毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

「仲間」 もいいけど 「ひとり」 もね

2023年07月10日 12時11分41秒 | ふと思うこと
珍しく暮らしにまつわる話を三つも書いたと思ったら、早くも内面の話に戻りたくなってきております (^^ゞ

以前は日々のこまごましたことを書き連ねるのがやたら楽しかったのに、何でこうなっちゃったかなぁ? と複雑な思いでしたが、初期の記事を読み返していたら 当時の心境があれこれ思い出されて、なんとなく理由がわかった氣がしました。

あの頃は まだまだ否定的な感情が強く、自分が打ち込んでいるものへの疑念や迷いが浮かぶこともしょっちゅうで、いくら大好きな暮らしといっても、ほんとうにこんなことばっかりしてていいのかなぁ、こんな生き方でいいのかなぁ、という不安に絶えずつきまとわれていたんですね。

経済的にも恵まれず 先が見えない日が続いて、家仕事を楽しんでいても 「この暮らしがいつまで続くかわからない、いつ立ちゆかなくなっても不思議じゃない」 という恐れがちらちら顔を覗かせ、そんな弱氣を振り払うために ことさら楽しみのほうを強調した文章をアップすることで、精神のバランスを保っていました。

ありがたいことに、そんな他愛ない話にも 読みに来てくださる方やうれしいコメントを入れてくれるブログ友達があって、どれほど助けられ励まされたかしれません。

当時のブログは 貴秋にとって 精神安定剤であり、諦めず先へ進もうとする意思の何よりの支え手だったのです。




なら 今は? といえば、感覚フォーカスの積み重ねにより 不安がほぼほぼ消え、自分の進む道に迷いがなくなりました。

自身のほんとうの氣持ちが見えるようになったおかげで、「好きなこと」 と 「好きだと思い込んでいること」 を取り違えることがなくなり、自分で自分を満たし喜ばせている確実な手応えが得られるようになって、自信を取り戻しました。

そのためでしょう、いまの貴秋は 他者の後押しがなくても、自分の選択や行動について 毎回 「あ~楽しかった、めでたしめでたし♪」 と一人きりで自己完結できちゃうんですね。

もちろん 共感してくれる人 ・ 一緒に遊んでくれる人があれば、喜びも楽しみもぐんと大きくなって うれしさ倍増ですが、さりとて一人だけの楽しみであっても なんら問題はないと、やたら一人遊びができるタチになってしまったようなのです。

だから、ブログを書いてても 「こんなのわざわざ吹聴するようなことでもないしなぁ」 という氣についついなっちゃって、意欲が萎えてくるらしい。




コロナ騒ぎに明け暮れた数年を経て、孤独や孤立ということに多くの人の意識が向くようになりましたが、貴秋が自身の体験から思うのは、「孤」 というのは いのちの源を忘れて切り離されたように感じるときに起きる ネガティブなセルフイメージ。

そのネガ感情と向き合い 感じ尽くして手放せば、「孤」 は自然と 「個」 に変わり、自分の根っこや軸を感じとれるようになって、一人であっても強くたくましくなれるようです。

そんな 「個」 が集まれば、源というすべてのいのちに共通の領域を通じてひとつになり、すごい力を発揮できるでしょうし、ことさら 「孤」 を感じさせたこの数年は、案外そこへと向かうきっかけをつけるためにあったのかもしれません。