朝起き抜けにひらめきが来ることの多い貴秋ですが、けさのメッセージは 「 『お説教』 がオールドスタイルといわれる日が必ずやってくる」 。
お説教ってたいがい 「~になりなさい」 か 「~してはだめ」 という形になりますよね。
かくあるべしという理想形があって、 ミジュクモノの私たちは それを目指せ、そこから外れるなと絶えず言い続け 言われ続ける。
しかし。
本来私たちは完璧なのです。
こういわれて 「どこがやねん」 と思った方もおられるかもしれませんが、完璧でなく見えるのは、太陽を隠す雲、すなわち後天的に刷り込まれた幾多の思い込みのせい。
雨が降ろうが嵐になろうが、その向こうの太陽は いついかなるときも欠けることなく完璧なのです。
そして 表面上は忘れていても 心のどこかでその完璧さに氣づいているからこそ、現状の自分たちが 「このままじゃだめだ」 と思えてならないのです。
私たちが生まれながらに 「向上心」 を持っているのはそのためなんですね。
そもそもお説教が好きな人なんてそうはいないでしょうが、お説教しながらいやな氣分になるのも お説教に反発したくなるのも、お説教の持つ不自然さをどこかで感じ取っているからじゃないでしょうか。
子どもをお持ちのお母さんお父さんも 学校の先生も 職場の上司も、こんなこと言ってもお互いいやな思いをするだけなのは目に見えているけれど、言わないわけにもいかないし・・・・なんて悩みが多いのではないかしら。
にも関わらず ついついお説教臭いことを言ってしまうのは、それしか方法がないと思っているから。
もともと完璧な私たちが本来の姿に戻ろうと思えば、することはただひとつ、太陽を覆う雲をどけることだけ。
なのに雲には目もくれず 太陽を変えようなんて氣を起こすから、いろいろとおかしなことになる。
あの映画 「マトリックス」 のモーフィアスのせりふ 「速く動こうと思うな、速いと知れ」 のように、私たちも 「完璧であろうとするな、完璧だと知れ」 なのであり、さらに付け加えるなら 「完璧でない自分と完璧を目指す道のりを存分に楽しめ」 となるような氣がします。
わざわざ多くの制約を背負って形ある身に生まれてきたのは、そんな不自由さを体験してみたかったからこそなのですから。
そう思うと、自分にも他者にも かける言葉が違ってこないでしょうか。
貴秋も幸せになりたくて これはと思う情報を片っ端から試してきましたが、ひととおりやり尽くした今 有効な手立てとして残っているのは、 「自身の心と向き合い ほんとうの自分でないものを手放すこと」 ただそれだけ。
あれだけカオスの海に翻弄されてきたのに、たどり着いたところは至ってシンプル。
あとのことは、ほんと面白いぐらい向こうから起きてきます。
~しなさい、~するな は百害あって一利なし、これまでとまったく違うアプローチを模索する時期に来ているようだ。。。。と感じつつ迎える連休中日の朝。
さて コーヒーでも淹れるとしましょうか (^^)