが最上のバランスと思い定め そのとおりに生きたいのに思い通りにならない、このはがゆい綱引きのさなか ならば五感も納得の証拠を見せましょうかといわんばかりに起こった マンデラ ・ エフェクトとおぼしき出来事。

今となっては、それがほんとうのパラレルワールド移動だろうと 単なるカン違いだろうと どっちでもいい、いやそもそも マンデラ ・ エフェクト自体が確実な情報でなくても構わない、大事なのは あの出来事がこちらの意識を揺さぶり 感じるまま生きるほうへとど~んと背中を押してくれたという事実です。




これからは、信頼できる指導者についてゆくというのではなく ひとりひとりが自分の答を自分で決める時代になってゆくでしょう。

感じる力は そんな想定外の世界で 何よりも確かな導き手となってくれると 貴秋は信じています。