毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その5

2020年11月25日 18時13分32秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
前の記事で 幾世代にもわたって受け継がれてきた根深い思い込みが 私たちを被支配者の立場に縛り付けている催眠の正体であるとお伝えしましたが、つい最近 この催眠のからくりは支配者側も同様だということに思い至りました。

支配者 ・ 金持ち ・ 特権階級などと呼ばれる人々の意識の継承も やはり何十世代にもわたっており、もとを辿れない点は同じだということです。

彼らがなんらかの理由でいまの立場から降りたいと思っても、根底の意識がそのままでは簡単にはいかないでしょう。

貴秋はこの立場の人間であったことがないので 想像するしかありませんが、強者には強者の論理があり、貧富の差が現れ始めたばかりのころは その論理にはそれなりの裏づけとなる事実があったはずです。

が、いまの世代はおおもとの事情を知らないまま 「自分たちは選ばれた者だ、能力にも機会にも運にも恵まれているのは それを受けるだけの立場にあるからだ、不公平だと騒ぐ者たちは 自分の能力のなさをわかっていなかったり どうしようもない巡り合わせの悪さをわれわれのせいにしているだけなのだ」 というような見方だけをナチュラルに身につけてしまっていると思われます。

自明の理と信じて疑わないことに疑問を覚えるのは難しいし、また外からどれだけ非難されようと 心が動くものではありません。

こうして持てる者と持たざる者双方が、自分の心の捕われに氣づくことのないまま互いに非難し合いいがみ合っているのだとしたら、解決の糸口をどこに見出せばいいのでしょう。




いまこの時期 世の中がざわついて感じられるのは、不安や恐れを感じている人が多いからでしょうが、これは支配者層も同じこと。

本質から離れる行きの道が 本質へ立ち戻る帰りの道に転じたいま、何千年と追い風が吹いていた権力者の生き方は 流れに逆行するものとなってしまい、これまでうまくいっていたものもうまくいかなくなってしまいました。

それだけでも不安なところにもってきて、自分たちに富の独占を許してきた経済システムが限界にさしかかり、あちこちにひずみが生じて大衆の不満が大きくなっている。

万事が以前のようにスムーズに進まないいま、不公平なシステムの責任を問われる事態になったら、民の不満の矛先が自分たちのほうに向くようなことがあったら・・・・考えるだけでも冷や汗ものでしょう。

それに、彼らにも言い分があります。

彼らの側から見れば、理不尽なのは民衆のほうなのです。

彼らは生まれたときから与えられているものを享受しているだけなのに、「それは我々から奪ったものだから返せ」 と責め立てられて取り上げられようとしているのですから。

こう書けばお氣づきの方もおられるかもしれませんが、パレスチナ問題なども こういう構図から生じているのですね。

とはいえ いまの世の流れは彼らに有利とはいえなくなっていますから、身を守る手立てを講じなければならない。

焦った彼らが打った強引な手、それが今回のコロナ騒動だと貴秋は見ています。

さらに これ以上不安に苛まれたままでいることに耐えられなくなった彼らが、より強硬な手段に出て 民衆の力を極限まで押さえ込み、世界をひとつにまとめて一括管理しようとしているという話もあります。

これが事実か否かはわかりませんが、いずれにせよ不安や怒りなどのネガティブな思いからとった行動が ポジティブな結果に終ることはなく、たとえ一時的に押さえ込みに成功したところで それが未来永劫続くことなどあろうはずがありません。

蒔いた種が実りとなって戻ってくるのが宇宙の法則、押せば押し返され、憎しみを放てば憎しみが帰ってくるのがこの世界の約束事なのですから。

なにより悲しいのは、意識の自由を奪われている立場は同じなのに 持てる者と持たざる者に分かれて争い合うことで、地球の巡りそのものが滞ってしまい、人間以外の多くの命にまで影響が及んでいること。

こんなことを続けていれば、最悪の場合 四番目に破滅した世界としてホピの予言に加えられることにもなりかねません。

支配者だろうが被支配者だろうが、そんな未来なんて誰も望んでいないはず。

さてさて、どうすればこれをソフトランディングに導けるでしょうか。














続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その4

2020年11月25日 09時58分36秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
貴秋が言う 「意識の共有」 とは、他者の意識を自分のそれとして感じること。

