毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

火事場の馬鹿力

2020年06月14日 14時24分41秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


ことしも梅雨に入りましたね。




これは近畿地方が梅雨入りした今月10日の空。




あじさいや



くちなしが、庭を美しく彩ってくれています (*^^*)

。。。。と、この 「貴秋の視点、すなわち偏見」 カテゴリが続くとどうも視覚的に潤いが乏しくなるので、ちょっと氣分変えてみました




前の記事で 否定的要素も自分の一部と認め受け入れることについて書きましたが、一方でこのようなネガ体験は それそのものが目的なのではなく、真の自分の素晴らしさを強調するコントラスト効果を上げるための仕掛けに過ぎないとも言えます。

「ネガポジ二極で一対」 の物事の半面でしかないのだから、否定的出来事ばかりにいつまでも取り巻かれていなければならないわけではなく、十分味わったと感じたら手放して もう一方の極に移って構わないのです。

その時期は、自身の感情が教えてくれます。

極限まで膨れ上がった負に 「こんな苦しいのはもう耐えられない、ここから抜けるためならどんなことでもする!」 と叫び出したくなったときこそ、「行き (本来の自分から離れる道のり) 」 から 「かえり (本来の自分に戻る道のり) 」 に転じる絶好のチャンス。

ししおどしで竹筒の水が満杯になった瞬間筒の上下が入れ替わるように、これ以上はというところまで溜まりに溜まった負が そのすさまじいエネルギーで難しい方向転換を可能にしてくれるのです。

生半可なことでは努力する氣が起きない人でも、これ以上はまっとうな暮らしはおろか命の保障すら危ういというところまでくれば、俗に “火事場の馬鹿力” といわれるように 生存本能が通常なら出しえないほどの力を発揮し 背中を押してくれます。

そうなれば、「もう瞑想だろうがセラピーだろうが健康食だろうが断食だろうが感覚フォーカスだろうがなんでもやったる!」 という闘志がめらめらと湧き上がった瞬間を 「あのおかげで今の自分があるんだなぁ」 と懐かしむ日も、そう遠いことではないのかもしれません。