イライラしている人のそばにいるだけでこちらまでイライラしてくることを 「イライラが移った」 などと言いますが、具体的にどのようなプロセスを経てイライラがあちらからこちらに移るのかについては曖昧なままです。

貴秋がこれを 相手の感情や感覚を自分のものとして感じ取っているのではと思い出したきっかけは、以前も書いたように 刈ったばかりの木を眺めながら 自身もまた伸び放題の髪を切ったあとのような爽快感を感じていることに氣づいたとき。

それまでにも 買ってきたゴーヤの苗が立派なグリーンカーテンに育つさまをイメージしたら 苗にびっしりたかって食べようとしていたマルムシが一匹残らずいなくなったり、犬が苦手な貴秋が通り道をふさいでいる犬に心の中で事情を話して頼んだらすっと立ち去ってくれたり、あるワークショップで初対面の人の本人も氣づいていない感情を演じるよう言われて当惑していたら 明らかに自分のものでない笑いの衝動がこみ上げてきたりと、理屈では説明のつかない体験をいろいろしてきましたが、いずれも対象の木や虫や犬や人とのあいだに意識の共有が起こり意が通じたと考えれば納得がいきます。

その後も事あるごとに 「意識の共有」 を仮説として当てはめては腑に落ちることを繰り返してきましたが、あるときふと この仮説を使って根深い思い込みの継承について説明できることに思い当たったのです。




ユヴァル ・ ノア ・ ハラリ氏によれば 農業革命が起こったのは1万2千年前だそうですが、日本でも弥生時代に農耕が始まり、それをきっかけに力を持つ者と持たない者の差が大きくなり、支配者と被支配者にくっきり分かれるようになったといわれています。

そして支配する側は支配者としての、支配される側は被支配者としての意識を持つようになった。

その意識が親から子へ、子から孫へと 「意識の共有」 を通じてコピーのように受け継がれていったとしたらどうでしょう。

共有した意識は他者のものでありながら、共有していることに氣づいていないと 自分自身の思いとして認知されます。

まだ物心つかない幼い子どもが、もっとも身近な大人の意識をわがこととして感じ取り、それが三つ子の魂百まで状態で潜在意識の奥にがっちり入り込む、そんなことが弥生時代から今日まで 何十世代にも渡って繰り返されたとしたら。

因果関係がはっきり辿れる思い込みについては 納得のうえ手放すこともできますが、ただでも記憶の残らない幼少期に いつのまにか自身の思いとして入り込み、知覚の及ばない潜在意識に居座ってしまった思い込みに どうして氣づくことができるでしょう。

仮に氣づいたとしても、思い込みのもととなる体験をしたのは何十世代も前のご先祖さまなのですから、体験という起点がないまま観念だけががっちり根付いて育ってしまったものを どうやって解除すればいいのか。

こうして訳もわからず 「とにかくそういうものなんだ」 と思い込み、思い込んだことさえ氣づかないまま影響を受け 人生を左右され、やがて次の世代に受け継がれてゆく、そうやって何世紀も過ぎるうち いつのまにか自然の法則と同じような扱いになってしまった因習や偏った価値観、それが私たちがかかっている “催眠” の正体です。




これまでにも、こんな差別や格差はおかしい、一方的に理不尽な扱いを受けるなんて我慢できないと怒りに燃えて 権力者に戦いを挑んだ人は大勢いました。

が、結果はご覧のとおり。

理屈で、つまり顕在意識でいくらおかしいとわかっていても、意識の9割を占める潜在意識が催眠にかかったままではうまくいくはずがないのです。

しかも、「その2」 で書いたとおり 支配者側はこういう人間の意識の仕組みを熟知していますから、なおさら勝ち目はありません。

だから まず催眠を解いて。。。。とは以前の記事でも繰り返しお伝えしてきたことですが、今回はもうひとつ先があります。

「その1」 から三ヶ月も空いてしまったのは、おそらくこの 「先」 を自分の言葉で伝えられるようになるまで待てということだったのだろうと、いまはひそかに思っています。